テクノドリーム1

ディスカッションとしては微妙にかみ合ってなかったけど、富野カントクの問題意識はとてもよくわかる。還元主義が基本の科学でちゃんと扱えるのかという問題はあるけど。感想はまた書きます。とりあえずログを。
注意:以下は私が見聞きしたことを書き記したものです。発言者の意図を正確に反映していないおそれがあります。以下のブログも参考にしてみてください。


テクノドリーム1 08/06/13
/ 富野、下山、中須賀、内田


富野
(最初紹介されてから一言求められなかったことに対して)
東大のキャンパスに呼ばれて緊張して挨拶できなかった、と書かないように
ここまでくる間に、関係者に話をしてつかれきった
話そうと思ったことを全部話してしまった。
書き込みの趣旨を間違えないように

わけのわからないテーマだけど
巨大ロボットものの監督が語ることなど限られているけど。

内田:
逆シャアを見てスペースコロニーを作りたくて理系にきた。
その話を富野監督にしたら、ここ数年でスペースコロニーを作るのは無理と言われた。

富野:
10年ぐらい前、スペースコロニーを動かす人をリアルに描こうと劇を作ろうとしていた
そういうことをずっと考えながら、ガンダムを作り続けてきた。

スペースコロニーという構造で人が何千年も済むような構造体にはならない
円筒がまわって慣性重力1Gの空間が1000年もつか考えたとき
まず外壁として、宇宙線放射能の遮蔽のために鉛を10-20メートルの厚さ
で作る必要がある。それでも十分には遮蔽できない。
しかも出来るのは擬似重力。
工学的に作れるなら作ってくださいw

地球という球体で質量を持ってて、表面は秒450メートルで回っている。
我々の身体が音速以上で動いている、ということ

中須賀:
でも空気と一緒に動いているから

富野:
静かなところで、水平線が見える景色、作れるものなら作ってみろ
そういうものが地球
音速超えたスピードで動いていて、何も音がしない空間をつくれるか
宇宙ステーションのきぼう
エアコンの音がしないから静か、その程度
どちらに感性をふるか、が一番の問題
可能なこともある、工学が進む道も山ほどある。
けど、できることは限られている

中須
一番大変なのは鉛で覆う、放射線を遮断すること
回転する重量が重くなる
回転するのに耐えられないといけない
また、外は真空、中は一気圧、与圧に耐えないと
かつ、スペースコロニーを作るだけの物資を宇宙に持ってこないといけない
スペースコロニーが作れるようになるのは、地球から宇宙に物資を簡単に持っていける
ようになってから。
でも人間が宇宙に行くというのは止められない。自分も行きたい。本能的な欲求。
単に損得で考えれば、言っても意味ない。
つまらないし。きもちわるいし、汚いし、くさいし。
ミュールに乗った秋山さんはいたたまれない、という感想を言っていた。
ポリネシアなど楽園のような島でも、年に何人かは海に出て行っちゃう。
外の世界が見たいという人間の気持ちはとめられない。
フェーズの問題。
今はまず、宇宙に用意にいける道を作ること。
何がおきるか調べる。小さな衛星をつくるとか。

下山:
スペースコロニーの話で劇場版3部作を見てきた。
3000メートルのエレベータで地上に降りていく
そのときの回転は
100秒に1回転でないと1Gできない。
まあ可能だろう。
物理的に不可能という話がなければ人はニーズがあればできてくるだろう。
永久機関。科学的に不可能。それと違って
最近の材料だと自律的に修復するような材料も不可能ではない

内田:
IRTは少子高齢化を解決することを課題にしているということだけど

富野:
今日の話が、工学に未来があるか、ということだけど
東京大学でIRTというプロジェクトがあって、というのは全く知らなかった
HPを覗いて、ロボット工学を少子高齢化といった社会的課題を解かせる
というのはもっともだと思った。
まあ、若い人に迷惑をかけないように死んでいきますのでw

ただそこで、東大で○○先生がやっているというと、何をしているのかわからなくなる。
若い人が東大で勉強したいと思えるのか、そこにつながらないと。
もし何をやっているのかが外の人に伝わっていないのなら、ロボット工学やっている
やつば馬鹿だよね、ということになる。
こういう言い方もできる。人間ができることをロボットが代行するということは、
人間として何もせず劣化していい、と社会が認めることになる
社会、思想を広げているだけかもしれない。
ロボットだけ活躍してて人間が努力しない社会なんてだめじゃない?
今でも一般生活にロボットが入っていないのに人間はすでに劣化している。
工学論をないがしろにして、理学的な考えですすめるのは片手落ちだろう。
「片手落ち」って放送禁止だけど。
そもそも、人間という頭脳をわれわれはどう使っているのか、という問題。
感性、芸術、能力を使っている人間はどのように工学を行使しているのか。
今の工学は、技術論だけで、語っている
人型ロボットとに乗る子供を描けば描くほど気づくのは、
そんなものに乗るなんてろくなことがない、ということw
気持ちわるい船酔いどころじゃない。4輪のが絶対いい
ロボットの開発なんてやめましょうw

下山:
今われわれが考えているのは、次のようなシナリオ
20-25年までは働く人の構成はきまっている。
安定点にたどり着くまでに労働力が不足する状態になる。
そのときに使えるロボットができるとして、そこに至るために何ができるかを考えている
表現力の不足というのは大きいだろう
理科系だとやっていることが主にあって社会に発信する力が不足している
頭いいやつはそのぐらいちゃんとやれよ、という声もある。
たくさん作品を作るための力をどのようにつけるか
素養と教育。あと仕事。
小学校、中学校でアニメのクリエイターを目指しているような人に
(工学とは何なのかを?)ちゃんと伝えていくようなものも必要

内田:
打ち合わせで、若いときの工学的な教養を身につけないと大学に来る意味ないんじゃないか
という話が出てきた

中須賀:
学生に衛星を作らせている
ハンダごてもにぎったこともない、電子回路も作ったこともない
でもやらせると1−2ヶ月でできる。みんな素養はある
これまで機会がなかっただけ。
自ら作るより外からくる情報とかの圧力があって、作ろうという気さえなくなる
それはまずい。小中学で、機会があった方がない。
でも大学でやっても遅くない。
やればできる。学生たちを見ていていつも驚いている。

富野:
高校生に伝えたいことは次のようなこと。
物を作る、工学、の最前線にいきたいというのなら、
子供のころから物を作ることを知らないとできない、というのが持論としてある
作るといっても、秋葉原で部品を集めて組み立てるというのではなく
原理的なところで物をつくってほしい。
とはいえ、やってないから、工学に向いてないと思うのもやめてほしい
昔は人生が60年の時代で、60歳でも若いという言われ方はしなかった
今だと80歳まで生きることも普通。60で死んだら若い。
これは大きな問題を含んでいる。年齢についての考え方
今の30歳は一昔前の20歳。
今自分は、20歳代に青少年という呼びかけを使っている。そういう実感がある。
35歳までを青少年と呼んでいいと思う。
何人かに怒られた。でもやってるキャリア、ものの考え方が絶対そう。
65年ぐらい前には、15歳の少年が陸軍に入ると、訓練して戦地に行って死ぬという切迫感が
身近にある。なので本気に思って勉強していた。
20過ぎたやつは大人になって逃げていた
そのメンタリティ、切迫感を30歳代の大人が持っているか?

ここ20数年は完全な天国。
今みたいな言葉を正面から投げつけられて育てられていない。
もし投げつけれていたとしてもそれは切迫感がない。
上の世代がそもそもそういう切迫感を持って生きてないのだから。
東大に入ってから半田づけをしても結構。
そこから社会に出て行って遅くない。
覚悟が出来ていないのは個人に限ったことではない
自意識を持ってないかなり大きな法人がある
たったひとつの目的の事業でさえきちんと達成できない
大人になって社会にこの技術がどのように応用され利用され
ン千億の税金をかけて成功できてない。
技術論だけではない。
ロケットの話だけではない。後期高齢者というような文言を発明してしまう文科系
もそう。実社会に対して何をしなければいけない、というのを透過させて外に出す
センスを持たないといけない。
そういうことを、工学の問題として認識している工学者、政治家はいるだろうか、いない。
日本の国家にはすごい大臣がいる。
かたや食糧問題がある一方、増税でタバコをやめさせようとしている。
人口が増えてどうするんだ、という問題に向き合っていない。

下山:
21世紀の科学、工学としては
課題がでている。エネルギーだったり環境だったり少子高齢者だったり
子供が増えていくということではく、少子高齢者社会そのものがまずいという問題。
発信していかないといけない。
発進能力が弱いといのは認めなければいけない
これまでの工学は、ノーベル賞など、人類の進歩は右肩あがりという思想から来ている
少子高齢者とかにぶつかったとき、その思想を捨てないといけないのではないか。
工学が目指したものが、人が能力を失っていくものになっている。

富野:
ノーベル賞の対象になるような発明は、新発明新発見にかたよっている
平和賞なんかはわけわからん。
そもそも価値があやしい。
東大生になってくる理工科の学生の選出を教えてもらってびっくりした。
大学院生はみんなノーベル賞を狙うような研究をしている
ノーベル賞も旧世紀的な規範にのっとった賞でしかない。
文明は進化していくという思想に基づいているのではないか。右肩上がり論
無限論。果てしなく上昇していくという観念。
石油埋蔵量の問題を心配するようになった60年代。
そこですでにエネルギー、地球有限論というのがあって。
人間は10億年ぐらい生きていたいという欲望と照らすと、
経済的行為自体が悪だという考えにならずに。
エネルギー消費論にいっているのはなんなんだ、と
地球というシステムで考えているシステム工学の問題のはず。
制御工学も含めて、目の前のことをやるだけになっている。
効率よく死んでいくための技術を高めているだけなのではないか。
ということで、人間を劣化するロボットという話に。
一番効果的な解決法となると、みんな死んじゃえ、という話になってしまう
システム工学が目指すべきなのは、循環工学
永久機関が無理というのはわかる。でもそこを目指すべきでは。
工学ですまない部分もある
そこで自分は表現が下手、というのでは済ませられない。
他にも、金融工学といいながらサブプライム問題を起こしているわけで
中世のレベルで、科学的な高度に達成させる、という視点ではできない。

中須賀:
富野さんのような人ががーんと言ってくれることがまず大事で

富野:
それは疲れるからいい。
今まで勉強ができなかったのが
こういうレベルでしゃべるのは無理

中須賀:
われわれもそういう切迫感を持っていかないといけない
いつ何がおきるかわからないけど、地球がいつか滅びるのは明らか
危機感を持たないといけない

富野:
エネルギーと食糧問題はあるけど、それよりも
向こう三軒両隣の人の数の多さがある
3年先との暮らしが見えてない
地球レベルでは食糧危機という話があるのに、国家は輸入米を備蓄している
そこに何かを感じる感度がまず必要
それがあることで100年ぐらいは人類が滅びるのを先延ばしにできるかもしれない
今のネットの話にしても、例えばYahooがGoogleと提携を結ぶというニュースがあった
けど、彼らがネットの電力がどこまで維持されるかということをどれだけまじめに
考えているか。
経済の話にだけ落ちているという現状では中々システム全体の話にならない。
こういうことを考えると半日後にうつ病になるので、なるべく考えないように
しているのだけど。

下川:
世界レベルの課題がたくさんある
そのうちのいくつかは、日本が優位な技術力を持っている
レギュレーションで解決する、あるいは倫理で解決する、というのもある。
日本が課題を解決することができればそれを世界に発信するチャンスになる。
課題をネガティブに考えるのではなくて

富野:
世界にということだと
日本ほど西欧の文化をうまく咀嚼してとりいれている国はない
仏教とキリストの倫理観、システム、一神教多神教ということをみんな飲み込んでいる。
これにあと、イスラムのある部分を飲み込んでこれれば。イスラム教の人は総人口の1/3いる
キリスト教イスラム教の文化圏の彼らすべてに提供できるようなシステムを投下して
いかないといけない
日本に生かされているわれわれは稀有な人々(民族ではない)
そういう技術論は打ち出していけると思っている
宇宙開発も、アメリカの資本力一神教的な部分とがたまたまマッチしているから彼らが主導している
でも、一方でアメリカの保守ぐらい硬いやつはいない
パスポートを持っているのが30%、外に出たことがないのが80%
そんなのが世界の警察を名乗っている。そんな奴らがうまくまわせると思う?
そういう部分まで工学がまわす必要があるのではないか
宗教や経済を使わずに世界をまわす方法。

中須
日常から気をつけないといけない。
システム論では、ローカルに見ない
まわりで余計なことが消費されていたらそれは損
広げた範囲で、それがいいのか考えないといけない
さらに広げて世界、宇宙、という視点で考えていかないと

富野:
火星ぐらいまでの軌道上を人間の生活文化圏として考えるべきかもしれない
そこから見て地球をあと10億年使うにはどうするか。
たとえば、プーチンみたいな人を宇宙から地球を見させたら
エネルギー政策変わるよね

下山:
冬のある日石油ストーブで25度にするのとエアコンでするのとどちらがエコか。
答えはエアコン。
石油は、温度をあげるのにエネルギーを使う
エアコンは熱を移動するのにエネルギーを使う

内田:
循環工学
なぜ工学なのか

富野:
人間がひとり空気をすって生きている、熱を発散している
それが温暖化現象の原因にさえなっている。
地球環境と親和性のある存在でなくなっている。
人類ほど凶暴な種はいないというレトリックは正しいと思う
それを地球環境的にどうするか、
文学的、SF的着想で切り捨てるのではなく。
渋谷を見てげっそりした、ギレンだったらほろぼしているw
「たてよ国民」といったとき、国民の側によって違ってくる。
共産主義国家の核は悪、資本主義国家の核は善、と言っていた時代があった。
それを広めるのが政治、そこにフックが
知、言葉の行使に気をつけないといけない
そこに工学という、リアル、客観的視点を持って攻める言葉遣いを獲得して
いかないといけないのではないか。
循環工学、あるいは地球工学、というのを確立しないといけないのではないか

年寄りが、自分が死ぬでもいいと思えるときの、その具体的な形がある
それは、我を継承してくれる人がいるとき、次の我があれば死んでもいいと思える。
我が死に絶えないこと、それが究極の夢だと思う。
人がそういうものであるとしたとき、それを支える基盤として工学があれば
地球という物性を考えたとき、こんなにシンプルですごいものはない
なぜ人類は戦争を続けているのか、というレトリックがあるが、
これだけの人口がネットを使っている消費量と、戦争の消費量と
どっちが高いかというと、ネットのエネルギー消費量の方が大きいわけで。

中須賀:
ぼくらだけじゃなく、工学者一同として受け止めないといけない
キーワードとして、ローカルに見ないこと
ナショナリズムの是非にもつながる、文科系的なものにつながる

下山:
循環について、地球がまわっていくには
正しい考え方、知識が必要、全体に基づいた考え方、予測
イデオロギーに関係なく発信することが必要
表現は重要な話。
私はアトム世代だけど、
学生さん、海外からくる人はみんなガンダム世代。
みんな優秀
発信ができている。

ナノテクはものすごく発信しにくい
そういうのを含めて、
富野監督と工学部とでコラボで将来の地球、日本はどうなるか、というのを考えたい。
メディアを持っているので駆使して発信していくようなプロジェクトをすすめたい
と思っているのだけど、どうでしょうか?

富野
びっくりしている
面白がっちゃう人なので、よろしければ。
外交辞令、謙遜でもなく、お手伝いさせていただきたい。
こわしちゃいけないのねw

(10分間休憩)


三洋電機 田端氏、東洋エンジニアリングの内田氏を加えて

エネルギー 田端氏
100年たつと、CO2量は倍になると言われている
温暖化
シミュレーションすると、6度あがる
南極の氷が溶ける、水位が10メートルあがる
巨大ハリケーンの頻発(台風が出来る最低気圧が下がる)
世界の電力消費16兆、アメリカ3兆、日本1兆
どう解くか
日本の持つ技術
太陽光発電
電気自動車、ハイブリッドカー
光触媒

内田氏:
カタールのラスラファンで天然ガスを原料に
石油(類似)製品を作るプロジェクト
精製のプラントを小型化、船上でも。

富野:
実業にかかわる人が今みたいなことが言えるのは実務、そこでなすべき意味を知っているからいえる
大人なら言えて当然
自分の行動アクションが社会にどう反映するか、それほど自覚することなく生きているのが普通。
本来社会はそういう人の集団
最高学府で学んだ人はそうであってはならない。義務規範をもって社会に臨んでほしい。
戦後60年の歴史でまちがってしまったと思うのは
民意、民主主義を大事にする、というのがあまりに大きく理解されてしまって
ネット社会になって本来人々という大衆に意見を述べるだけの能力がないのも
かかわらず意見陳述できるという掲示板の機能が、心性をも侵しているのではないか
道徳、社会的規範という問題を改めて学習する必要があるのではないか
人類が増えすぎたことの弊害かも。
人が増える、というのはかつては富国だった。
国を広げるのは善としてあった。
覇権主義という主義というものがわれわれの中に息づいているのではないかと思う。
常識をよき方向に収斂していく術を獲得していかないといけない。

下山:
会社は社会に対して責任がある
社会に貢献するように企業がよりすすんでいくのがいいと思う

中須賀:
企業にすすむのに最低これだけが心得るべきというのがあれば。

内田:
世界の人口が増えているとはいえ、半分死ね、というのは言えない。
日本の人口が1.2億。2100年には4500万人になるという推計がある。
世界でプレゼンスを持つのは、資源、金融、ものづくり
日本がプレゼンスを持つにはものづくりしかない。
これから持続可能な社会を目指すには、将来の人の可能性を損なわないように
今の人のニーズを満たさないといけない。
期待するのは、工学の人たちが世界の課題を解決しないといけないということ。
将来にわたって日本の地位を保つような人材であること

田端:
ずっと大学にいたかった。与えられた問題を解くのが楽しかった。
大学院に行って、自分のやっていることが世界の何の役にたつのかと思った。
外に出たくない、というのはあるけど、外に出た方がずっと面白いというのを知ってほしい。
あと、お金儲けを考えたくない理系の人が多い。
やっぱり自分が新しいことを作ったとき、それでお金儲けをすることを喜びに思ってほしい。
アメリカ人がすごいと思うのは、つぶしたことを自慢すること。
日本人は、会社を興して失敗したとき、汚点に思ってしまう。

富野
その心を思っているのが間違わせないのに必要なのではないか。
人の役に立ってお金持ちになったとして、
ガンダムで番組作っているより今の方が年収がいいww
困ったと思いながらとってもうれしいw
あまりしたことない話だけど。
お金儲けがなぜ気持ちいいかというと、安心を手に入れられる
すると、うれしいという感情が一人だけでうれしがっているよりも
お金があるという背景があってうれしいというのが、背後に自分を支える
人がいるという安心を手に入れられる。
自分がここに住んでいる、という保障、日本にいるということの保障となる。
よろこびというだけだとお金は関係ない。達成感の問題。
三人ぐらいに本気でうれしいというのとは桁が違う
知らない人に喜んでもらうのは決定的に自分の自信につながる
これは決定的にうれしい。
そういう経験をしてはじめてわかることが
時部だけで気持ちいい。マスターベーションの狭さを本当に実感できるようになる。
本当にうれしいということはきもちよくて、自分の力になる。
安心して死んでいけるという感触につながる。

下山:
直接的にお金をもうけることでなく、何かを成しえた成果としてお金が手に入る
というようになっている。
日本は世界の工場になれない。人が少なくても元気に生きていくには何が必要なのか
ライフスタイルを持ち、文化を持ち、それが何かの基盤の上になりたっている、という
コンテンツを持つことが重要なのではないか

富野:
今の話で、ひとつかちんときたw
人口が減るということの危機感が先行している、それはオールドタイプ的
人口が明治維新のときは3800万。人口が少なければ文化ができないというのはうそ。
右肩上がり論にまだ汚染されている
ある程度の緊張感だと思えばいいだけではないか。
そういう時代になったとき、それをあるべき形としてコモンセンスをどう構築していくか。
ガンダムエース枝廣淳子さんという方と対談をした
(参考:http://www.es-inc.jp/lib/archives/071009_134630.html
そこで彼女は次のようなことを言っていた。
ごみ問題は今だと解決するのは不可能。でもそれは人類がニュータイプになるための
試練が与えられたのだと考えれば。

中須
右肩上がり論、便利になればハッピーという思考に汚染されている
ネットで便利になったとき、自分で考えることがなくなる
自分で答えを見つけることのハッピーさがなくなっている。
便利さだけでなく、技術のニュータイプを考えていかないといけない

富野:
一つの古い言葉がありますよ
永久機関

中須賀:
自分が何があるとハッピーなのか、という自分の感性をつきつめていく。
そこから工学が進むのでは

内田:
どんなのがニュータイプなのか

田端:
なぜ日本の技術がグローバルスタンダードにならないのか
日本語という限界があるから
あいまいで便利すぎる
ボキャブラリーが豊富

富野:
八木アンテナの発明がある
日本が無視したものが世界中で使われている。
原理原則を発明して、実用をおよそ考えないという癖がある
技術を売って金儲けできることを考えればグローバルになる

田端:
でも日本語じゃだめということ
世界に向けて発信できるような語学力。
それが技術のニュータイプのひとつ

内田:
日本はいいものを作るしかない
いいものというのは、人々に受け入れられるということ。
技術的にいいものでも、そこで留まっては先につながらない
たとえば、iPodiPhoneは、持っててうれしい。
日本人は、金儲けというのを口に出すのが恥ずかしい。
しかし儲からない企業は社会的に価値がない
工学の人には活躍の場がいろいろある。そこを見つけてほしい
中須賀さん、下山さんは、企業に行ったらきっと使い物にならないw

下山:
そもそもの趣旨は、駒場の大学生を励ますということ。
そこで言おうと思ったのが国際性ということ。
大学でも外にでるシステムができてきている。でもそういうシステムを使おうという
学生がいない。
違うカルチャーを知る、友達を作るというのは大きな意味がある。
たとえば、ロボットの話でも世界によって受け入れられ方が違う
産業として出て行くには、そういうことを知ってないといけない。
ぜひ国際的に展開するというのが重要だと思う

富野:
国際性を身に着ける意義とハリウッド映画がなぜ世界中で受け入れられたのは
アメリカ資本、ユダヤ資本
いろんな民族が集まってつくらなければいけなかった映画産業という構造があった
そこでは、言葉が通じなくても、通じる物語を作らなければいけない
という計算があった。
技術、アート、あらゆる表現は多くの人に享受されてこそ意味があるのならば
いろんな多様な文化に通じるグローバル性を持たないといけない
さまざまな文化を受け入れてきた日本こそがそれを可能にするのではないか。