電脳コイルナイト

上のイベントが終わって、インディジョーンズでも見るかな、と新宿に出て、ちょっとロフトプラスワンを覗いたら、ちょうど券が1枚あるんですけど、ということで参加しました。券を譲ってくださったお二人さんどうもありがとうございました。



舞台前に置かれた、デンスケたちとサイン。サインはあと一枚あって全部で3枚でした。イベントの最後に抽選でプレゼントされました。


電脳コイルナイト特別メニュー。暗くてすみません。電脳カクテル、黒かったですw


こんな感じで最終話を見ながらオーディオコメンタリーをしていました。


第2部終わった後も話し込む、磯さん、東さん&山口さん。

ちゃんとログ残せてないのですが、磯さんと井上さんの丁々発止のかけあいが最高でした。磯さんのやりたいことを如何に引き出してスタッフに伝えるかが仕事だった、とロマンアルバムで井上さんが語ってますが、まさにああ言えばこう言う状態。自分の考える表現を実現するため妥協を許さない磯さんと、真意を聞き出そうと時に褒め殺し時に説得に入る井上さん。10話を見ていても数カットごとに、「ここは今でも直したいと思っている」とか「ここはもめたよなぁ」とかばんばん出てくるんですもん。なんという大人げなさw

ということで、以下にログを貼っておきます。私が見聞きしたものを記したもので発言者の意図を正確に反映していない可能性があります。特に第3部は、上のイベントと合わせて6時間半タイプし続けてさすがに疲れ果てたため、薄くなっています。磯さん井上さんのやりとりは、文面に残せない面白さでした。
ロフトプラスワン「『電脳コイル』ナイト」 まとめレポ エヴァ緊急ニュースや、2chのスレも参考にしてください。

(追記)
cureさんによるレポートリンク集ゆすらさんの詳細なレポも是非参考に。



電脳コイルナイト
2008/6/13 @ 新宿ロフトプラスワン

第1部
磯さん、井上さん、平松さん

今日開いたのは再放送の最終回OA日だからみんなで見ながら。
コメンタリーつきでw

しゃべっちゃいけないこともしゃべるかも
あぶないところにさしかかったらPがラッパをならすw

メガばあ顔違うんじゃないの
キャラ表を見ずに。
イメージと違う、と監督が言うと
キャラ表の通りですよ、と返される。
調べると確かにキャラ表の通り。

橋山さん、吉田健一さん(エウレカで有名な)、
その2人がいないと2クールで終わらなかったかも

かんとく自身も原画10カットぐらい

私は指示していません

コンテでシンちゃんっぽくという指示
デンスケ、顔とか全部書いたけど後で隠した。
イサコの髪がほどけるシーン(電脳世界から帰るシーン)は
作監陣全員で書いた伝説のシーン

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スペシャルゲスト:杉井ギサブローかんとく

乾杯の音頭
無事終わってよかったねということで
次の磯監督の制作費になるのでみんな注文してください
かなり安いけど

杉井:
古い空間からきましたw
これまで一緒になかなか仕事する機会はなかった
ちゃんと話をするのは始めて
仕事やっているとチームになる。
こういう場があることは非常にうれしい

磯:
業界では会ったら最後、一緒に仕事することに
こういう場じゃないところで会うと、原画どうでしょうということになる。

杉井:
電脳コイルの感想は、と聞かれて)
感動的でしたね
電脳世界なのに子供たちが走り回る。いいなぁ、すごいなぁ
見ていくうちに、こういうことか、と。
すごく感動したのは、生活芝居ってアニメは難しいんですよ
うまくいってやっと普通に見えるもの。

井上
日常はうまくいっても評価されない
いかないとばれてしまう。

杉井
やるんならちゃんと髪動かそう、とかいったのは誰だったの?

井上
ツインテールなので動かしやすかった

平松(?)
髪の毛の残しについては、井上さんが広めた

杉井
髪の毛って普通でも動かさないと人形みたいになる
走り回るから印象的

井上
電脳コイルよく走っていた
こだわりにあった

1、2話がとくによかった
作監やっていた本田さん、途中で降板することになって後を引き継いだ
彼がよく動かしていて、後でそれを引き継ぐように
作監チェックの時に継ぎ足したりした。

流れとして、ここ最近、原画がすべて書くというのが増えてきた

杉井:
シリーズとおして押し通したのは、珍しいんじゃな?

井上:
千年女優」でも本田さんがよく動かしていた

原画として、書かないと安心できない、というのもある。
業界で、「上海走り」というのがある
上海のある会社(上海動画)に依頼すると、走っても身体が上下せずに走る。

原画、ポイントだけを描く。動画、間をうめて描く。

昔は4-5枚に1枚書く
今はそういう動画さんが育っていない。
間を単純に想像できるものを任せている
本田さんは中1枚ぐらいで

杉井:
最初見たとき子供たちの動きがすごいと思った
絵コンテ切るとき、パターンで切った方が成功率がたかい
細かい芝居をやってもうまくいかない
塀をよじのぼる子供とか、子供のアクションが生き生きしている
磯さんがそういう狙いがあった?


実はそうでもない
どういうネタをするか、というのを目的にする
やることが具体的にあるので、そこが成功するかどうか
そこの芝居がうまいくいかないと笑えないから変更する
日常芝居はスペックをあげるとうまくいく、というのもあるけど

杉井:
子供と一緒が見てて、これってアニメじゃないみたいだよね、と言った
子供たちの芝居が、リアルというか伝わってくる情感が他の作品と違う
見ているとそっちに引っ張られている。
芝居が大きいのかな。原画、アニメーション、そこに力点がおかれていて
伝わってくる。それが世界観のおもしろさとは別に、あったように思う

磯:
面と向かってほめていただけると
どうやって落ちをつけようか、とw
杉井さんの作品をすべては見ていないけど、
どうはって淡々と作っていけるのか
自分は、一本作ると消耗してしまって日常に戻れなかったりするけど

杉井
節操がないといわれるけどw
ぼくとかりんたろうとか宮崎さんも、古い時代からアニメやっている人は
作家というより職人、という意識でやっている。
自分は芸人と思っている
銀河鉄道も演れば、ゴクウの大冒険も演る。
長いアニメの歴史で、90%近くが漫画原作で
作家性の重要なところは漫画がやっていることになる
アニメを作っている人間として芸見せなきゃ何をする、ということになる。
淡々とやるというのは職人気質
作家性、オリジナル、というのは作家の仕事

磯:
オリジナル作ると業界的には賞賛されないけどw
もともと業界として漫画をアニメ化するために作られた
みんな一斉にオリジナルを作ったら売れなかったりしたり
業界としてオリジナルを作るのに向いていないのか

杉井:
オリジナルをやる場合の業界の問題点は?
企画は?

磯:
自分で。
制作会社は全くのらない
門前ばらい
(衣がない)制作と(衣がある)製作があるのだけど
製作に持って行ったら、わりと早く乗った

(注:ennoeaさんに補足頂きました。どうもありがとうございました
http://d.hatena.ne.jp/ennoea/20080615/coil )

アニメータは言われた仕事やっていくという形しか歓迎されない
アニメ化するときに発生する制作費で食うというのが業界
オリジナルでどう広げる、というのが業界として知識がない。
個人としてやっていくしかない
原作者が監督をやるというのはやりずらい

杉井:
実際にやりずらかった?

磯:
それはいいにくいw
ラッパならないのw
原作者だと切れない
流れが上流、下流というのがあるけど、それにさからっている。

杉井:
でも作品って結果がなんぼで
ぼくも大学で学生に教えているけど若い人はみんな電脳コイルを知っている
テレビを見ない世代が面白い作品というと最初に出てくる
大変でもやっていって結果とれると後に残っていくというか
子供は中3

孫じゃなくて?
ええ
つっこんでいいのか微妙にためらわれるんですけどw(井上さん)

陽だまりの樹」でも、見ろといいっても10分で立ち上がって
子供の批評ってするどい
電脳コイルで、髪の毛がきれい、ということも言っていた。


途中でハラケンの髪の毛が伸びだしたことを思い出した

井上
それは本田くんの置き土産
キャラに飽きてきた、といってキャラ表を見ずに書くようになって
キャラデザが総作監やっているとそうなりがち

杉井
キメポーズを決めながら動きを作っていくのが普通なのだけど


劇場アニメを主体にやっていてキメポーズを書くことが少ない
特に否定しているわけではないけど、
中間ポーズから初めて中間ポーズから終わって

杉井
そういう人を集めた?

井上
監督がそういう人を集めたというのもある
磯さん自身が画期的な作画を始めて
磯さんにほれこんだ連中がコイルに参加した
そういうのが影響しているのかもしれない

若手でも押山くんとか、磯さんの仕事を知らなくて
僕がすりこんだりしたけどw


何すりこんだか知らないけどw

平松
私が井上さんをほめると同じようは反応するw

杉井
TV26本をまわしていくのにあるレベルでチームが統一されている
毎回、質のいいアニメーターを集められるの?

井上
実際、それは難しい
中核となっているメインスタッフのところで直して持ち上げていくしかない

磯:
実はかなりトメとかカット割りでごまかしているところは作っている
5000枚、少ないのは2000枚ぐらい
経済的には計画的につくったけど、計画的にはいかない
3話は作画的には何でもできるように作った、アクションばっかりで。
3話で、有望な方が大挙して入ってくるらしい、というので口あけて待っていた
ぱぷなんとか、というところは
今年中に終わるといっていたのに、次の年の末にあがってきた。
1年かかったw

井上
前の作品が押して遅れるというのは常なんだけど

伊東伸高さんとか、自分のキャラデザ、自分の作画だとすごい個性的
でもすごくあわせてくれて、なんとかなっていたりとか

杉井
10年ぐらい前だと4本から一気に落ちちゃうというのがあった。
そういうのはもう通用しなくなっている。
みんな目が肥えて、見る方が同情して見てくれたり
情報誌もいっぱいあって。
電脳コイルは、見る側からすると最後までクオリティが落ちるという感じはしなかった

井上
監督の鬼気迫るこだわりというか


ここは手をぬいていい、と言っていたけどw

杉井
磯さん自体がアニメータとして優れていることは見ていてもわかる
作画も、どこかで手間を計算する
それが計算できればしっかり作れて
それが計算できてないと、手間くっても効果がない
手の抜き方がうまいんじゃないかな

会場から質問
Q.伊東さんとかの作画が電脳コイルに似せてやったという話があったけど
磯さんも「ラーゼフォン」で磯さん節炸裂だったりするけど
A.
伊東さんもラーゼフォンで違うことやっていたりした
かなり無修正で流している
雲をなげたりするカットとか、とかげのしっぽ投げたりとか(?)
お前もやってただろいうということで

そのまま伊東さんの絵でというところもある
自分のなかで転換した時期があった
最初に演出やったころ
作画のみの力で何かを画面に残していくか、作品をこれ以上いくには
作品を壊す以外ない、というところまで言ったところがある。
こわしたところで作画には何も残らない
そこで迷ったことがあった
ラーゼフォンで迷った末に出た結論は、
アニメを作るという仕事だったら出来るということ
アニメータと演出家がそれぞれ自分のところで突き詰めるとどっかで止まる
作品じゃないところをやりはじめたら。
先に行くには演出、脚本をやるしかない。
本当にそれをするのか、と迷っていたのだけど
どっちにしてもアニメを作るということには変わりはない、
というように考えることにした。
その一点において、アニメーターと演出家とで目的は同じ
家より大きな窓は作れない、という比喩を使って言っている。
同じ立ち位置で作るんだったら道があるはず
でも納得できない人もいる。
各自が勝手にやっている方が伸びることもある。
そこでは、製作体制などもかかわってくる
そこは最初に、企画書、こういうのをやりましょうというときに合意を作る
最初と違う、とそれはできません、という話で。

杉井
電脳コイルんでいちばん力が入っているとのは脚本?


そういうわけでもない
ただ、脚本のときにいろいろ考えすぎちゃう
後でアニメータが何かをいれる遊びを入れなきゃと思いながら

イデアも皆で出したり
2ヶ月ぐらいチャットで

ヤサコがテントで眠ってミチコさんと会うというシーンは、
絵コンテまで書いたのに削るところがないということころでばっさり切った

磯さんから杉井さんに質問:
銀河鉄道の夜」の話を。あれが一番好き
どうやってああいう状態になったのか。
あの作品以来、杉井さんがなぞの人で
銀河鉄道を撮った人がストリートファイターをどう作るんだと期待して
見たら、なんてバカ映画w

杉井
銀河鉄道」は映画業界自体に対する挑戦というのがあった
映像で語る、という実験
映画言語とか。映画ってまだまだ語り方があって
賢治も語りがあって
そういう作り方があるんじゃないか
これまでは、わかるようにわかるようにと作ってきた
わかるんじゃなくて、感じるという作り方があるんじゃないかと
感じる領域に向かって発するつもりで実験的に。
今、宮沢賢治、「グスコーブドリの伝記」に挑戦している
(追記:ソースありました
http://www.g-tac.co.jp/taf_2008/2008TAF_top.html
http://www.animate.tv/nf/detail.php?id=0000002724

賢治で3本作りたいと思っている
銀河鉄道」から今で20年。次はまた20年後にw

磯:
演出はすべて杉井さんが?

杉井
そう
実は、本を別役実さんに書いてもらった
でも演出台本をすべて書き直した。
悪くてじゃなくて、アニメってやさしくしようとみんな書いてしまう。
そういうのは超えたいというのがあった
映画の脚本という意味でなくて、
演出家と脚本家の書く脚本とは違っていて
コイルではせりふとかシチュエーションの展開とか
脚本の段階で映画の世界ってほとんど出来ていたんではないか
鳥居とか最初はあれだったけど、現実世界と仮想世界とをつなぐものとして
というのでよく考えているなと

      • -

第2部
東さん http://www.hirokiazuma.com/archives/000410.html
山口さん http://www.h-yamaguchi.net/2008/05/614_8928.html


(お子さんは大丈夫でしたか、と聞かれ)
今はもう元気になった。コイルも普通に楽しんでいる
子供は2歳だけど理解している
デンスケが古い空間にいってオヤジが助けるところとか
ヤサコの家にいろいろやってくるところとか、
キョウコが古い空間に入っていくところが好きみたい
それに近いことを家でやっている
パンダコパンダとかも普通に見ているけど、電脳コイルもわかって見ている

山口:
駒沢大学で、研究の専門はファイナンス
仮想世界の経済というのに興味があって、コンテンツの経済とか
制度とかを考えたり
去年のアニメフェアで電脳コイルを見て、それ以来注目をして。
制作とかも興味が
メタバグの経済とか。
個人的には、社会の仕組みがヴィヴィッドに描かれていたこと
子供が縦割り行政と言うアニメがこれまであっただろうかw
メタバグの経済圏というのができている
あれはRMT
メタバグを買う大人がいるw

冬のコミケ電脳コイル本を作って、酒井さんとGLOCOMの3人で作った

磯:
鈴木さんからぜひ読めと進められて呼んだけど、字ばっかりだったw

山口:
個人的な裏設定があって
米軍の軍事技術から出てきて
猫目一派が地下組織化しているに違いない
それに対抗するメガシ屋がベンチャーでw

メガマスとメガシ屋が名前が似ていて
そこからメガマシ屋というのを考えたり

デンスケが商業的にいけるんじゃないか
子供を守るペットって、政治的にもいいんじゃないか
おやが子供を守るためにメガネをかけさせるように
ケータイとかと同じように

GLOCOMのときのARデモ
フィンランドベンチャーが街中でリアルパックマン
電脳コイルはARが町中にインストールされている状態


ARも、何のためにつかうかという問題があったところに
電脳コイルが放映されて、学者のおじさんにも好評でw

山口
どう使うか、というのだとファッションや化粧にという話がある
光学迷彩

電脳コイル」を語る意味
フィクションが、技術の認知に大きく寄与している
欧米のメトロポリス、われはロボット、ターミネーター
日本での鉄腕アトムドラえもん
欧米ではロボットを敵視している。日本ではロボットに親近感を持っている
日本では産業用ロボットに名前をつけてて欧米の調査員が驚愕したという話もある
海外でロボットでがんばっているというと無人の爆撃機とか偵察車とか。
日本だとASIMOとか。
西洋では打ち壊し運動とかがあって、そこからの歴史があったり
電脳コイルが日本で作られたことは、一つのチャンス。

あと、物の中に心を見出すような日本の特性もある。やおよろず。
ジャイアントロボでは最後、ロボットが主人公の命令を無視して彼を守る
デンスケも同じことをやった


もともと実現をしないと思ってお話を作っていた
できそうですよね、と言われて困った

山口
学会では、このシーンは誰々のこの研究でできる、というのをまとめてた
作った人は絶対技術のことを知って作ったに違いないと話していた。


何に使うのか、というのはやっぱり問題としてある
ロボットも、実際にASIMOとか出来たけど、介護ぐらいしか
都市全体をARで覆うというのは難しい
費用対効果を度外視できるところで。セキュリティとか?
テーマパークとかならあるかもだけど。

山口
ただ物語に描かれた世界をそのまま作る必要はない
最初に宇宙旅行を描いたとき、大砲で打ち出して、とかだった。
電脳コイルにインスパイアされて出来るものが何なのか未来を見て見たい


現実にあるタグに反応して何かが映るとして、それは何かという問題
濱野智史という若い研究者が「ニコニコ現実」というのを提案している
現実にみんながコメントを書いていく。ある場所にいくとみんなが書いたキターというコメントが見える
現実につっこみをいれる
現実対仮想という対立考えだからVRやARの議論がへんなところに行っている
そこからユーザが何ができるかを考えていかないと。どういうタグをつけるか


議論がまじめな方向に。。


この方向はまちがっているw


首の後ろに電流を流して身体を傾けるやつも面白かった

山口
後ろから車をよけたり、人を誘導するデモ


映像酔いするのを軽減するというのは市場があるらしい


茂木さんの本に、人間は現実を理解するのに頭の中で現実そっくりな
仮想世界を作ってそこから理解をしている、という話があった。


茂木健一郎について論評しようとして)
いやいや違うw


デンスケは仮想の中だけの生き物なのに、現実で抱きしめたりしている
あれはどういうこと?


最初迷った。どこまで必然性を説明するか
そこを解決する情報を入れてみたら、脚本がつまらなかった
電脳の身体とそれが損傷してプログラムが影響をうけるのは別


電脳の身体がなくなるとそこはNo Data
コンピュータはレンダリングしているわけで
でもメガネで見ているのだからわざわざレンダリングする必要がないわけで


アニメだしw
プログラムと視覚的な身体は同じである必要はない
われわれが考えている仮想というのは空間と一致している。
仮想の中の身体と現実の身体が少しずれている
仮想とそのまま置き換える方が強い

仮想現実と現実感がまじりあっているときに

カメラはメガネについている?
それっていいんですかね?
あれはメガネがないと見えない光景

メガネがなかったらイリーガルにさわらないと


メガネにも小さいカメラ
町全体に監視カメラで更新されている
それだけじゃなくて
スルーの映像も混じっている
現実そのままのも入っている
処理が追いつかないときにスルーを使う

5話でバスで穴が開いているのが見えなかった
そこで全部CGじゃないんじゃないかという話があったけど、
メガネが優先順位を間違えてつくった


あの世界は、メガネをかけている子供とかけていない大人が共存している
サッチーから逃げるヤサコを、かけていない大人が不思議そうに見ている
古代魚が見えない団地の人とか


メガネをかけていない世界は24話で初めて描こうと思っていた。
メガネを外したヤサコがめがねのない世界を感じる
その効果が減退しないよう、なるべくそういうのは描かないようにした

NoDataもはたしてうまくいくかな、と思いながらやっていた
あれは、ある種の自己暗示
イマーゴの暗示で自分が喪失しているような錯覚をもっている

イサコもヤサコに呼びかけられるまで、自分の意思を持っていなかった
逆に物理的なことになるとつまんなくなっている
イマーゴで意識が強化されている
本人の思い込みで

そこは24話でうわのせしている
でんすけが生きていると思うほどイサコがこっちに戻ってこれない、ということ

最後に
山口:
思い出したのは、
みんなメガばあの弟子だった、これってスターウォーズ
メガばあヨーダ説を。
ネコメがダースベーダー、しょぼいなぁw
ネコメはどこに行ったんでしょうね?
だから地下組織w


実は大黒市にいるんですよ


大人と子供の世界について語ろうかなと、思ってやってきた
電脳コイルはやりかたによっては子供の妄想というオチもできた
子供の世界の中でもっと大きな話にすることもできたのに


そうすると、ミチコさんがもっと大暴れ
すると、それを呼び出したイサコとヤサコの罪はまぬがれない


なぜ子供のままのがいいかなと思ったのはその方が物語的にきれいだから
大人の世界と子供世界とがまざっている
あれってセキュリティ的にありえない。子供が信号勝手に変えたり。


一応、大人代表のネコメとおばちゃんはを17歳ということで
子供の世界ということでそれは死守している


大人の世界と子供の世界とは
どこまでセキュリティをまかせるかというのと関係している
メガマスというわからないものが市のシステムに使われているのはどうだろう、
という話


空間がOSのような役割をしている
新しい空間にアクセスする権限をメガマスが持っている
しかし、古い空間が。
妥協策がおばちゃんを投入すること
彼女なら昔に失敗を犯したし、個人的に解決しようとしてくれるだろう
失敗してもしっぽを切ればいいだけだし
メガマスがイマーゴを公表するという選択をしたのはコイルズのせいにできるから
そういう大人社会の論理も背後にある
もしかしたら、ヤサ父は消されていたかもしれない
彼が生きているのは、切り札を持っているから


拡張現実という設定では、かけている人といない人で世界が違うということになる
大人は自分の中で解決して、子供は独立して解決している
2つの世界の間をどうつなぐか
別にしてもよかったのではないか


カンナが死んでいるから、それは難しかった
死んでなかったら子供たちが解決でよかった
死んでいると子供たちで解決できない


子供たちは自分たちの大冒険で大人たちに影響をおよぼした
ようなので盛り上がる
でも一方で、カンナの事件で、会社がつぶれたり
大人の論理でしゅくしゅくと動いている
そういう落ちもあるかなと。、
ヤサ父が事件に気づかないというのになっていればそうできたけど。
そうじゃなかった。子供の世界が大人の世界を変えるというので


自分的にもどう終わらせるか悩んだ
終わり方は30パターンぐらいあった

最初にやりたかったのは、
大人ではどうしようもないというのを子供たちがなんとかする、
というジュブナイル
ヤサコがイサコに呼びかけて事件が解決したということで、そういう形になんとか流し込んだ

                                                                                                                    • -

第3部
制作陣+野村さん

平松さんの10話+OP
グレンの前に終わっていた

OP、階段のぼるというのは?


平松さん。全部直したけどw
半分の階段は出す予定だったのが、そこまでたどり着けなかった
階段鳥居がみんななくなっていたのがあそこだけ残っている
電脳の階段が壁の中に続いている
そこにヤサコが向こうに消えていく
尺がなかった

平松
設定であった半分の階段を面白いと思って入れたんだけど
使われなくてw

井上
どのへんであきらめた?
後半のシナリオがいつまで待ってもあがってこなくて
みんなやきもきしていたのだけど


集中できないいろんな事情があってw
制作とか、人集めをしていたり

野村
23,25話にぎりぎり生かされている


壁の中に消えるというのをあっちに持っていこうとして
鍵穴じゃなくて
でも3回ぐらい直して

野村
むずかしかった
絵になりにくかった
カメラがふれなくなっちゃう
シナリオ上ビルの地下は出せそうになかった
23話に苦労して盛り込んで、最終話で入ってねぇ、と
25話ではOPを反転して同じ原画をつかっている

10話の公園の回想シーン


鳥居の外からの俯瞰は入れるべきではなかった、と今でも思っている
あれは、外を見せてはいけない

平松
地面に文字を書くとき、4423は右手で書いているのにヤサコは左手で
チェックしそこなった
どっちの手にきずがあるかという問題に

その後の缶を手に持ってしゃべるというのももめた。
最初は缶に口をつけて話していた
ラッシュの後で直した


ヤサコは、見える形でぶりっこなことはしない。
見えるかみえないかぎりぎりのところでぶりっ子なのがヤサコ

みんなが缶をごみ箱に捨てるシーン、
元のショットはごみ箱が網じゃなかった。作画が減るように。
向田さんがあとで落ちる缶を書きたくて
平松さんのチェックが終わったあとにw
25話の空中戦も向田さん


照れるヤサコのほっぺのマークがおかしい。
他ではブラシでやっているのに。
はずかしいことをはずかしくやる平松さん

そのあとの静かにうんち
のタイミングがおかしいw
あれは練られたうんち

井上
質問しても、批判したという磯さんw
何か屈折することがあったのかもw


もっと監督尊重しなきゃw

平松
コイル以前は?

井上
エヴァ
参加を断ったのを今も根にもたれている


忘れもしない国分寺のジョナサン
ロボット物を批判したと思った。
エヴァはロボットではないw

数回ぐらいしかあったことがない
おもいでぽろぽろで

エヴァのスタッフの飲み会は、誰が参加しているとかわからなくて
いちいち自己紹介せずに飲んでいた
平松さんと最初に会ったとき、飲み会で「僕のこと知っています?」と言われたw


ほめているように見えて攻撃しているw
ほめごろし

平松さん
井上さん大変だっただろうなぁと


みんな井上さん大変でしたねと言うw

コイルスタッフの紹介:座敷席に数人。覚えているのは、原画・作監の板津さんと押山さん、デジタルエフェクトの泉津井さん。

制作委員会の方
NHKの齋藤さん:
納品が一日前が当たり前という話がありましたが
業界では(TV東京でさえ)2週間前納品が慣例。

10話ぐらいから1週間前納品になった
自由研究を入れた。
やり方として、総集編をするか、マニアックなところで研究するか。
でも後者で突っ込んでいくと、これからとかぶるかも
電脳コイルに小中学のファンが多く
設定の難しい番組なので、自由研究ということで作った

秋口になったとき、口から血が出てた
胃潰瘍になっていた
これは電脳コイルに違いない
そこに山場がきた
電脳コイル総復習
25分で21話のをまとめたら、かけあしでとてもわからないものに
90分の総集編でもまとめられなかった
コイルが終わったら胃潰瘍が治った


徳間のみつぎさん
メガばあの名前がわたしの名前らしく、
#あと作品世界で何かを営んでいることになっているとか
原作がでます。
大阪のイベントでは小さなこどもがたくさん見てくれていた
ロフトにきて彼らの未来を見た気分

監督補高橋さん

Q。
磯さんの特徴、エフェクトの爆発は今までなかったけどどこから発想を
サイトを更新楽しみにしているけど。イラストとかの予定は
A.
フォルムは火山の爆発、溶岩の煙
王立宇宙軍のロケットの爆発はきっかけ?
庵野爆発は別
あれは丸爆発。
エヴァでは丸い爆発にしてくれ、と指示を受けた
王立では俯瞰のをやっているけど
でもどちらかというと火球が中心
動きの部分はオリジナル
フォルムは星野之宣のマンガから
写真をベースに書いている
巻き込みはこれまでなかった
途中で平面になる試した人は以前に
安彦さんが以前に踏み込んで
でも途中に力尽きちゃってる
正面向き
こういう向きの人はいない
俯瞰カットではやった、以外ではやっていない
あの人は爆発の人ではない

井上
こういう話は、同業者同士だとなかなか答えてくれない
どんどん質問してください

サイトに載せる絵、ブーツの人のは?
やすかわに間違って渡して
Wearable Computerの初期のスケッチ?
自分の絵を自分のを乗せるのはすごくエネルギーがいる

Q.
設定でのぶひこ3種類の姿を書いているけど
結果として出てこなかった
最初は予定がストリー的にあった?

最初から殺すことできまっていたようだけど
生きているという可能性はあった?

A.
いろんな理由
生きていると今度はイサコがどう自立するのかと
生きていたとしても‥という書き方に
流れ的には、思っていたのとは違う感じだった。
もうちょっと出てきたら出てきたでどろどろしていたかも。

最後に
野村:
コイルはおもしろかった
磯さんと仕事ができて

平松:
監督の考えいることをさぐる作業が面白かった
コンテをかくまでチャットをやりとり、雑談の中で
何を考えるのをさぐるのが面白かった
なぜ俯瞰がいやなのかとか
得がたい体験でした

井上:
磯さんは長年なぞだった
近づくことができた
もっと天才肌だと思っていた
もっとよくしよう、常軌を逸したまでにこだわる
それを見れて、ひらめきの上の積み重ね、貪欲さを垣間見ることできて

磯:
いろいろ言いたいこともあるけど
監督という仕事は他のスタッフと違うのは
全員とかかわるということ
みんな似たようなこといってるけど
スタッフの利害って一致していない
絵の期間を長く取りたいといって

両方を満足させることはできないけど
満足させるというのがあるとすると
それは作品が面白いということ
それを考えて作ってきた
納品関係とか言われたけど
その時々でベストな方法をめざした結果。
お客さんが面白いと思うものを目指すというもので。