ICCリニューアルオープニングシンポジウム「ネットワーク技術が変える知―情報化にともなう課題と展望」

最初の北野さんのプレゼンは刺激的だった。共生というのはみんな考える概念だけど、もうちょっと突き詰めて考えると面白そう。あとはやはり、オーソリティとか信念とか昔ながらの概念から抜け出せないところが残念。速記したメモを。

注意)以下のメモは私が勝手に書き取ったものであり、発言者の意見を正しく反映していない可能性があります。誤字脱字は後で直します。


・大向氏
未踏ソフト:Semblog -> glucose
検索エンジンは万能か?、今のところWeb文書検索エンジンでしかない
適切なクエリーを思いつかなければ?
文書の集合の中からすくいあげるのは依然として人間の仕事
次世代の検索とは? コンピュータが答えを作ってくれるというのは理想像
Semantic Web: Webのドキュメント上にコンピュータが理解可能な意味を埋め込む
..次の処理が可能/デッドロックに陥らない
オントロジー
Semantic Web: 異なるもの動詞をつなぐためのルール・技術の集積
RDF:人間・コンピュータが理解可能な論理
XML:人間・コンピュータが理解可能な文法
今のところ、RDFレベルまでは実現=ブログによるRSS配信・収集
オントロジーの実現可能性
・世界の知識を網羅した辞書は作成できるのか?
Blog, SNS, Web2.0: コミュニケーション基盤としてWeb

Wisdom of Crowds
フラット、表記ゆれ、誤字、同義語・同音異義語
それを構造化したり体系化したりできないか?

Googleは最近変わってきている。広告主に合わせて表示のシステム
今入札している。経済的なシステムの意味も検索エンジンが持ち始めている
それが社会的に動いている。
ソシオの中にそういう経済活動が入ってくる?

今のところは、ミクロなもの
逆にマクロなのもある ex. SEO
GoogleGoogleのランキングを制御できないところまでいきかけている。
検索エンジンが市場性、社会性を持つというのはありそう


・松田氏
本をオブジェととらえた活動。
=本のたたずまいで何かを表現したもの
西洋の書物の歴史をひもといて説明。
古代ギリシャの本:板に蝋を張って、鉄筆で書く、ひもで結んで
あるいは巻物
冊子本ができてきた。両面に文字が入った第一歩。
それまでの文書の書き方は、音読を考え、朗読のためのメモとして。
改行はない。同音異義語をそのまま書く。
フランク王国シャルルマーニュ王が書き方を整備。",.()"など
キリスト教の勃興は本の普及に大きく寄与。
省略文字が使われたり。
写本
写本→
文章の外の装飾で内容をばかにした内容を写本する人が書き始めた
#インターネットに似ていると主張している人も
紙の供給が足りない→文字を圧縮するように→ゴシック体の登場
周りの装飾も華美に
アラビア数字が使われたそこで数字も圧縮されるように。
グーテンベルクの登場。活字の登場。42行聖書。
ヨーロッパ中に印刷所が。書体を印刷所が工夫しはじめた。
イタリック体の登場、ファミリーという概念
イリアム・モリス:空白の問題。
最終的にどんどん真っ黒に
読むという以前に、見るもの、美術工芸品を目指すように。
タイポグラファー(バスカービルという人)が文字(ローマン体)を発明
文字組の歴史。階段状に組んでみたり、マラルメの本は9種類の書体を使って。
未来派のマリオッティ、アポリエーヌなど

オブジェの話
洞窟画、記憶で書いているのでデフォルメされていたり。
石器時代にはシンメトリーが出てきて象徴的な図柄が出てくる。


遠近法の反動があったり。


ものの意味を与える、という意味で、黄金比とかすごく影響をおよぼしている。

自分の中にアイデンティティを探す。その中でいろいろ意味をつけていく
その中でツールのひとつ

・北野氏
System biology
生物の中の原理原則を見つけたい。ロバスト性に注目している
あるものにロバストだと、別のものにはとても脆弱になってしまう。
同じようにperformanceとResource demandにもトレードオフがある。
それを定式化したい。
種の分化などいろんな現象がある。記述は難しい。

例)飛行機。とてもロバスト、エンジンがひとつ止まっても気づかない。
でも、電源系が使えなくなると飛べなくなる

Web:
ノードのFailureについてはとてもロバスト
スパムとかウィルス(おかしな機能をしている場合)には脆弱

Web: 図書館になっている
そこでの新しいサイエンスの形はないか?

コンペティしょんがないと進化がない。そこにどうゲーム理論やらが関わるか
考えている。
self extending biosis: ロバストネスをあげていくときに
共生進化はないか、考えている。
進化上のイノベーション共生によってなされているように感じる
他のバクテリアのゲノムを自分に入れて新しい環境に進出するようにする
ミトコンドリア
アブラムシ・ゴキブリでは、細胞にバクテリア共生している、卵子に!
人間の体内すべての遺伝子の99%は体内のバクテリアのもの
ダーウィンメンデルのような選択による進化とは別
なら、Web以外のものとの共生があるのかもしれない

脆弱とロバストネス
ネットワークの脆弱とコミュニケーション内での脆弱性
同じようで違うのでは?
ノイズなのか意味があるのか、というのとネットワークの安定性とは
構造が違うのか。
HWとコンテンツのトレードオフは違うのは確か。
HWではノードルータのfailureはある。どうにもならない
Webではその上のソフトがいったいになっているから切り離せないという
ところはある。
知識では、ノイズ/.知識はよっぽどのことがないと問題ではない、がそれが
伝播すると経済的なダメージがある。
生命に別状はないけどスローダウンする。

mixiでのスパム日記
それをはじめて経験した人は大慌てしている。
知っている人はほっておいたら、mixiはとまらなかった。

文字列では区別不能。そこでデマをとめて、なんてメカニズムはできるのか。
信頼というのは相手に対してするのだろうけど、大本に悪意があったらわからない

動画共有はリッチになっていいけど、キャリアにとっては大迷惑。
レイヤー同士がトレードオフを起こしている。


つながるというのはどういう概念なのだろうと考えていたが、
自然に編集という概念が浮かぶ。
松田さんの本の歴史は、
ものの存在感としての本であると同時に編集=人がどう関わって情報を形
にしたか、という話だった。

人間存在自体が編集的である。見たいものを見て聞きたいものを聞く。
RNAの役割も、余分なたんぱく質を作らない、というのがある、それも編集。
インターネットの誤字脱字、重複は大変。ものを作るには編集というのが必要

科学というのは編集の歴史だった。科学雑誌
今は生のデータWebにのっかるようになって
今の共同体って科学の
科学でも分野によって違う。
数学、ジャーナルとかあるけど、プレプリントまわしてそれでオッケーなんてところがある
逆に生物は、競争の世界で、Nature,Cellに載るか、というのがすごい
編集者はドクターとって何年とかいう人がやっている。完璧でなかったり。
それなりに選んでいるけどperfectではない。
ファッションジャーナルに載ることに血眼になっているといい研究ができなくなってたり
みんなブランドほしい。いいところにpaperが載ることに執着している
サイコロジーの影響の方が大きい。
オブセッションが働いて、動いてたり。
インパクトファクターを重視するとそうなってしまう。
逆の判断をし始める。今の日本はそうなっている。
そうなってるとすごい研究はでなくなる。
そのコミュニティのあり方がいいかどうかわからない

ネットワークの複雑さは一端を示している
ある種のコミュニティ、評価、評判を定量的に判断できなくなる。
研究する人は、何を信じて生きている?

物理だと、ファンダメンタルなものを理解したい、という欲求で。
今評価をうけるかはあまり気にしていない。

知識論のお約束として信念の重要性というのがある。

自分でこれが面白い、というのがまず重要。
同時に歴史的なコンテクストって重要。

Web2.0に対して困ったと思ったのは、どうもコンテクストが欠けているという気がする
スパンが小さくてやだな。
2つあるように
今までためていた知識を開放して何が起こるか楽しみにやっている人たち
何か出てきたからとりあえずmashupしてやっている
それが両方いるからこそ、動いている
いままで情報をためる努力をしていた人への敬意が足りない、というのが
2.0の気持ち悪さがある

個人の信念とWeb全体の信頼感はどうなのか。
メタデータが付与するほどあいまいになる可能性もある。

メタデータの字だけ見ていても、どこまでみても正しさはわからない。
Webでずっと見ていると、その編集者がずっと何をやってきたかというプロセスが
見える。
Web以前は歴史上編集権というのが一般開放されていない。
それが開かれて、みんなが表現している。だから玉石混交になっている。
これが5年経つと、答えが出てくるのかもしれない。

科学的なのがあとで社会学になるのと同じなのかも。

科学でも正しくない論文をコミュニティが見つけて、中の知識になっていたり。
それがメカニズムとして顕在化するようになると。

記述が正しいか、トラックバックみたいにフィードバックできれば。
今の出版はそれをフィードバックする仕組みは難しい。
なかなかそうはならない。わけもわからない人もいる。
マジュリティが正しいわけではない。

直した方が間違っていることもある。みんなが正しくないと思っているものが
実は正しいというのはざらにある。

権威の問題と結びついていた。
民主的になったけど、何が権威なのかわからなくなった。
オーソライズされた知はどこにあるのか。

被験者を2グループにわけて検索させて、結果。
正しいかどうか質問。
1グループはGoogleのロゴつき、もうひとつはわけわからない方。
有意な差でGoogleの方が正しいと指差す。
全ての環境がオープンになっても、人はやはりオーソロティを求めている。

Web上の発見、というのがこれから出てくるのか。
膨大な情報のなかから見つけることが価値になるのかも
文献を見つけただけで成果といっている歴史学者のように

間違った本もWebとの中で淘汰されるのかも。


スケール感がWebのものは相当変容してきているのかも。
Webが成熟して、便利になった。やれることが変わってきたのは確か。その程度
根本的に違うスケールの話をするなら、Webから離れた方がいい。
Webに書いていることは誰か思いつくこと。そうじゃないことをやりたいなと思う。
道具としては便利だけど、そこにあるコンテクストに沿ったことをやりたいとは思わない。

スケール感を感じることはそうない。検索件数を見ても体感することはない。
結局、ブラウザとの1対1の関係でしかない。
SNSで何十万人いるというけど、画面は一緒。
Webって結局1対1じゃないの。
本屋でみんな本を手にとっているのを見るのはわかるけど、
そういうのをWebではできていない。
他者がいるという感をいかに見せるか、というのをやりたい。

メディアアートで、メディアの新しい技術を使えば使うほど説明的になってきている
コンセプチュアルアートはみんな、説明的・知識表現になっている。
フランスの展覧会。アーティスト本人がしゃべり始めたり。
知識表現は、共通のテーマになってきている。どんどん先鋭化している。

アートが異なる分野の人とつなげる形になるように。
プラットフォームができるといいなと思う。

会場から質問
Q. (朝日新聞の人)
編集をやってて思っているのは、世界の中心をさがして、あがいている、という形。
基本的な視点の変換ではないかと思う
天動説から地動説に。誰がどっちから見るか、によって違ってくる。
アーティスト自体が
Webが決める、というWeb2.0も、Google=太陽から自分から発信しオーガナイズ
する形になっているのでは。
A. むずかしー
ジャーナリズムとは何のか言ってもらうのがいいのではないか。
うそは書いてないけど本当のことは書いていないというのはある。
学術と一緒で、編集によって重み付け、記者クラブによってある程度
基本的に間違っている場合もある。
ジャーナリズム=情報を圧縮してアクセスしやすくなるように提供する、というのだと思う
Webで検索しているというのと同じことを、記者をかけてリスク分散してやっている
システムだろう
なぜ新聞を買っているかというと、正しいだろうと思っているからだろう。

学術のジャーナルの場合、エディターが勝手に論文を書くというのはない。
エディターは自分から
新聞は新聞社の記者が書く。外聞の人間ではない。第三者が書くわけではない。
根本的に新聞が出る構造と学術ジャーナルとは違う。

信用のシステムもジャーナリズムのものと新聞とは違う
たぶん一緒には議論できない。
本を作る場合はもっと違う。信頼感でなりたっているシステム。
それはまた違ってくる。
ものとして残るというのは依然としてプレセンスがあるだろう。

現代美術館でやっている展示。巨大な女性がベッドに眠っているもの
にすごい衝撃を受けた。

我々が見ている質感、実感って物凄く大きい。
視覚文化の中で、触覚に美があるといった千利休はすごい。
もっとストイックに、本はなってほしいと思う。
少品種少量生産を目指すとか。