ミネルヴァの小さな梟

差異は意味の断絶を生み、意味の断絶は謎として取り上げられ、観測者は謎に惹きつけられる。謎というコンテンツが、複数のコンテクストを生む。

意味の断絶というイベントに対し、受け手は自ら物語を創り出していく。差異が解消され安定に至るには、断絶が謎として力を帯びる必要がある。それにより可能性(=物語)が観測者によって検証される。


探偵小説と二〇世紀精神 (キイ・ライブラリー)』は、探偵小説作家が如何に脱構築的な手法で(特にアガサクリスティが「そして誰もいなくなった」「シャム双生児の謎」で)お約束に差異を発生させ、読み手をミスリーディングさせていったのか説明していた(まだ1/3しか読んでないんですけどね)。

夢野久作は「すべての近代小説は探偵小説である」と言った。『メディア・シンドロームと夢野久作の世界』は、夢野久作の産み出す謎がメディアの中の情報の匿名性と深く関係していることを喝破していた(立ち読みしただけなので嘘かも)。

理解に至るには、謎という通過儀礼が必要らしい。

探偵小説と二〇世紀精神 (キイ・ライブラリー)』は、謎=いくつもの可能性のある状態=ことばと意味が結びついていない状態、という。ITにおいて、データベースを参照しことばと意味を結びつける行為を、検索と呼ぶ。このアナロジーが何を意味しているのかはまだわからない。ただ、探索に通過儀礼なんて大仰さがなくなっているなら、こちら側で断絶を謎として動かしていくしかないのだろう。