羽黒&湯殿山

出羽三山の中でも奥の院に位置づけられる湯殿山へ行く手段はシーズンの間だけ走るシャトルバスに限られる。

早朝に羽黒山の後、このバスにあわせて湯殿山へ行くスケジュールを組んだ。

羽黒山といえば、2000段あるという山頂の石段。前日の月山登山のダメージもそれほどなく登るしかない。

随神門を抜けると木々の間を抜ける参詣道が延々と続いている。しばらく進むと国宝の五重塔がある。今年は特別に内部の一般公開があるのだが、開くのが9時半とのことで中を見ることはできず。白木造りでゆったりした姿の五重塔が、鬱蒼とした森の中に聳えているのは、につかわしくないというかどきどきするというか、異質な空間でした。

そこを過ぎると本格的な登りが始まるのだけど、単調に登るのではなく、3つに分かれて坂がある。途中いろいろ社があったり、踊り場のように平坦になったり、さまざまな参道の景色を楽しめる。

参道の周囲は今はもう木々しか見えないが、往時は修行僧が過ごす別院もあったようだ。出羽三山の羽黒山ページによると、「山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいた」とある。参道には、芭蕉の句碑もあった。やはりかつてあった南谷別院で句を詠んだらしい。実際に見た南谷別院跡は草もぼうぼうで、望んで奥まで見に行こうというものではなかった。

石段を登りきると、開けた神社の敷地にいくつもの大きな社殿が建っているのが目に入る。中央にあるのが三神合祭殿で、その名の通り三社の神様を奉っている。まーでかい。その壮麗さに、これでいいのか修験道とも思ったが、まあ逆にいえばらしいのかも。石段登りに疲れたこともあり、だらだらと見て周る。羽黒さんの秘仏(意味深)とか、緻密っちゃ緻密だけどまあ普通。

 三神合祭殿の中をご祈祷を受ければ見ることができるようなので、湯殿山から戻ってきたら受けることに決め、バス停に向かう。普通の長距離用バスだったが乗客は意外に少ない。

湯殿山仙人沢は駐車場などもある登山口で、15分ごとに山頂まで登るバスがある。山頂は撮影禁止だけでなく「語るなかれ、聞くなかれ」ということらしい。出羽三山神社の湯殿山のページ、Wikiの湯殿山のページ、Wikiの湯殿山神社のページでおおよそ書かれている範囲について言うと、素足で参拝する、ご神体への参拝と末社の参拝を行うことができる、ご神体に社殿はなく直に参拝できる、足湯がある、である。ご神体はある意味わかりやすいほどにわかりやすいが、それゆえに安易にとらえらえない。ただ、観光客のように参拝したこの身では、そのコンテクストを十分に解することはできず、ただうろたえるのみであった。

ともあれ、帰りのバスの時間は迫っており、行きはバスを使った山道も帰りは早足で下ることとなった。まあ5分くらいで着くしオススメ。

羽黒随神門に戻ってきて、5分後に来るというバスを待っていると、空車になったタクシーが目の前に止まって4人連れいる?とかいうので、相乗りできるなら乗ります、と声をかけた。すぐ後ろにいたちょっと年下の男女も、同じように声をかけたので3人で相乗りすることに。話をしてみたら、同じ兵庫県出身で割りと同郷だった。大阪もかもだけど兵庫もわりとイラチが多いよな。

山頂に着くと礼もそこそこに参集殿に走り、14:00からの祈祷の受付をする。すぐに本殿に通される。祝詞を粛々と聞き、拝殿の中に通された後は、深々と伏した体勢で肩を鈴で撫でられたり、など。

もっとのんびりしてもよかったのだけど、お風呂に入りたかったので、羽黒山頂からバスで「やまぶし温泉ゆぽか」に。普通に共同浴場ですが、全体にきれいで広めでいいですね。昼ごはん食べてなかったので、あとで名物のやまぶしラーメンをいただきました。白湯ベースでニンニク(行者ニンニクってこと?w)が効いていて、野菜たっぷりでした。

宿に帰ってから夕食はとらず、お祭りの屋台で買っただだちゃ豆をつまみながら、出羽神社でもらったお神酒を飲んでました。

 

 湯殿山と「語るなかれ、聞くなかれ」について、この記録を書きながら考えたことを残したい。とりあえず参考に見たURLだけ。

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月山

月山登山はこの旅行のメインイベントで、このために体重を10キロ落とし、トレッキングウェアやレインウェアも一式買ったのだった。天候も考え鶴岡に3日滞在した。しかし、台風の影響で4日ずっと曇り、しかも後になるほど天気がくずれるとか。そんなん想定してへんよー。

登山経路はオーソドックスに月山八合目と頂上を往復するというもの。駅のコンビニで庄内米のおにぎりを買い込みバス停へ。

  • 鶴岡駅前(1番)6:02→月山八合目 8:00
  • 月山八合目 16:00→鶴岡駅前 17:50

帰りのバスは実質1本しかない。時間に余裕はあるとはいえ絶対に負けられない戦いがそこにあった。

気温は15度ほどで風もややあるが、半そででもいい感じ。しかし天候は曇り。視界は保たれているもの全体にガスってて、眺望は期待できない。

湿原にかけられた木の廊下を20分ほど歩くと、登山口に出る。トレッキングでも初級に位置づけられていることもあり、登坂が急とうことはない。ただ如何せん登山スキルが低くて、岩場を歩くのに難渋する。杖買っとけばよかった。減量のおかげで心肺的にやばくなることがなかったのが幸いか。

途中では、遠くは晴れていて時折景色を楽しむことができたが山頂に近づくとガスが深くなる。それでも他の登山者も多いことで経路的に苦労はなく3時間で登頂することができた。

 

ちなみに最上の艦内神社である。堀のように石積みされた壁の中に神社はある。入り口の鳥居には、本国総鎮護の文字が。参拝には入り口で神主にお祓いをしてもらう必要がある。また境内は撮影禁止。山門をくぐると石造りの本殿と、狛犬に代わって左右に兎の像が建っている。周囲の石壁には、小さな摂末社が並んでいる。わからないのは本殿の裏に劇の小道具のような剣が何本も納められていた。

参拝の後社務所で悩んだ末ご朱印帳を買う。わりとこれまでご朱印帳は拒絶してきたのだけど、出羽三山、と表紙に書かれると、まあこのためだけでもいいかと。

神社を出ておにぎりを食べ、メールでも書くかとタブレットを触っていると、やおら雨が降り始めた。おそれていたとはいえ、本当に降られるとは。レインウェア買っておいてよかった。

下山は時折の雨中行軍を強いられる。9合目の山小屋では雨脚が強まりしばらく様子を見たが止むことはなく、覚悟を決めて8号目まで降りきったのだった。かかった時間は3時間半。着いたのは3時半だったのでバス発車まで余裕がなかったのだった。

無事鶴岡に戻り、夕食のため街のほうへ。しかし前日ついたときも思ったが、市内は食べるところもなければコンビニもない。唯一買い物できるのは、市内チェーンのスーパー主婦の店銀座店。その後食事をした洋食店できいたところ、車社会なのでみんな買い物は郊外のモールに行くらしい。

食事の後は町の中心にある鶴岡公園へ。元は庄内藩の鶴ヶ丘城、さらに城プロ的には大宝寺城の跡地である。そういえば、困るとほら貝をぶほおおんと吹き鳴らす悪癖を持つ大宝寺城ちゃんは修行で験力をつけてるとのことだが、月山で山伏姿で登山する人たちも神社でもほら貝を見ることはなかったですな。現代人のほら貝離れなのか、明治以降の廃仏毀釈の影響なのか。修験宗廃止令なるものもあったらしいし。

ちょうどお盆祭りである庄内大祭の宵宮とのことで、庄内神社では舞などの奉納が丁度終わり、神幸祭が始まるとのことで参加した。拝殿に並べられた3騎の神輿の前で参拝者は首を垂れる。この神輿に代々庄内藩主を務めた酒井家の、忠次、家次、忠勝のみたまを遷すいう大事な儀式である。神主の祝詞の後、しちりきをバックに、神主らの音声が続く。なんとも神秘的な一幕でした。 

 

 

佐渡

出羽三山に行くことを決めて思ったのは、こういうときでもないと佐渡に行かんだろ、ということだった。そんな話を佐渡汽船乗り場へ向かうタクシーで運ちゃんに言ったら、前もそういう人いましたよ、なんてことを言われたり。


そんな佐渡もいろいろ調べたものの、島の大きさもあり、佐渡金山およびその近辺に絞ることにした。

3本目のバスは両津ー相川の主線ではなく相川循環のバスで、事前に時刻表を調べてて見つけられなかったり。

佐渡金山で見学できる採掘坑は、江戸時代の宗太夫坑と明治時代の道遊坑とある。宗太夫坑は、とりあえず掘り進むアリの巣のようで、見学も中を登ったり降りたりする。水抜きが重要なので、斜めに掘られた穴に当時の作業を再現する人形というかロボットというかが動いている。わかりやすいっちゃやすいんだけど、なんか萎えるんすよ。あとは見学できるところが意外に少ないので、史料性を感じない。明治の道遊坑のほうが、分かりやすい分見ていて納得感はある。歴史的価値は疑うまでもないのだけど、歴史遺産への選考に漏れているというのも、まあそうかもね、と思ってしまう。ただ、道遊の割戸はやばい、人が掘りすぎて山が割れたということだが、あんな掘ったらそら山の形もなくなるわ、というもの。

金山からバスで降り、佐渡奉行所跡と北沢浮遊選鉱場へ。佐渡奉行所は、跡地に建物を再現しただけなので、当時の雰囲気を感じるにとどめるだけだけど、場所的に丁度相川の町を見下ろすことができるので、佐渡の海も含めて眺めを楽しむことができる。

北沢浮遊選鉱場は、本当にここで何が行われていたのかわからないぐらいすごい。これを見るためだけで佐渡に来た価値があるというもの。

 

山の斜面にここぞとばかり埋め尽くされた選鉱場は、人ならざるものが住まうマンションのようだし、川を挟んで建つシックナーは工業的用途とは思えない壮麗さがあり、もうどれだけ写真を撮っても飽きなかった。

帰りの乗り換えはこんな感じ。 1本目がやはり相川循環のバス。なかなか奇跡的な乗り換えである。

バス平日時刻表

時間を作ることが出来たので、佐渡汽船乗り場から歩いて万代ピアにある回転寿司弁慶へ行ってみるものの、待ち時間45分ということであきらめる。代わりに屋台で売っていたほたての醤油焼きとのどぐろの塩焼きを食べる。ほたては普通だったけど、のどぐろは脂がのっていて美味しかったです。

新潟から特急で鶴岡へ。着くのは夜になりそうなのと、鶴岡は食べるところがなさそうに思えたので、新潟の有名な駅弁である、新発田三新軒のえび千両ちらしを買う。薄くきった玉子焼きの下に、えびうなぎいかこはだと敷かれていて、甘さとしょっぱさが素晴らしいバランス。

あつみ温泉のあたりで、丁度日本海に日が沈むタイミングに。醤油で煮た卵の黄身のように赤く丸い太陽が、水平線に接して浮いていたと思うと、数秒で姿が見えなくなる。なかなか得がたいものを見ることができました。

新潟・新発田

いつもならほぼ始発で移動を開始するところ、前日の家飲みを鑑み、7時前に家を出る予定を立てる。朝起きれるか心配だったが、ドラム缶をぶち叩いたような雷雨に3時に起こされる。目標は越後国一ノ宮の弥彦神社

燕・三条近辺も評価の高いラーメン屋が多く、燕三条系ラーメンなんてWikiページもあるのだが行くすべもない。粛々と参拝に向かうとする。

稲穂が頭を垂れ始めた水田、連なる緑の山々、高くに雲を残す青空、とザ新潟な車窓の景色を望み、弥彦線はまっすぐに弥彦山に向かう。社を模した駅を出て、緩やかな上り坂を10分ほど歩くと、こんもりとした森と立派な大鳥居が見えてくる。

弥彦神社境内は森閑としているものの、暗く閉じていることもない。こういう参拝客をやさしく受け入れる神社には、いつも感慨を強く覚える。

 二の鳥居の先、随神門をくぐると、開けた境内に広い拝殿がある。敷地といい新しく感じたが、どうやら明治の火事の後に場所を変えて再建したらしい。お参りした後、参道の裏手にある摂末社に行くと、七五三のように着飾った親子が写真をとってもらっていた。主神であるおやひこさま(伊夜日子大神)の6人の子供が祭られている神社の摂社などが建てられているのだが、白木造りのちんまい社が森の中に並んでいていい雰囲気。

もう少しのんびりできるとよかったのだけど、帰りの電車が1時間後なので軽く境内を見て帰る。宝物殿にある2メートルもの長さがある志田の大太刀はなかなかのインパクトがあります。 

宿に荷物を預け、遅い昼飯に。新潟市観光には次のサイトを参考にしました。

 

travel.spot-app.jp

 

新潟は駅も街も大きいので移動も手間なのだけど、せっかくなので有名なイタリアンを食べに行く。艦これ4コマでは、イタリア戦艦の歓迎会に三日月が阿賀野妙高と準備していた謎のジャンクフードである。お店の"みかづき"は、街のまんなかにあるバスセンターの2階にあります。街はちょうど「新潟まつり」の最終日もあって、交通規制をして道路にステージを作ったりえらい賑わい。

 

niigata-matsuri.com

 バスセンター1Fのカレーうどんが有名な立ち食いうどんがすさまじい行列だったのに比べると、みかづきはまあすぐ食べられた方かも。イタリアンとはやわらかい焼きそばにトマトソースをかけたもの。量も屋台の焼きそばぐらいで、味もいい按配のジャンクさ。

この後、祭りを見て回ってもよかったのだけど、折角なので新発田に向かう。 

 

白新線阿賀野川を越えて40分ほどに新発田はある。お目当ては日本百名城にあげられている新発田城堀部安兵衛。chusingura 48+1の安兵衛さん好きなんすよね。

駅で居合わせたコミュニティバスに乗り新発田城へ。横に長い石垣の端に建つ櫓は三面のしゃちほこで有名だったりする。当時の遺稿である石垣はきれいに残っていて、正門の横のシケインになっている堀や築山しかない二の丸跡などにも、かつての面影を感じることができる。城から安兵衛生誕の地までの道のりでも、あちこちに町割を表す立て札が立っていて、新発田が城下町として長く続いていたことを知ることができる。

  • 白新線 新発田13:51 14:55 15:47 16:39 17:01 17:44 18:22
  •             →新潟14:30 15:32 16:22 17:22 17:41 18:26 19:06

5時すぎに新潟駅に戻ってきて、これまだ新潟のソウルフードと呼ばれるたれカツ丼を 食べに行く。

とんかつ太郎

 夕食に丼なんてやばすぎぃとせめてヒレカツ丼にする。ちょっと硬めのヒレカツに甘辛いタレが浸してあって、美味しいお米がさらに食の進むというもの。ヒレとロースのハーフ&ハーフとかあるといいのにね。

食事の後は、白山神社へお参り。参道に連なるアーケードは古びているけど新しい店もそこそこあってなんか不思議な感じ。カルチャーに関する案内(講演会や展示会の)が多く張り紙されており、とくに歴史とマンガに関するものが多かった。新潟は(あと山形も)著名なマンガ家を多く輩出していることもあるのだが(高橋留美子とか。NAVERまとめ)、そういった活動が地域に根ざしているようだった。とくに江戸時代の明和の頃に藩の圧政に抵抗した人々を称える明和義人祭というのが8月末にあるということで(→新潟明和騒動)、関連した催しが企画されていた。

 

新潟市内をぶったぎって流れる信濃川に沿って建てられている白山神社は、まさに街のど真ん中にあり、新潟まつりの花火もここの近くで上げられるみたい。狭い境内の参道に屋台が並ぶ。中にはぽっぽ焼きや玉こんにゃく(これは山形だけど)ローカル色のある屋台も。わき道に入ると、ハスが見事に生い茂る池が。なぜか平泉中尊寺に残っていた奥州藤原氏時代のハスの種を蘇らせたものをいただいたのだとか。池を埋め尽くすハスの葉に蜂の巣を思わせる種やらあの多弁な花やらが見え、あっちの世界に来てしまったようではある。

お社は、門(随神門)も拝殿も本当に立派で、さすがの新潟総鎮守。拝殿の裏には、白山の石を祀ってあったり、いろんな他の神社の社があったり、何もないときにまたのんびり訪れたいです。

日も落ち始めてきたので、花火の観客で溢れる信濃川沿いを歩いてホテルに。次の日がなければ見たんだけど。

 

「艦これ」鎮守府“氷”祭り in 幕張特設泊地-氷上の観艦式-

 

チケット申し込みのイベント情報はこちら。初日レポートはこちら。

すばらしいイベントだったので、少しでも感想を残しておこうと思います。

 

金剛・比叡・榛名・霧島

提督とのケッコンカッコカリ、提督の後に4姉妹が順に登場し、提督と手をとり、並んで滑る様に、確かにケッコンカッコカリ的な心の交流を感じることができ、無良提督の威厳ある立ち振る舞いと合わせて幸せな気分になったのでした。

とはいえ、提督もみだりにケッコンしているわけでなくw、他の艦娘には立場をより明確にしていました。金剛4姉妹は、艦隊の旗艦として、その後の演習も、海域突入も任されていたわけで、鎮守府の中での指揮系統、艦隊行動を描くのにも、必要なシーンだったとも思います。

赤城・加賀・瑞鶴
赤加賀はさすがの一航戦、登場のときのペアの演技も絶対の安心感を持つことができ、キメの背中あわせでもう脳汁でまくりでした。
戦闘では絶対のロングレンジ攻撃で、特に道中で勝利を決定付ける働きでした。弓を引くシーンに合わせて緑の光が飛び交い、氷の上に映る艦戦の影が敵艦に向かっていき、イ級が最初に撃滅させられるのでした。
そんな絶対的な存在の航空戦隊も、ボスマスに突入しての最初の戦闘では返り討ちにあってしまいます。うずくまる艦娘たちが止めを差されそうなるその時、増援部隊が到着します。駆けつけた赤城さんに抱え挙げられ、立ち直る加賀さん。個人的にはここが最高でした。
キャストでは、特に加賀さんが印象的。つんとしてクールな演技はこれぞ加賀さんというものでした。

水雷戦隊
最上・三隈は重巡運用で、軽巡、駆逐と合わせて、夜戦火力担当でした。旗艦の指揮に合わせて、片膝ついて魚雷を発射すると、プロジェクションマッピングで魚雷の雷跡と爆炎が映し出されます。敵艦を取り囲み、四方から伸びる雷跡は、敵への致命的な攻撃を視覚的に見事に表現していると思います。
キャストでは特に、夕立と満潮が印象深かったです。夕立は、ぽいぽいな活発さを、満潮はまじめさを演技の中に感じられたように思います。「ソロモンの悪夢~」や「その先にあるのは地獄よ」な台詞も似合う。というか、どの方の演技もすごくてですね、全部を見渡すには目も足りないし、全部を楽しむには頭も足りない。

提督
無良提督の、滑りのダイナミックさ、立ち振る舞いの美しさについては、いくら言葉を尽くしても足りない。ジャンプした後、髪を後ろにまとめて帽子被りなおす素振り、両手を後ろに組み颯爽と滑る姿、梯形陣で立つ艦娘と敬礼を交わしながら間をすり透ける姿、どこを切り取ってもかっこいい。リンクの端で立って演習を見ているだけでもかっこいい。
さりげに、艦娘だけで複縦陣で滑走するのに比べて、提督に続いて滑るときの方がスピードがある(少なくともそのように見える)のが好き。

無良提督は、艦娘に慕われ、艦娘を指揮する、できる提督の理想の姿を体現してくれたんだよね。言葉も説明もなしに提督像を説得力を持って現実化してくれた。演習の後、出撃する艦娘を提督が選ぶシーンがあるのですが、指名する提督と敬礼を返す艦娘たちに、自分が出撃艦を選ぶときの期待と不安を確かに重ねることができました。きっと、他の提督も同じように感じたからこそこれだけの信任を得たのだと思うのです。
もちろん純粋にかっこいいのもあるのだけど。

終演後に無良さんから、提督に受け入れられてよかった、観客からの声援が励みになった、というツイートがありました。こちらも声援をあげて最後スタンディングオベーションして本当によかったと思いました。

 深海棲艦側
艦娘側よりも深海棲艦側のほうがさまざまな姿を見せてくれたように思います。なんといっても、戦艦棲姫、ヲ級にこいこいされて集まってくるイ級がかわいすぎる。保育園はこっちにもあったのか。
提督の指揮の下、隊列組んで攻撃する艦娘に比べて、憎しみを露にし攻撃をものともせず反撃する戦艦棲姫、ヲ級の力は原始的なものに見える。それらを従える王女のオーラは圧倒的だし、一方でイ級のかわいさが愛おしくなる。
ほんまね、冒頭のシーンからして、みどり王女すげええとイキュウチャンアッアッという感情が入り乱れる脳の演算能力を超えた内容だったのですよ。

深海氷翔王女
ネットの感想にもあるようにまさにレジェンド。登場した瞬間に雰囲気変わるしとても大きく見える。威嚇する態度、被弾したときの崩れ方など、表現力というか体の動きが他と全然違う。一人陸の上で演技しているようでした。

深海氷上棲姫
澤山さん演じる棲姫は、艦娘でも深海棲艦でもない存在でした。出番は2回でした。冒頭に王女に深海棲艦の群れから追い出され悲しげに踊るソロ、ラストに月夜海のコーラスと生演奏をバックに何かの安らぎを得たようなソロ。彼女が何者なのか、どこへ行くのか、解釈が分かれるキャラクタですが、その不安定で儚げながらも気高い姿をスケーティングで見事に表現していたと思います。

艦隊行動
もういろいろあるのですが、リンク端に白く長い光が桟橋のように浮かび、その上に艦隊が一度整列してからすべり出すシーンは確かに出撃の光景を浮かべることが出来たし、リンクを複縦陣で滑る艦隊には進撃の不安をともに覚えたし、"武蔵の帰還"をバックに昼の海を単縦陣で滑走し、客席に向けて敬礼をする艦隊を提督として出迎えていました。

演出・ストーリー構成
舞台演出についてはネットに多くの感想があるように、艦娘を舞台として表現するなら、氷上にプロジェクションマッピングというのは最適だった思います。ほぼ無言劇で純粋にスケーティングで表現するのもチャレンジングでしたがよく出来ていました。シナリオ、全体構成も、よく練られていたと思います。運営はどれだけのリソースを投入できたのだろうというぐらいお金と手間のかかったステージでした。本当にありがたいことです。
演技中は言葉を入れるのは蛇足にすぎるのですが、話の経緯がわからなくなる(特に出撃艦隊)ので、シーンとシーンの間に大淀さんによる状況報告があってもよかったかもですね。

円盤化
円盤化は本当にしてほしい。私は昼に3FのS席、夜にアリーナの中央2列目、とほぼベストの座席だったのですが、昼は俯瞰で艦隊行動を楽しみ、夜はすぐ間近のスケーティングで圧倒されてました。氷上の観艦式は本当に複数の視点で楽しみたいし何度も見なおしたいです。
が、他のイベでは「撮影した映像に顔が映りこむかもだけど許してね」というお断りのアナウンスがあるのだけど今回はなかったし、みどりさんとか権利関係大変そうだし、
きっと難しいだろうなとは思う。

艦娘音頭
パンフには、"必修戦術「艦娘音頭」演習中"とある。戦術だったんだ。海防艦ズお披露目の後、ゲストスケーター以外全員が瑞雲法被を着て踊っていました。私も目の前の海防艦の子と向き合いながら座って踊っていましたw
しかし、これだけ艦娘音頭は必修演目化していながら、公式にちゃんと振り付けを説明したのは、秋刀魚祭りの時だけなんですよね。どれだけマスクデータ多いねんw

青森県その他の観光地

旅行の候補地にあげていたけど結局行かなかったところについて。

大湊

大湊基地に行くならば大湊マリンフェスタにあわせたほうがいい、ということでとりやめ。逆に言うと、艦艇公開の日ですらないと、割りに何もなさそう。八戸から2回乗り換えくらいで行けるのだけど、大湊に前泊するべきかはよくわからない。

白神山地

コースが色々書いているのだけど、白神山地が広すぎてアクセス方法が全部違う。このページが全体像がわかっていい。散策だけなら次の2つ

  • 十二湖駅からの青池などの散策
  • 弘前駅からのアクアグリーンビレッジANMON周囲・マザーツリー
十和田湖奥入瀬

八戸、新青森、いずれからもJRバスがあるようです。

竜飛岬・大間

どうやっていくんだろう

6/8 八戸

まずは、みなと食堂の平目漬丼を目指して朝1で八戸へ向かいます。

ありがちですが、中心街の最寄駅である本八戸は八戸と少し離れています。八戸からそのまま三陸海岸に出て行く八戸線に乗り換えます。しかし終点の鮫駅ってすごい名前だ。鮫駅 - Wikipediaによると魚の鮫とは無関係とのことですが。

陸奥湊は、魚市場が立ち並ぶことで有名で、朝6時から朝市で賑わうそうです。みなと食堂はその中にあります。

平日の10時だと、さすがに店内は客も数えるほどでゆっくり落ち着いてメニューを選べます。定番の平目漬丼とせんべい汁セットに、追加でいちご煮を注文しました。ヒラメは身がしまってヅケとあって、卵黄が米との間をつないでくれて、どんどん食べてしまいます。せんべい汁というのを初めて知ったのですが、南部せんべいを割ってすまし汁に浸したものです。せんべいの縁の太いところがアクセントになっています。いちご煮とは、うにとあわびの入ったすまし汁です。熱い出汁でほぐれたうにが丁度野いちごのようであることからこの名前がついたそうです。そりゃ絶対美味しいのですが、値段も相応でした。上のサイトの店内の写真では500円となっていますね。時価なのでしょうか。

次に八食センターに向かいます。

八戸駅近くの魚市場なんですが、これが微妙に行きづらい。八戸駅からのバスは、新幹線の到着時刻とリンクしているのですが、八戸線とは乗り入れが悪いのです。最寄の長苗代駅から20分ほど歩いて向かいました。市場内は多くの魚屋が並んでいて、新鮮な魚が並んでいるのですが、いかんせん公共機関で移動してる者には目の毒で、なんとも困りました。一口大の新鮮なウニ300円、とか選ぶと色々あったんですけどね。

時間があるので、次は観光地として評判の高い種差海岸へ八戸線で向かいます。

海辺なのに天然芝が生えている、不思議な風景。青々とうねりのある海岸線に、遠く見える松林はセントアンドリュースのよう。確かに司馬遼太郎をして、異星人を案内することになったら「一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」と言わしめる風景です。

とはいえ、30分も見ればまあこと足りるので、バスで移動することにしました。種差海岸インフォメーションセンターから鮫駅まで遊覧バスがあるのですが、これがまた、三陸の絶壁や草原の中を真っ直ぐに抜ける道(東山魁夷の作品の元ネタになった)を見ることができて、おすすめです。

蕪島海浜公園で下車し、ウミネコで有名な蕪嶋神社に向かいます。

 

神社自身は 2015年に火災に遭い、鳥居から中には入れないのですが、蕪島自身がウミネコの繁殖地となっており、ウミネコまみれになることができます。

巣のある築山に入ると、草むらのそこかしこにひな鳥がいて、すぐ目の前をぶんぶんウミネコが飛び回り、大変な状態です。調子に乗って写真を撮りまくっていました。フンが心配なら、近くの観光案内所で傘を借りられます。

ここで午後3時すぎなので、晩飯に向けてホテルのある中心街に向かいます。JRで行くのもありですが、鮫駅から中心街へは市営バスがあります。[F1]大杉平バスセンター行きで朔日町で降ります。何気に街の景色が印象的でした。昔から漁港として栄えた名残をそこかしこに感じられたり、いくつか古びた橋を越えたり、中心街に近づいても古びた町並のままでやきもきしたりで、街全体はとても大きいのに時の流れは緩やかに感じられました。

ホテルに荷物を置き、目当てのサバの駅へ向かいます。

名前の通りサバを使った料理の専門店で、八戸の名物である前沖サバを、串焼き、つくね、味噌煮とコースで食べることが出来ます。串焼きは確かに脂の乗りを楽しむことが出来てすばらしいです。飲み屋が並ぶみろく横丁は地酒や新鮮な魚が楽しめる店が多くて選ぶのが大変ですね。

朝から歩き回ったのもあるので、夜は駅の裏にある八戸城下町温泉 花衣でお風呂をいただきました。

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