香取神宮・佐原の秋祭り

佐原の秋祭りにあわせて、香取神宮に行きました。

香取神宮は最寄の香取駅から徒歩で20分ほどです。駅を出て左に曲がり、踏み切りを渡ってしばらく道なりに行き、香取神宮の大きな看板の立った交差点を突っ切った先で左に折れ、路側に木製の小さな鳥居が並ぶ細めの道を登って下り、境内に沿うように左にカーブしていった先にあります。佐原駅から佐原循環バスというのが35分に1本の間隔で出ているようなのでそれに合わせるのが楽かも。駐車場がやたら大きく看板も大書のものが多い。車で参拝する方が多いのでしょう。

朱色の鳥居をくぐり、かえでなどが両横に生い茂る参道を歩いていくと、巨大な楼門が見えてきます。

 

武蔵国神社めぐり

 天気もいいので、武蔵国一ノ宮など神社を巡ってみました。

戦艦武蔵は、大宮の氷川神社、原宿の明治神宮および東郷神社の3社の艦内神社をもっていたらしい。氷川神社は大宮駅から徒歩10分ほどにあります。参道が本当に立派で、トンネルのような並木道がまっすぐに続き、間に大きな赤鳥居がいくつも建っています。道はアスファルトの舗装ではなく、ならされた土の道で、わりと人が歩いていたり自転車に乗ったりしています。

境内に入ってすぐ戦艦武蔵の碑がありました。最近できたものらしい。参拝客は多く、特に七五三で着物で着飾った親子連れがあちこちに居ました。正面の唐門は綺麗な朱色で立派ですが、中の拝殿は意外につつましい。七五三とはいえ普通の週末なのに、多くの参拝客が並んでいたのでびっくり。

行きは最初神社の反対側へ出て、ラーメン屋の並ぶ通りでつけ麺を食べたのだけど、帰りは商店街の方へ折れ、まっすぐに駅に戻りました。神社近くは参道として参拝客向けのおしゃれな店も多いのだけど、駅近くは下町っぽいというか路地裏っぽく雑然としていて、大宮って割とカオスな街に思えました。

次に府中に向かい、多摩の艦内神社である大国魂神社に行きました。神社はJR府中本町駅のすぐ横にあって、通りはさんですぐのところに、車で入れる入り口があります。正面の門は少し奥のところにあるので、さぼってそこから入ります。

そのすぐのところに、多摩の慰霊碑が建っています。立て看板によると、戦死者慰霊祭を10/25に齊行するとのこと。10/25といえばレイテで、多摩といえば小沢艦隊、というのは直近の艦これイベントで学習済。

境内はなにやらカオスでした。社務所はコンクリートむき出しのビルだったり、と思えば櫓が立っていたり、狛犬は苔むしていて愛嬌のある顔だったり、門は新しく建てられたようで綺麗なのに、本殿は古めかしくて、でも屋根は銅版だったり。まあ、昔のまま残っているものは限られているのでしょうが、地元の崇敬を集めているのは伝わってきます。

宝物殿にはくらやみ祭のときの大太鼓が展示されています。3-4メートルはあるでしょうか。氷川神社、小野神社などの武蔵六社と、総社である大国魂神社それぞれの太鼓があります。2階には多摩関係の展示もあります。乗組員総員の記念写真は一見の価値ありです。

その後、京王線聖蹟桜ヶ丘にある武蔵国一ノ宮の小野神社へ。歩いていけるかなと思ったけど、中河原まできたところで足が痛くなったので、一駅だけ電車で。府中本町駅の少しいったところに、線路を渡る橋があるのですが、その先が閑静な住宅街になっていてなかなかいい感じでした。近くには新田義貞にまつわる分倍河原古戦場の碑もあるそうで。

小野神社は駅から20分ほど。神社を囲むように道がくねっていて、わりと行きづらいです。駅の南に出て、線路を渡って行く道の方が行きやすそう。ほぼご当地の神社みたいな境内で、ひとけもなく、特に見るものもありませんでした。南北朝時代の「神道集」を根拠に小野神社を一ノ宮としている(大国魂神社的には)ですが、室町時代以降に氷川神社を一ノ宮とする書もあるそうで。

立石寺/米沢

宿での朝食の時間もあって、この日は、立石寺と米沢のみの観光となる。当日の予定は以下の通り。

  • 肘折温泉10:00→新庄10:55
  • 新庄11:40→羽前千歳12:45
  • 羽前千歳14:04→山寺13:15
  • 山寺14:57→山形15:17
  • 山形15:24→米沢16:17
  • 米沢20:12→東京22:24

本当はもっと早く出たかったんだけど、肘折温泉発がこれしかなかったんですよね。

新庄は冨樫義博の出身地ということで、彼のデザインした「かむてん」というマスコットキャラの絵がバス停に飾っていました。3頭身のじっちゃんの天狗なんですが、一目見て冨樫なんだけどいい感じに愛らしいのがさすがです。新庄には新庄公園とか観光できそうなところもあるのですが、微妙に時間もなく、昼近かったこともあり、山形の代表的な駅弁である牛肉どまんなかを買って、列車が出る前に食べてしまいました。

立石寺のある山寺へ乗り換える羽前千歳の狭いホームは、観光客でいっぱいになっていました。立石寺芭蕉の句でも有名とはいえ、山寺という駅名も大胆ではあります。

駅を降りると、せり立つ山壁にお寺の屋根が見えます。登山口とある石段を登っていくと、根本中堂があります。賽銭箱に布袋像が載せられていました。肩や腕に小僧の神様を数人載せているが本人は意にも介さずにこやかに笑っている。お腹をなでるとご利益があるとのことだが、その謂れも含めて狸みたいです。

境内は広く、歴史のある寺らしくさまざまな像や石碑や石塔があります。特にびっくりしたのが清和天皇供養の御宝塔。天皇崩御したときに供養のために建てられたということで、どんだけ古い年と。あとは例の句の石碑があちこちに建てられていました。立ち並ぶお堂沿いに境内を歩いていくと、奥の院まで登っていく石段があります。割りに距離はありますが、前日までのスパルタ観光のおかげで驚くほどさくさく登ることができました。

切り立った崖と森閑とした並木の合間に、当時の霊場の跡が残っています。特に大きな岩に削られた窪みが阿如来の姿に見えるという弥陀洞が民間信仰らしくてやばいです。また、せみ塚は芭蕉が例の句をしたためた短冊を土に埋めた跡に立てた碑だそうで。

思うに、佐渡から酒田、鳥海山羽黒山最上川、と芭蕉奥の細道の道中を逆に辿っていて、土地ごとに芭蕉の句碑を目にしたものです。旅の最後に立石寺にたどり着いたのはなにやら感慨を覚えます。

つづら折の石段を登っていくと、有名な開山堂と納骨堂が見えてきます。青空の下、崖の上に立つ納骨堂の後ろには連なる緑の山が見え、夏に来ることができてよかったとしみじみ思いました。さらに登って奥の院にお参りし、岩場になっている境内を歩いていると、かつて修験道霊場だった名残を見ることができます。岩壁に小さな窪みがあちこちにあります。修験者が登ったり岩穴に留まった跡だそう。反対の峰にはとても人が立ち入れなさそうなところにお堂が建っています。今も修行に使われているのだとか。

境内の奥には絶景を望める五大堂などまだあるようなのですが、電車の時間もあり急いで山を下りたのでした。駅で電車を待っている間、遠くの蝉の声を聞いていて、ああ、あの句の意味はそういうことだったのか、と思いました。しずけさや岩にしみいる蝉のこえ。かつての名残を見せる山寺でしたが、修験者たちの声明はいまや聞こえることもなく、彼らのあった岩に届くのは遠くに鳴く蝉の声でした。小学校の頃、この句の言葉の選び方がすごいなんて説明を読んで、句の良し悪しってそこなの?なんて疑問を持っていたのですが、30年も過ぎてこの句の良さがわかったように思います。振り返ってみれば、佐渡の採掘場、新発田城の辰巳櫓、出羽三山の修験場、庄内の町並と、つわものどもの夢のあとを追う巡礼の旅でした。

 残りの時間の観光と夕食は米沢ですませました。とはいえ、米沢市内では移動手段がなかったので残念なものに。市内の循環バスっていっても2時間に1本のレベルなんですね。前田慶次の鎧を収める宮坂考古館から米沢城址である上杉神社まで歩くと時間は5時すぎで宝物殿など閉館になっており、伊達政宗生誕の地の碑と、上杉鷹山の像を見るぐらいでした。また米沢駅まで歩いて戻り、焼肉屋でロースなのにサシが入っているA5肉などを食べたのでした。

 

 

鳥海山&肘折温泉

本来は前日に鳥海山大物忌神社と酒田観光、この日に最上川下りと肘折温泉をめぐる予定だった。しかし前日に移動ができなかったため、鳥海山を第1として後は都度考えることとする。

朝食はほっとする美味しさでした。特に取り上げるなら、庄内産黒もずくのお味噌汁ですかね。ぷりぷりとして歯ごたえのあるが味噌汁の中で踊っていて、美味しいけど不思議な味噌汁でした。

想定していた乗り換えは次の通り。

  • 鶴岡 9:00→酒田9:31
  • 酒田9:35→吹浦9:53

鶴岡へ向かうバスの乗り合わせが悪いため、タクシーで駅まで行った。しかしJRは前日の大雨でダイアが乱れており、結局望みの列車が来たのは63分後でした。遅れや運休があることはわかっていたのだが、これだけ遅れるという情報はネットでは見つからなかったんだよなー。まー詮無い。

酒田を目指しながらこの後の予定を考える。1週間前の最上川への大雨の影響で、酒田ー新庄間は列車が完全に運休しており代替バスでの運行となっていた。最上川下りの営業所に電話をすると、一応午後から営業を再開すると言っている。しかし、予定通りの運行はとても期待できないことから、最上川下りも酒田観光もとりやめ、鳥海山のみを目標とする。

次の吹浦行きの列車は12:29発であり、酒田ではしばらく時間があったので、駅から歩いて20分ほどにあるラーメン屋満月に行くことにした。

開店の11時は過ぎてしまったので、しばらく待つことに。平日だから言うてそんなに客来ないだろうと思っていてたが、後からどんどん客がくる。ワンタンも麺も確かに美味しかったです。澄んだ出汁に醤油のきりっとした味とやわらかいワンタンの味のコントラストが素敵でした。

ここからの予定は以下の通り。吹浦での鳥海山大物忌神社の参拝が実質30分、酒田でのバス乗り換えが4分しかない、というまたリスキーな予定である。

鳥海山も山頂に本宮があって、ふもとの吹浦口に社務所と里宮がある。まーこんかいは参拝のみ。吹浦駅から歩いて10分弱で神社に着く。木に囲まれた急な石段を登ると、開けた場所に拝殿が建っている、裏の石垣の上に大物忌神社の本殿と、摂社として月山神社の社殿が並んで建っている。2つが全く同じ形で並んでいるので面白い。青空の中、周囲の森の緑が涼しげで、石砂利の上にすっと建つ社殿とその前にどっしりと聳える大木の存在感との対比をしばらく味わっていました。

帰りの電車が酒田に着くや、改札への階段に駆け出し、改札を出てコインロッカーからリュックを取り出して、駅で切符を買って、とばたばたしたが、無事乗り換えも出来た。バスは最上川沿いを走り20分遅れで新庄に到着。バスの車窓からは支流と合わさったり、曲がりくねったりと、最上川の様子を楽しむことができる。川が茶色に濁っていたのは残念だが仕方が無い。

新庄駅での待ち時間はほとんどなく、やってきたシャトルバスに乗り込む。郊外から山道へと1時間ほど走ったところで、山間の沢に温泉街の旅館がひしめいているのが見える。斜面の狭い道を降りていくと、200メートルくらいの狭い一本道に旅館が並んでいる。

宿に着いてからは、泉質が違うという公衆浴場に入りにいったり、宿の食事をいただいたり、宿の温泉に入ったりしつつ、艦これのメンテ明けを待つ。何をしてるんだか。明け即ログインして、夜更かしして海域開放を進め、朝に貸切風呂に入ってまたゲームを進め、となかなか優雅なプレイでした。

加茂水族館&湯田川温泉

前日からの予報の通り、台風の影響で東北全体にわたって朝から豪雨だった。鶴岡は雨脚は強かったがどうしようもないというほどでもない。しかし、列車には影響が出ていて、ほぼすべてが運休になっていた。

こんなときのために、と鶴岡近くにある加茂水族館に向かうことに。

加茂水族館は、クラゲの養殖・飼育の研究も行っている、クラゲに特化した水族館になっている。この日は、家族連れを中心に大混雑だった。

入り口に、庄内磯なるものの紹介がしてある。庄内藩では武士も含めて磯釣りが盛んで、藩主が釣りを好んだ記録が残っていたりする。「庄内竿」はブランドとして今も残っている。庄内竿のWikiのページに歴史含めて紹介があるが、ここでは書ききれない庄内藩の釣りキチぶりを知ることが出来る。館内にあった年表からいくつか引用する。

寛政~文化年間 神尾文吉という大物をねらう釣りの名人が現れる。庄内の釣り師は生田派の「技術派」と神尾の「豪快派」にだいたい二分される

文政10年 第10代庄内藩主酒井忠器が釣りに関する「お触書」を出す。釣りで遠出することは武用の一助となるので容認するが、無用な争いや事故のないようにせよとある。

嘉永3年 第11代庄内藩主酒井忠発が温海温泉で磯釣りをする。この頃には釣り道具は自分で用意している。夜まで釣りをしていたという記録がある。

名竿と呼ばれる「榧風呂」のエピソードなどみても、藩をあげて手に負えないヤツラである。実際明治維新で、庄内藩は官軍に抵抗して最後まで戦ったが、夜釣りの遠出で鍛えた足腰で連戦連勝だったとか。

館の展示は、別に竿を扱っていることはなく(そらそうだ)加茂近海の魚や近辺の沢に生息する淡水魚の後、各種クラゲの水槽がある。特に小指の先ほどの小ささでカサの縁のみが発光する小さなクラゲで、微妙にいろんな種類がいて、面白い。また、養殖しているクラゲが生後1日から数日後まで成長する姿を見ることができる。

展示の目玉は大きな水槽に2000匹ものミズクラゲが泳ぐクラゲドリームシアター。少しずつ大きさの違うクラゲが奥行きをもって揺れる様は、プラネタリウムを見ているようである。

一通り見てから、昼過ぎに鶴岡駅に戻り、駅前の料理屋で名物である麦きりを食べる。そばのような細いうどん、あるいは少し太めの冷麦である。雨で寒かったので温かいつゆで食べたが、にゅうめんを食べているようだった。これはこれでありなんだが、美味しい麦きりがどんなのか気になる。

電車が動いていないので、もうどうしようもなく、宿をとっている湯田川温泉に向かう。泊まったのは食事が評判の九兵衛旅館。とはいえ、夕食は宿泊予約時ですでに予約で一杯で、外で食べることになった。

すぐ近くには、映画「たそがれ清兵衛」のロケに使われたという神社があった。庄内地方映画のロケに使われることが多く、また藤沢周平が鶴岡出身ということで、なにかと時代劇づいている。庄内の歴史の深さ、文化のユニークさが今まで息づいているをこうやって有形無形の姿で感じることができるのは面白い。京都も、わかりやすい遺産としてだけでなく、ある程度逗留していると長く積み重ねてきたオリジナリティを町並やメンタリティから感じ取ることが出来るのだが、それと同じような歴史の色あいがある。

夜は近くの焼き鳥屋で食事。どこで飲んでも日本酒が美味しい。