(計画)天城神社・天城山

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天城神社

 

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大井神社、富士宮の神社

実家から関東に帰るのに途中で寄るとしたらやはり静岡。浜松で在来線で乗り換え、島田で降りる。

島田駅から歩いて数分にある大井神社も、やはり参拝客で賑わっていました。普段はもっと静かなのかもしれないけど、甘酒を振舞っていたり、参拝後にはお神酒をいただいたり。大井神社は日本三大奇祭である帯祭りで有名らしい。斜めにつるした刀にきれいな帯をかけて男が練り歩くのだとか。片足を大きくあげて歩く様の銅像が境内にもあるのだが、シェーみたいなポーズでなんともfunnyです。隣には島田鹿島踊りの像もあるのだが、派手な服と烏帽子帽の子供がやはり案山子のように両手を広げて足をあげているもので、これはもう何か呪いなのではないかと。境内には他にも元禄時代の燈篭があったり、摂社も割と大きくて雰囲気があって、大切にされているんだろうな。

次に富士宮まで移動します。富士駅身延線に乗り換えます。静岡を在来線で移動するのは久しぶりですが、普通に本数はあるので時間さえ許せばまあいけますね。遠江国の一ノ宮が掛川駅の先に2社あるので次の機会に。

飛龍の艦内神社である熊野神社はこの富士宮の奥にあり、どうやって行くんだと思っていたのですが、調べると白糸の滝の近くにあるらしい。富士宮駅から富士急のバスがあるのですが、土日と年末年始は大幅にバスが少なく、次のバスまで1時間以上あるとのこと。なんやねん。仕方ないのでタクシーで白糸の滝まで行くことにします。3000円くらいだったかな。タクシーのおっちゃん曰く、日蓮正宗の総本山大石寺が道すがらにあって、人口よりも多くの信者が来ることもあるとか。

熊野神社は、白糸の滝の駐車場向かいにある富士宮焼きそばのお店の横にあります。写真で見たとおり物置みたいなお社でした。風除けに木々が周囲に立ってるのでなんとなく風格はあるのですが、社務所もないので、どうしてるんだろう。

近くには曾我の隠れ岩という、曾我兄弟が親の仇である工藤祐経待ち伏せた岩がありました。少し歩くと工藤祐経の墓もあります。ただ、曾我兄弟の墓は歩くには距離があり行けなくて残念でした。大石内蔵助東下りの際にお参りしたというエピソードもありますし。タクシーで途中寄ってもらえばよかった。なお日本三大仇討ちの残り2つは、赤穂浪士と荒木又右衛門でした。

 駐車場から入ると富士宮焼きそば屋が何件から並びます。柵の先には音止の滝という川の本流の滝があります。自然にできたU字型の岩壁の上から結構な量の水が瀑布となって流れ落ちており、ダムの放水のようで壮観でした。白糸の滝は富士山の雪解け水が岩間から湧き出てできている滝なのだそうで、奥にあります。綺麗なカーブを描く岩壁の上部からどこから出るでもなく幾条もの水が流れ落ちる様は、まさしく白いレースのカーテンのようです。想像してたより大きい。色んな角度から何枚も写真を撮っていました。

帰りは来た道を少し戻り、ロータリーから数分歩いたところにある白糸の滝入口のバス停から快速バスに乗ります。雲が少し晴れ、山頂を覗かせた富士山はとても綺麗でした。富士宮駅手前の湧玉池のバス停で降りるとすぐに、駿河国一ノ宮で浅間神社総本宮である富士山本宮浅間大社があります。富士山頂の神社はここの奥宮です。

主神は言わずと知れた木花之佐久夜毘売命ですが、もとは浅間山を由来にする浅間神を祀っていて、咲耶姫と習合するようになったのは近世に入ってからなのだとか。そんなんでいいの、ズドン巫女さん。あ、ホライゾン完結おめでとうございます。

富士山で本宮なんだからどんだけ参拝客が押し寄せてくるんだろうと恐れていたのですが、意外に普通。楼門から拝殿から本殿まで真っ赤です。本殿は屋根の上にさらに棟を連ねた独自の二重楼閣造りでエキゾチック。厳かというより心ざわつかせる雰囲気の境内でした。神社を出ると、夕日に照らされた富士山をしっかりと望むことができ、大きな赤鳥居と合わせて印象的な光景でした。

明石神社・日岡神社、岡山の一ノ宮

新年早々に神社めぐり、だが夕方に弟夫婦が子供を連れてくるから、早く帰ってくるように親に言われていた。播磨国一ノ宮の伊和神社へは姫路からバスを乗り継けば行けそうなのだが、初詣でバスも参拝も時間が読めないと思い断念。最寄の神社と、岡山市近辺の一ノ宮に行くことにします。

まずは徒歩で明石神社に。工作艦明石の艦内神社なのですが、地元でありながら、これまで知りませんでした。柿本神社から天文科学館の裏を通って明石城の方へ抜ける道が好きなのですが、そこから少し上がった高台に神社はあります。早朝の冴えた空気に、見下ろす明石の街の景色は新鮮でした。建物は普通の家みたいで道場のような板の間に神棚があるだけです。普段は人もいないということですが、さすがに新年ということで社務所で神主らしいおっちゃんが近所の方と話をされていたので、ご朱印をいただきました。何気にレアご朱印

明石駅に出て、姫路経由で新幹線に乗り岡山へ。さらに乗り換えて備前一宮駅で降ります。吉備津彦神社は背後の中山をご神体とし、大吉備津彦命を主神に祀っています。山門手前の広場では焚火がたかれ、甘酒が振舞われ、参拝客がこれから増えてきそうな感じでした。境内では子供たちが獅子舞の準備を行っていました。本殿は明治に再建されたそうですが、地元の崇敬を集めていていい感じだなと思いました。

で、備前一宮の隣の吉備津駅には、備中国一ノ宮である吉備津神社があります。10分ほど歩くと初詣の車の列が。松並木の参道を歩き、石段を上がっていくと、随神門がそり立っています。門はそのまま拝殿につながっていて、すぐにお参りすることになります。すぐ奥に神札やお守りを売る授与所があるのですが、奥に千代の富士の全身像があったのが謎。本殿横の広場では、餅つき保存会という方たちが、三味線や小太鼓に合わせて餅をついていました。おすそ分けの餅を配る列と御神籤を引く列で広場はにぎにぎしかったです。

拝殿は本殿とつながっているのですが、比翼入母屋造という全国でも珍しい様式なのだそう。本殿は2つの棟が圧縮されたように連なっていて、その横から拝殿が伸びています。屋根の端は翼を広げるように反り返り、棟の柱が朱色に金の装飾が施されていることもあって、壮麗の一言でした。

境内は山のほうに広がっていて、いろいろあるようですがとりあえず退散。随神門から裏の方へ抜けて降りていく回廊があります。駐車場へつながっているのですが、これもまた立派。駅へ戻る道すがらには、日本に茶の湯を伝えた栄西禅師の生誕地の碑がありました。茶碗の形をしていますw

岡山にもどって昼過ぎ、食事をとっても少し時間がありそうなので、岡山城横にある後楽園に。正月は無料で入園することができました。日本三名園といわれていますが、兼六園に比べると割とつまらない。このページが正しいなら、海外の人に受ける林泉廻遊式の近代っぽい庭園の中で、残り1枠を政治的思惑でねじこんだようですな。大勢の人が隙間なく池を囲み鶴を見ているのが、また景色を損ねて興ざめでした。

帰り道に加古川で乗り換え、加古の艦内神社である日岡神社に向かいます。1時間もあれば参拝できるだろうと見ていたのですが、山門の外から参拝客がめっちゃ並んでいる。参拝に一時間半かかりました。日岡神社の主神は天伊佐々彦命で安産の神様として知られ、広く播磨一円からおまいりする人が絶えないそうな。こんなん想定しとらんよ。

信貴山・龍田大社、大阪の一ノ宮

龍田の艦内神社である龍田大社信貴山の丁度裏にあることを知り、あわせて行ってみることに。

信貴山には大阪側から登り、奈良側から降りることにします。鶴橋から近鉄信貴山口駅で降り、ケーブルカーに乗り換えます。終点の高安山駅で待ち合わせているバスに乗り、信貴山門バス停から徒歩10分強でしょうか。ホテルの裏の細い道を下りきつい坂を登ると、山腹に寺社が埋め尽くされています。中も細い道を上り下りし、諸々の神仏をお参りしていきます。中心にある朝護孫子寺は、醍醐天皇まで遡る由緒あるお寺であり、本尊の毘沙門天王は聖徳太子物部守屋を滅ぼす際の由縁だそうで。ありがたいのでご朱印をもらっておきます。待っている間、本堂内にある戒壇めぐりに行ってみました。地下道を壁沿いに手探りで歩き、奥にある仏さまにお祈りするというものですが、道中は完全に真っ暗でプチ修行的で面白いです。

奈良の方へ降りるバスが1時間に1本と限られているので、急ぎ足でバス停に戻ります。境内からは信貴山城址に登ることもできたのですが次の機会。王寺駅お好み焼きを食べ、奈良線三郷駅で降ります。

改札で薬の「改源」のパッケージに描かれている風神が出迎えてくれるように、龍田大社は風神として(主神が天御柱命)古くから信仰を集めているそうです。在原業平の歌で有名な龍田川ですが、脇を流れている大和川が相当するらしい。生駒山沿いを流れている今の竜田川は別物だとか。何やねん。山の裾にある神奈備神社も万葉集に多く詠まれているそうです。

坂をいくらか登ると龍田大社はあります。立派な拝殿がすぐ正面にあります。柱に斜めに巻かれた注連縄が龍のよう。参道にある砲塔と砲弾は日露戦争のときのものらしいです。大晦日の朝ということで出店の準備をしているおっちゃん達以外に人気はなく、社務所で何度も呼びつけてご朱印をいただきました。

山を降り、和泉国一ノ宮である大鳥大社に向かいます。JRで天王寺経由で鳳駅で降ります。大鳥大社は、もともと当地の豪族だった大鳥連の祖神を祀っているのですが、日本武尊が死後白鳥になって最後に留まったという伝説にあやかって、日本武尊を合祀しています。商売上手ですな。境内前の参道が、かつて熊野詣でで往来が多かったとのこと。平清盛後白河法皇など熊野詣で好きで、この時期には整備されていたのですね。

大鳥大社の白木の鳥居はとても大きく、何度も折れ曲がる参道には初詣の準備をする屋台が並びます。本殿は当時の造りを残していながらとても立派。それを取り囲む社務所がま新しくて、威圧感すら感じます。境内は広く、中にある摂社にも献燈がずらっと並んでいたり、ともかく大きな神社でした。

次に住吉大社に向かいます。戦艦攝津の艦内神社で摂津国一ノ宮ですが、なによりも全国の住吉神社の総社であり、いろいろ規模が半端じゃないです。

住吉東で降り、裏手から入って末社である楠珺社の初辰まいりの幟の並ぶ通路を抜け、前と横にある朱門のどちらをくぐるのか迷い、日本三舞台のひとつと云われる石舞台の横を通り、立ち並ぶ巨大な石灯篭に目を眇め、入口と出口専用に分けられた門を選んでようやく本殿の敷地に入ります。

中には4棟の本殿が並んで建っており、4柱の祭神がそれぞれに祀られています。国宝の立派な本殿たちに参拝客は順にお参りをしていました。ぐるっと囲んでお守り売り場のテントがあるのですが、お守りの種類がすごい。交通安全から航海関係から兎のお守りまでずらりと。あと、巫女さんが頭に冠をつけてるのですが、それが松の飾りになっているのをはじめて見ました。天冠といって普通にあるみたいですね。

他にも色々普通にはないものに溢れていました。御文庫は書籍商が文書を納めた蔵で、関西最古の図書館といっていいものだそうで。いろんな神社にある伊勢神宮の遥拝所も気合入っているし。神社前の反橋は、道路から神社が見えないくらいに高く反っているし。

住吉神社前駅からなんばで御堂筋線に乗り換え、本町で降ります。中央線の方に行って15番出口少し行ったところに、もうひとつの摂津国一ノ宮の坐摩神社があります。「いかすりじんじゃ」が正しい読み方ですが、「ざまじんじゃ」と呼ばれることが多いとか。四方をビルに囲まれたなか、ぽっかりと開けた空間に新しいお社が建っています。本能寺や万松寺のように完全にビルになってしまっているのではなく、そこだけが神聖で異質な空間となっていました。地面に大晦日の祭祀の後で白い紙が散らばっていたのが記憶に残っています。

 

日吉大社、建部大社

前日までに艦これ19冬イベがラスダン前まで到達したので、思い立って帰省することに。12月最後の日曜ということもあり、新幹線は全て満席なのはわかっていたので、自由席で適当な列車に乗り、デッキで立ったまま京都へ。そこから湖西線で4駅、比叡山坂本で降ります。といいつつ、疲れで眠ってしまい乗り過ごして戻るはめに。

日吉大社は全国にある日吉・日枝・山王神社の総社であり、軍艦比叡の艦内神社でもあります。縁起などはWikiなどにもありますが、比叡山山岳信仰から発しつつ、延暦寺の守護神として天台宗とともに全国にひろまったらしい。

最澄にとって、「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれる。最澄が著したと思われる文書には、神名ではなくほとんど「山王 が使われており、あえて「神」とは呼ばなかった点に、仏教徒としての配慮がうかがわれるという。このような、最澄による「山王」の扱いが、後に、神仏習合の「山王神道」の成立を導いていったともされる。

とのことで、なにやらもやっとした形で神仏習合がなされていったみたい。

ちょうど居合わせたバスに乗り、バス停3つほどで神社に着く。歩くと15分ほどですかね。さらに少し行くと比叡山に登るケーブルカーがあります。境内はかなり広い。西本宮、東本宮と二つに分かれており、それぞれに摂末社を含む複数の社があります。大きな朱塗りの鳥居をくぐると砂利敷の参道が続く。初詣の準備で神札授受のためのテントが並んでいました。神様の使いである猿を入れる檻があったり、大威徳妙王が宿るという石があったり。

西本宮の大きな楼門をくぐると、中央に大きな拝殿と奥に本殿、といずれも大きな社殿が建っています。屋根は曲線を描いて大きく迫り出し、ところどころ雪をかぶっています。拝殿の入り口が開いていたからか、威容があるのだけど参拝客に対して懐を開いている、不思議な感触でした。

奥を抜け、山の裾を伝うように参道を歩き、いくつも連なる社を順にお参りしていきます。信長の叡山焼き討ちの後、江戸時代に再建された社殿なのですが、いずれも綺麗で惚れ惚れしてしまいます。特に東本宮は本殿が国宝だったり奥まったところにあったりで、雰囲気ありました。

小雨ぎみなこともあり比叡山は次の機会に。京阪坂本比叡山口駅から南へ下っていきます。京阪大津線沿線には、近江神宮三井寺石山寺と名所が並ぶのですが、時間がないので本来の目的地である近江国一ノ宮の建部大社を目指します。

唐橋前駅で降り、瀬田の唐橋を渡ってさらに数分歩くと、建部大社はあります。瀬田の唐橋といえば、やはり古田織部千利休の擬宝珠のエピソードですな。一個一個作られた時代が違うそうで。ただ見る限り乙なものはありませんでした。

建部大社は日本武尊を祀るために建てられたこともあり、皇室との関わりを紹介するテントがあったのが印象的でした。本殿は特に萱葺の屋根が綺麗。裏に回ると、菊花石というのがあります。石の表面にある石英(との説)の文様が丁度菊の御紋のように見えるのですが、成因はいまだ不明らしい。あと何故か手水舎に人感センサーがついていて、手を潅ごうとすると何やらしゃべりだすのが新感覚。

浦賀近辺:走水神社、村雨&峯雲慰霊碑、比叡鎮魂碑

この日は、よこすか芸術劇場で開催される「響け!ユーフォニアム」の定演があるので、折角なので昼に浦賀近辺の艦これ関連史跡を訪れることにしました。

まずは、JR横須賀線衣笠駅で下車し、比叡の鎮魂碑に向かいます。はまゆう会館の手前を右に折れたところにある光心寺の境内にあります。といっても碑と供養塔があるだけではある。ワレアオバさんによると、本堂の中には乗組員の位牌があるそうで。

昼食をとったあと、衣笠十字路に向かいます。バス停は南に下りた少し先にあります。バスは、衣笠さんの名前の由来となる衣笠山の山間を走るので、上り下りがあります。目的地は満昌寺。20分に1本ぐらいで運行しているYRP野比駅行きのバスに乗ると最寄まで行けます。または10分に1本ぐらいあるバスで衣笠城址で降りて歩いてもすぐに着きます。

満昌寺には、直近の冬イベで実装が予定されている駆逐艦峯雲の慰霊碑があります。墓地の中の高台にある赤御影石に艦名が彫られ、両脇の御影石には艦歴と乗組員名簿が彫られています。すぐに出会えるよう手を合わせてお願いしました。ちなみに、バス乗車時間、待ち時間、寺までの徒歩などどれも5分くらいで割りにすぐ着きます。なお、峯雲慰霊碑への行きかたはやはりワレアオバさんのページを参考にしました。

次に村雨に慰霊碑に向かいます。衣笠城址のバス停からJR横須賀駅行きのバスに乗り、横須賀中央駅京急に乗って浦賀で降ります。衣笠から浦賀や30分ほどですかね。時間はあったので浦賀ドックに行ってもよかったのですが、丁度観音崎行きバスが居たのですぐに向かうことにします。浦賀ドックは折角なら公開の時期にまた来ようかと。

鴨居のバス停で降り、砂浜沿いの道を5分ほど観音崎の方に歩いて横道に入るとどんづまりに慰霊碑があります。デザインは峯雲と同じ。やはり手を合わせイベの完走を祈ります。

 次に衣笠の艦内神社である走水神社へ向かいます。観音崎から横須賀へのバスの途中にあるので、ふたたびバスに乗り観音崎に向かいます。観音崎では岬の海沿いを歩いたり灯台に登ったりしました。対岸に工場の影が見え、大きなフェリーが行き交い、まさに海の玄関といった感じ。開港してすぐ灯台の建設を求められたのも納得です。岬の他の場所には砲台が残っているらしく、冬場でなければ散策もいいかも。案内ページはこちら

 走水神社は最寄バス停のすぐ目の前にあります。初詣の準備が始まっており幟が立っていました。社務所はありますが人の気配はなし。急な石段の上に本殿があります。また脇には、ご祭神の一柱である弟橘媛命を祀る像や石碑があります。弟橘媛命といえば、日本武尊の后で彼の東征の際に荒れた海を収めるため身を投じたのですが、それが丁度この辺りなんですかね。次のバスまで10分ほどで時間があまりなかったので、境内を見て周ることができませんでした。

 バスで横須賀中央まで出て、時間をつぶし定演へ。席が三階でU字型の座席列の端のほうとひどかったのだけど、ホールの音響がよくて案外聴けました。