飛騨一宮水無神社、白山比咩神社

富山から金沢に移動するにあたり、飛騨国一ノ宮である水無神社を経由することにしました。また、台風が近づく前に目的をこなしたかったので、白山比咩神社に行きました。スケジュールは以下。

飛騨一ノ宮へはJRとバスで行くことができるのですが、いずれも本数が限られています。今回行き、戻りとも高山からバスで行く予定を立てていたのですが、戻りのバスがお盆に運転しておらず、タクシーで戻る羽目になりました。ただ実はJRでこの日飛騨一ノ宮9;57→高山10:04の列車があったんですよね。これを見つけられなかったのが今回の計画で一番悔やまれることでした。

水無神社は飛騨一ノ宮バス停から歩いて数分のところにあります。広い玉砂利の敷地に向き合うように拝殿が建っています。主神は御歳大神といって、特に関西に多くある大歳神社に祀られている食物の神様です。正月にやってくる来訪神で、とんど(歳徳)焼きは、この神様を見送る風習なのだそうで。境内は、大スギなど高い木々から影が深く差し、風が静かに流れ、時間がゆっくり流れているようでした。絵馬殿に座ってのんびりとタクシーを待っていました。

高山には、バス待ちで都合2時間居ることになりました。古い町並を歩き、朝市に行って牛乳飲んだりクロワッサン食べ、橋の欄干に立っている手長足長の像を見て、後は暑いので待合室に居たのでした。高山・白川郷の人気は相変わらずで、山のような荷物を持った外国人旅行者がバス乗り場に溢れかえっていました。高山には「君の名は。」の聖地になっている神社があるので、事前に調べていれば行けたのですが。

金沢へは、白川郷を経由して行くバスを事前に予約していました。しかし、途中白川郷への道が超渋滞し30分遅れで金沢に到着しました。これでも高岡経由で行くよりは早いのですがね。昨日行った城端やその途中の福光駅らから一日数本出ているバスで金沢入りするのが、おすすめルートかもしれません。

金沢から白山比咩神社のある鶴来へ向かいます。駅から神社へは、幸いレンタサイクルが駅正面の役所にあります。いちおうバスはあるのですが乗り合わせが絶望的で、歩くことを覚悟していただけに駅前で見つけたときはうれしかったですね。自転車だと10分ほどで神社に到着します。途中、日本酒の「菊姫」の本社がありました。昔の造り酒屋の家屋の横に高いビルが建っていて印象的でした。「萬歳楽」の本店も鶴木にあるみたいですね。

白山比咩神社は、加賀一ノ宮であり、空母加賀そして護衛艦かがの艦内神社です。鳥居をくぐるとすぐ木々に包まれた緩やかな坂の参道があります。木漏れ日がわずかに射し込み、視界いっぱいを緑に照らします。手水を注ぐ龍の像も緑に錆び、狛犬は緑に苔むしていました。奥にある本殿は端正な作りで境内は落ち着いた空気で、心地いい空間でした。

金沢に戻り、近江町市場の回転すしで夕食をとりました。のど黒は勿論美味しかったのですが、個人的にはさわらそでと生トロサバがよかったです。その後は、尾張町から泉鏡花記念館の前を通って、主計町からひがし茶屋街を歩きました。割と祇園に近い感じ。浅野川大橋たもとの地ビール屋でビールをいただき、すぐ近くの銭湯でお風呂に入り、宿に戻りました。バスがわかりにくい以外はいい街ですね。がさエビの食べられる季節にもう一度来たいものです。

気多神社、高瀬神社、城端

富山県にある残り二社の一ノ宮へ行きました。一社は加越能バスの伏木一の宮停留所から歩いたところにある気多神社。もう1社は、福野駅から車で10分のほどにある高瀬神社。スケジュールは以下。

 当初は、高瀬神社から気多神社へ行ってから氷見に向かう積もりでした。ただ、城端に行ってみたくなったので、急遽上記のルートに変更したのでした。

加越能バスの有能さにも助けられました。加越能バスは高岡を中心に氷見の方へ巡回バスを出していたり、城端から金沢の方へ定期便を出していたり、時間を選べば効率的に移動できます。時刻表はこちら

気多神社はバス停から坂を上っていった先にあります。途中、地蔵がたくさん並んでいる敷地があるので何かと思ったら越中国分寺跡でした。この辺りに国府があったことが周囲の地名にも残っています。

気多神社Wikiには縁起が書かれています。かいつまむと、

国府近くの神社が一ノ宮争いに勝つというのは、尾張国の真清田神社でもありましたね。越中国のWikiには、高瀬神社国府が近くにあった時代があったことで一ノ宮となったことが書かれています。

石段を登り石灯篭の並ぶ参道を進むと、斜面になった境内に点在する形で社殿や石碑があります。木々に囲まれた中、庭を散策するように境内を巡るのはなかなか楽しかったです。末社大伴家持を祀る神社がありました。高岡近辺にはあちこちに大伴家持の歌碑がありますね。越中国の国守としてしばらく赴任していたとのことで、近くには高岡市万葉歴史館というのがあります。

バスで島尾に移動します。途中は海岸線を走ったり、義経が雨宿りをしたという義経岩があります。島尾からは氷見うどんで有名な海津屋まで歩きます。20分ほどですが、近づいてくる台風の影響もあって、超真夏日に田んぼの横を歩くのは命の危険を感じるレベルでした。開長時間待って食べた氷見うどんは、手延べにしては腰があってまあ美味しいです。腰の分だけ水沢うどんよりいいかな。ただ弾力が喉ごしの美味しさに繋がる讃岐のような普通のうどんと比べると、物足りなくもある。

バスで高岡に戻り、JR城端線の福野駅で降ります。忍者ハットリくんのラッピング列車が走っていました。高岡は藤子・F・不二雄の出身地で、駅前にはドラえもん銅像がありましたね。福野駅から高瀬神社へはバスも一応あるのですが本数が少なく、帰りは歩く予定でいたのですが、島尾で歩いたときにあまりに暑かったので、タクシーで行くことにしたのでした。福野駅にはロータリーがあってタクシーが最低一台はいる感じでした。タクシーでは運ちゃんが、富山の小学生は立山の雄山への登山が必修という話をしていました。立山に登らなければ一人前として認められないという話をWikiで読んでいたのですが、普通に今でも残っているのですね。
高瀬神社は公園のような綺麗な神社でした。玉砂利の敷き詰められた境内の奥に立派な拝殿があります。欄間の彫刻が立派なのと、吊るされた風鈴が印象的でした。横に主神の大国主命にちなんで兎の像がありました。まあでもそんなに見るところはないです。

福野から城端(じょうばな)へ向かいます。城端越中の小京都と呼ばれる町並で有名なこと、あと何よりもP.A.Worksの作品「True Tears」、「サクラクエスト」の聖地として有名なことから行ってみることにしました。いや、どちらの作品もちゃんと見ていないのですが。

城端駅(「サクラクエスト」で何度も出てくるあの駅)から10分ほど歩くと、真宗大谷派の別院である善徳寺が見えてきます。寺は高台にあるのですが、回り込むように登る坂がとても印象的です。「True Tears」では主人公の通学路として描かれていました。

善徳寺の裏門が開いていたので中に入ったのですが、これがまた広くて入り組んでいてとても楽しい。SEKIROをプレイしているようでした。本堂の方に来ると何やら説法をしているようで、開放されていたのはそのためだったのもしれません。

善徳寺前から町を歩きましたが、路地裏に残る古い街並、ゆるく坂になっていたりカーブになっていたりと変化に富んだ通り、と飽きのこない景観でかなり気に入りました。街の奥にあるじょうばな座では「金沢・南砺アニメで巡る旅マップ」を入手しました。「True Tears」、「サクラクエスト」、「花咲くいろは」、「恋旅」の舞台を案内しつつ、スタンプラリーが出来る企画になっています。

富山に戻り、適当な居酒屋に入って、地酒やお造り、お魚を食べました。さらに腹に余裕があるので、駅近くで富山ブラックラーメンを食べたのでした。

雄山神社、射水神社

白山比咩神社を主に、富山、石川の艦内神社、一ノ宮を巡拝しました。まずは、富山に4社ある一ノ宮をひとつづつ。スケジュールは以下。

立山をご神体とする雄山(おやま)神社は、奥宮となる峰本社、里宮にあたる前立社壇、その間に中宮祈願殿と3社あります。立山登山はさすがに重いので、残り2社に参拝しました。最初立山黒部アルペンルート経由で行く積もりでしたが、お盆休み近くのハイシーズンは予定通りに移動することもままならないとのことで、富山から行くことにしました。

電鉄富山駅の改札前も立山への登山者で溢れかえっていました。単純に登るならこっちの方が楽かも。中宮祈願殿は立山の少し手前の千垣駅から少し登ったところにあります。本数は少ないですが駅からバスがあります。時刻表はこちら。
バスの時間に合わせた積もりだったのですが、時刻を過ぎてもバスが来ない。日曜日は運行していないことに気づきました。タクシー会社に電話しても、来るにはかなり時間がかかるとのこと。あきらめて神社まで歩くことにしました。折からの夏日で陽射しは厳しいものの、山間なので風は涼しく湿気もないので、割りとなんとかなりました。

境内は主神らを祀る本殿が東西の奥に2社と、中央に大講堂だった祈願殿があります。また立山開山の開祖の廟があります。里宮でないのを考えると意外に広い境内です。祈願殿には牛王宝印が置いていました。立山信仰の中で、全国の檀那にこれら護符と合わせて薬を売ったのが、越中富山の薬売りの起源なんだとか。

隣には立山信仰に関する展示がある立山博物館があります。立山の火口周辺を地獄になぞらえた立山地獄、立山の登山路とその中に立山の縁起や立山地獄を埋め込んで描かれた立山曼荼羅など、立山信仰の成立と伝播を学ぶことができます。
また、この日は「立山ふしぎ大発見」という企画展が開催されていました。特に立山出身の霊獣クタベについて紹介されていました。この企画展を紹介する北日本新聞の記事に、「クタベは、顔は人で体が獣の姿をした霊獣。立山で薬種を採取した人の前に現れ、疫病の流行を予言するとされた。その姿を見れば病の難を逃がれるため、疫病よけとして描かれた刷り物が県外で見つかっている」と記されています。疫病除けとして諸国で流行っていたというのは立山信仰がそれだけ全国的だったのでしょうね。クタベについては、体が獣、顔が人間であり、背中に目があることから、白沢が由来ではないかと言われております。また、件(くだん)とも関係があるはずなのですが、どっちが先なのかはよくわかりません。

坂を下って駅に戻り、岩峅寺(いわくらじ)に向かいます。なお、中宮祈願殿のあった辺りは芦峅寺と呼ばれていました。岩峅寺芦峅寺ともに立山信仰の拠点だった寺で、雄山神社神仏習合していたらしいです。特に廃仏毀釈を厳しく行ったらしく、仏具だけでなく多くの文書が喪われたようです。

前立社壇は岩峅寺駅から歩いて10分ほどにあります。砂利の敷かれた境内に拝殿と摂末社社務所が並んで建っています。そんなに広くないですね。拝殿の中に、昔の狛犬がありますがそれが可愛いです。

特に見るものもなく富山に戻ります。遅めの昼食を白えび亭でいただきました。富の名物白えびをふんだんに載せた白えび刺身丼は、味が柔らかくて、錦糸卵がアクセントになってとても美味しいです。

電車で高山に向かい、瑞龍寺まで歩きます。約10年ぶりの参拝ですが、石畳の参道や、まぶしい緑の芝生の中に建つ仏殿など、ほぼ記憶通りでした。
いつも禅寺で思うのは、回廊を歩きながらいろんな角度で構内を見渡していて、飽きがくることがなくて、完全無欠というか無駄がないというか、とにかく美しいという感覚です。中国の宮殿のようでもあり、曼荼羅のようでもあり。受付で、トイレの神様とされている烏蒭沙魔明王の絵柄入りのご朱印をいただきました。

次に駅の反対側にある射水神社に向かいます。高岡古城公園の真ん中にあるのですが、もとは神通川沿いの二上山ふもとにあったところを、明治の神仏分離の際に、遷座したらしいです。広い玉砂利の境内に新しめの拝殿がありました。経緯もあってか銅板屋根の神明造の普通の社殿で、ちょっと残念ではありました。

疲れていたこともあり、高岡大仏を見て早々に富山に戻りました。晩御飯はもつ煮込みうどんで有名な糸庄へ。店内は広く、すぐにカウンターに座ることができました。厨房にはコンロと土鍋が多数並び、流れ作業でどんどん調理していました。出汁の味が濃くもなく薄くもなく絶妙で、とても美味しかったです。

深海大サーカス「不思議の国の1YB3H」

舞浜アンフィシアターで開催された艦これイベント:深海大サーカス「不思議の国の1YB3H」-1YB3H’s Adventures in Wonderland- の8/3夜の部と8/10夜の部に行ってきました。まさに舞台版艦これと言える内容でした。

以下は、いつも詳細なレポをあげてくださる、艦これ速報さんの以下の記事を参考にして記載しています。

kancolle.doorblog.jp

イベント全般の様子はこちらを。以下は演目自体に絞って記載します。

あらすじ(8/3夜)

19時53分。
迷子になったガンビアベイは、海のサーカスに迷い込む。それは深海磨鎖鬼ら深海棲艦たちだった。ピエロに捕らえられたガンビアベイは、深海サーカスに招待される。不思議の国のアリスのウサギに見立てられウサ耳を付けられたガンビアベイは、元の世界に戻るために何かを探しあちこちをさ迷う。

本隊からはぐれた山城、時雨、満潮は、謎の護衛空母(ガンビアベイ)に出くわし、後を追う。3人が気がつくと、そこは深海だった。落ちていたラッパを見つけ、時雨が持つことに。そこに駆逐イ級の群れが襲い掛かる。その後も、軽巡ツ級、雷巡チ級、潜水カ級ら襲い来る深海棲艦を迎撃するが、数で攻める深海棲艦にやがて追い詰められる。時雨は友軍要請のラッパを吹き、駆けつけた川内型3姉妹の支援により突破する。

そこに深海磨鎖鬼が現れ、君たちも知るあの海峡へ誘うと言う。スリガオ海峡の深海で、3人は戦艦棲鬼に遭遇する。第2の友軍である金剛型4姉妹が到着し共に撃退した後、ついに海峡夜棲姫に邂逅する。全滅の危機を迎える艦娘たち。そこに無良提督と第六駆逐隊ら水雷戦隊が到着、からくも打ち倒す。

ガンビアベイが探し物(キービジュアルで満潮が肩からかけていた浮き輪さん時計)を見つけて時空は戻り、山城、時雨、満潮はもとの世界に帰ってくる。深海磨鎖鬼は言う。過去を、悲しみを直視してこそ未来はあると。

戦闘表現

昨年度の氷祭りでは、水上での戦闘、艦娘の活躍が描かれていました。本演目では、エアリアルにより、立体的に戦闘が展開されます。特に布でのエアリアルにより、戦艦棲鬼の大きさ、強さを表現しているのが素晴らしかったです。中空の赤い布に1名の演者が入り、そこから四方に赤い布を降ろし、巨大なフォルムを再現していました。

海峡夜棲姫の表現もよかったですね。黒と白の二対の棲姫が球形のフレームに入り、外へ布を広げてその大きさ、影響力の強さを表現していました。背後のスクリーンには多数の彼岸花が揺れていました。

エアリアルは深海での戦闘も表現していました。最後の友軍で客席中央の通路に現れた六駆の暁らは、天井から垂れた青い布に登り、ステージに向かって攻撃していました。客席を巻き込んでの立体的な戦闘は見ごたえがありました。

内容とテーマ

振り返るに、過去の悲しみを大事にして今を生きる、という艦これが一貫して描いてきたテーマを再確認させる内容でした。艦これのコミック「いつか静かな海で」は現代の艦艇と結びつけて描いていたし、新春JazzでもToshIがそのメッセージに共感して参加を決めたというコメントを残しています。

本演目は、深海側を巻き込み、ゲーム内の死闘を再現することを通じて、そのテーマを描こうとしていたかと思います。現実で最も苛烈な戦闘を強いられたひとつである西村艦隊の片割れを主演とし、ゲームでも転換点の一つとして過去を乗り越えることを強く打ち出したスリガオ海峡の戦いをクライマックスに置いたのも、自然な流れと言えます。

大越さんらによる艦これBGMはもうひとつの主役とも言える効果を持っていました。「モドレナイノ」の悲しみ、「戦争を忌むもの」の勇壮さ、レイテ海戦のボス曲の絶望感は、舞台の展開を強く後押しするものでした。

サーカス、不思議の国のアリスという見立て

現実でも、西村艦隊が成し遂げたゲーム世界でもない、別の時空を艦娘を登場させて描くために、サーカスという舞台装置、不思議の国のアリスという見立てが必要でした。深海磨鎖鬼はまさにサーカスのクラウンとして舞台を進行させ、護衛空母でありながらタフィー3として太平洋戦争の趨勢を変えるまでの奮闘をしたガンビアベイは、トリックスターとしてウサギの配役をこなしました。最後、ガンビーが浮き輪時計を見つけたことで時空が戻るのだけど、君たちそんな重要な役回りだったの?w ただ、ウサギ役は他の回では秋月、ウォースパイト、瑞鶴が務めたようで、特にこだわりはなかったみたいです。

ともあれ、物語の舞台装置、および立体的な戦闘を表現する技術の2点を併せ持つサーカスを用いた発想は何気にすごいと思います。

この世界の扶桑は?

後段の情報も含めて修正。

前段作戦で、双眼鏡で何度か時雨を見ていたのですが、彼女は改二の髪飾りをひとつだけつけているように見えました。演目中何度も不幸だわを連発する山城は、折りに触れ、ここにいない扶桑に語りかけます。

もしかしたら、この世界では扶桑はとうに喪われているのかもしれないと思いました。

ただし後段で確認した限り、冒頭で山城は「はやく姉様に合流しないと」と言います。第2の友軍は、金剛型4姉妹ではなく、残りの西村艦隊の4人でした。この友軍について、公式はtwitterで次のように言っています。

後段公演では、劇中後半部で登場する友軍艦隊の編成が変わります。不思議の国に迷いこんだ1YB3Hの三隻、その救援に現れる幻のような四隻の友軍艦隊。

演目の最後、山城、時雨、満潮の3人だけが残されており、山城は「姉様ありがとう」と別れのような言葉を口にします。

深海磨鎖鬼の最後の言葉は、観客だけでなく、山城ら西村艦隊の片割れに向けられたものなのは間違いありません。そのことからも、西村艦隊の残りは、三人が不思議の国に迷い込んだときには喪われていたのでしょう。西村艦隊の7隻が海峡夜棲姫と対峙しているとき、山城には何か気づくものがあったのかもしれません。「銀河鉄道の夜」のジョバンニのように。

さらに追記。Wiki海峡夜棲姫に以下の記載があります。

「壊」状態になると艦橋と思わしき建造物が消失し、人影は山城に酷似したひとつのみに変化する。これは、扶桑が先に沈没し、そのおよそ1時間後に山城が沈没したという史実スリガオ海峡夜戦の戦闘経過を、再現した描写と思われる。 
記録によれば、扶桑は午前3時10分に船体が真っ二つに割れて沈没。その時、山城はいまだ健在であった。その後、山城は苛烈極まる攻撃を受け艦橋崩落しながらも突撃を敢行。満身に無数の砲弾を浴び艦全体が火の海と化し、さらに命中魚雷4発によりついに航行不能に陥るも、「ワレ魚雷ヲ受ク。各艦ハワレニ省ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ」「ワレ航行困難二陥レリ、各艦ハ扶桑艦長指揮ノモト、レイテ湾二突入セヨ」と信号灯で後続艦を叱咤激励し続けた。
そう、この命令文でも分かるとおり、山城は後続艦の最上を扶桑と思い込んでおり、本当の扶桑がすでに落伍、沈没していることを全く知らなかったのである。

山城が、すでに喪われた扶桑に向けて、ありがとうと言えたこの世界もまた、ひとつの救いなのかもしれません。

そんな悲しい物語を内に秘めつつ、サーカスを媒介にエンターテイメントにして見せた演出は、これまでのリアルイベからさらに踏み込んで艦これ世界を描くことに成功していると思うのでした。

椿大神社、都波岐奈加等神社、多度大社

伊勢国一ノ宮も志摩国と同じように2社あり、どちらも割りと行きにくい所にあるのですが、この機会を逃すと二度と来ないだろうから、頑張ってみました。また、伊勢神宮に参ったならば、こちらも行かねば片参りと言われる多度大社に行きました。当日のタイムテーブルはこちら。

もはや恒例のように、ホテルの朝食開始とともに飯をかっこみ、急ぎチェックアウトして移動開始。四日市でバス乗り場までどのくらいかかるかわからなかったので急いだのですが、6番乗り場は東口を出て右手にある横断歩道を渡ってすぐのところにありました。

待合室には大四日市まつりのポスターが貼られていて、大入道が描かれていたのが何だと思っていたのですが、大入道のWikiにも記載されている通り、四日市諏訪神社のお祭りで出てくるみたいです。なお四日市市ゆるキャラ「こにゅうどうくん」は大入道を元にしたもので、あちこちで見かけました。ただ2018年のゆるキャラグランプリで組織票をして順位降格されたというw 

バスで55分で椿大神社に着きます。「つばきおおかみやしろ」と読み、全国の猿田彦神社の総本営なのだそうです。なお、由緒によると創建はこちらも倭姫命らしい。鳥居をくぐるとすぐに、両横に聳える古木に苔むした石柵と、すごく雰囲気のある参道があります。境内には禁足地があったり、地球が描かれた謎の丸石があったり、拝殿の横に奉納された鉄砲柱(相撲部屋の)があったり、と色々謎なものがありあります。あとご朱印帳に、手塚治虫火の鳥に出てくる、サルタヒコとアメノウズメが描かれたものがあるそうです。本殿の横には、摂社としてアメノウズメを祀る椿岸神社もあります。あとは末社として松下幸之助を祀る松下社なるものもありました。

境内をまわった後、もうひとつの伊勢国一ノ宮である都波岐奈加等神社に行きます。こちらもどの最寄駅からも離れていて中々行くのが面倒な位置にあります。タクシーを時間指定してJR河原田駅から向かいました。拝殿はコンクリートの小奇麗な社です。ご祭神はこちらも猿田彦です。境内にあるプレハブのご朱印授受所に、社務所に居ますと張り紙があり、呼びに行って頂くことができました。

タクシーで河原田駅に戻り、桑名に向かいます。桑名といえばはまぐり。駅前にある「はまぐり食道」は食べログではそこそこ高評価なものの、Googleで出てくる口コミではかなりの低評価と分かれていて、だめかもなーと思いつつも行ってみました。店内はがらがら、接客のおばちゃんは口コミほどはひどくはないが愛想はやはりよくない、ちっちゃいハマグリの吸い物にしょぼいフライで2500円のぼったくり価格と、まあ後者の評価が正しいかな。

桑名から養老鉄道で多度に行きました。駅前からのコミュニティバスでうまく多度大社へ行けるようなので待っていると、東急の車両のような銀色の列車が入線してきました。ん?と見ていると、反対側のホームから、どこから出てきたのか撮り鉄たちが列車の写真を撮り始めました。よくわからないまま運転席に入ったり行き先案内表示を変えたりとやりたい放題。なんだ、と思って写真を撮ると、一人が近寄ってきて、撮った写真SNSアップしないでください、とのたまった。まあ関わりあいたくないし別に上げることはないけど。

多度大社は思ったより立派な境内でびっくり。ご祭神は天津彦根命らしい。天津彦根命といえば朝霧の巫女。ぐぐってわかったんだけど、天津彦根命の子供が天目一箇神だから天津彦根命目玉おやじなのね。多度大社は雄略天皇の頃に創建されたり、長島一向一揆のときに織田信長に焼き打ちされたり、本多忠勝桑名城主になって再建されたりと、中々ぐっとくる由緒を持っておりますね。境内に入ってすぐの石段の端に土の坂がむき出しになっていて、その脇には細長い長屋のような観覧席が連なっています。多度祭では、ここを馬が駆け上がりその良し悪しでその年の豊凶を占う「上げ馬神事」が執り行われます。石段を登ったところには芦毛の神馬がいました。境内は、ご神体である多度山に沿うように全体に坂になっており、全体に木々に覆われていて、見ごたえがありました。

 名古屋に戻り、新幹線まで時間があるので、あんかけスパを食べた後、ミッドランドスクエア裏にある7 Days Craft KitchenでOn tapをスターターで飲みながら店員となぜか徳川埋蔵金とかレイラインとかオカルトの話をしてました。

時間が中途半端だったので疲れたので早々に帰宅したのですが、時間があえば桑名からナガシマスパーランドに行くのもいいかも。アクセスはこことかこことか。

鳥羽水族館、伊雑宮、専修寺

午前中雨の予報だったため、屋内で過ごせる観光を考えていたので、いざ実際に雨が降らなかったのにあまり色々観光できなかった一日でした。鳥羽湾の遊覧船とか賢島とかあったのだけど、分厚い曇天の下ではなんとも魅力的ではなく、鳥羽水族館に行ったのでした。

セイウチやアザラシなどのショーは色々なことをしてくれてまあ面白かったのだけど、鳥羽水族館ならではというと、ダイオウグソクムシなどがいる「へんな生きもの研究所」のコーナー。ちょっといかしたポップと合わせてへんな生きものが色々と見れます。真っ白なウニ、瞳が円らな碧眼のヤドカリ、細い足ばかりのミズグモ、自分の殻の上に他の貝殻や石をくっつける貝などなど。

11時になったので水族館を出て、昼食をとろうとしたのだけど、お目当ての店がすでに予約で一杯というので、駅前のコンビニの弁当と揚げ天を買って車内で済ませたのでした。

上之郷にある伊雑(いざわ)宮は伊勢神宮の内宮の外宮で、伊射波(いさは)神社とともに志摩国一ノ宮とされています。横には御料地の田んぼがあり、伊雑宮に納めるお米を作っています。田植えの行事は香取神宮住吉大社と並び日本三大お田植祭とされており、そのときの田楽は「磯部の御神田」の名で無形の民俗文化財とされています。しかし、なんでこんなところにお伊勢さんの別宮があるんだと思っていたのですが、伊勢神宮を興した倭姫命がこの地まで来て建立さたという話なのですね。その際のエピソードは、日本酒の銘柄にある沢の鶴の酒名の由来にもなっているそうです。

 宿を湯ノ山温泉にとっているので、上之郷から北上します。松坂で乗り換えたのですが、松坂祇園まつりなるものを開催していました。普段はさびれた駅前の商店街に屋台が並んでいて、事前にわかっていたら下車したんだけどね。

JRの津の一駅先にある一身田で下車します。これで"いしんでん"と読むとかカッコいい。近くにある専修寺がわりと有名らしいので寄ってみることにしました。この辺の電車って亀山とか四日市とか位置関係がよくわからなかったのですが、津と亀山と四日市で三角形を作っているのですね。津と四日市近鉄伊勢鉄道が走っており、亀山から津、松坂を通って新宮まで紀勢本線が走っている。四日市から亀山、伊賀を通って奈良のほうまで関西本線が走っている。

専修寺は、浄土真宗の高田派の本山となります。歴史はWikiに書いていますが、親鸞の東国教化の本寺が栃木にあったのが戦国時代に戦火を逃れて三重に移ってきた、とかややこしいわ。ただ、それだけのことはあって、よくわからない位置にありながら境内もかなり広く、寺内町も綺麗に残っている。特に2つある大きなお堂(如来堂、御影堂)はいずれも2017年に国宝に指定されたそうです。他の建築物も軒並み重要文化財に指定されており、戦火や失火で焼失していることが多い神社仏閣にあっては珍しい現存度だと思います。

二つのお堂は中に入ることが出来る上、個人利用に限り撮影OKでした。SNSで公開するのは止めてね、なんていかにも今っぽい。お堂の中も綺麗に整えられていてありがたい。本尊の両横に掛け軸が掲げられているのは、他でも見たことあるな。御脇書というのだそうで。

寺を出て一身田駅に戻ると、列車がまだ来ないはずなのに、駅を出てくる学生がぞろぞろと。調べると伊勢鉄道の駅と構内でつながっていて、丁度列車が来ていたようでした。そんな仕掛けになっていたのか。出来れば早く湯ノ山温泉に行って、御在所山に登れればと思っていたところでした。

湯ノ山温泉は近鉄四日市で乗り換えて30分ほどで着きます。結局着いたのは17時で御在所山に登るロープウェイが丁度終わる時間でした。雨も強くなりはじめたこともあり、湯ノ山温泉の中心部に行くのもあきらめて、予約していた駅近くのホテルに退散したのでした。

伊勢神宮、伊射波神社

三重県には一ノ宮が4社もあってどうなってんだ、と気になっていたので、海の日の3連休に合わせて行ってみました。伊勢神宮もこれまで二度は行っているのですが、ご朱印は貰っていないのと、周辺の別社には行ったことがないので、合わせて訪れました。

名古屋で近鉄特急に乗り換え、伊勢市に着いたのは9:12。駅正面の参道を数分歩くとすぐに外宮にたどり着きます。朝早くにもかかわらず参拝客が多く、境内は雑然としていましたが、正宮の前はやはり厳粛な空気に満ちていて、身の引き締まる思いで参拝しました。隣の古殿地も近寄りがたい雰囲気ですし、境内の空気の振れ幅の広さが他の神社の比ではないですね。別宮に行く途中にある亀石が変わらずあるだけでほっとしたり。別宮の一番離れたところにある多賀宮なんかも、なんでちょっと離れたところにあるのだろう、ぐらいにしか昔は思わなかったんですが、今回は威圧感やばいとか思いながら参拝してました。

忌火屋殿や御厩など一通り巡ったあと、北側にある月夜見宮へ向かいます。社は木々に囲まれて静かに建っていました。参拝客も少なく、雰囲気があってよかったです。参道である神路通りもいい感じ。とある家の玄関口を見ると注連縄が飾ってありました。付けられた木の札には「蘇民将来子孫之家」の文字があり、おお本当に蘇民将来なんだ一年中飾ってるんだ、と感動。蘇民将来の話は愛宕神社のページにも書きましたね。伊勢の注連縄についての説明はこちらとか。

外宮前に戻ってバスに乗り、徴古館前で降ります。内宮の別宮である倭姫宮が近くにあります。こちらも月夜見宮と同じく森の中に社があり、厳かな雰囲気でした。隣の敷地には、神宮のお祭りや式年遷宮で使った品や衣装を展示する徴古館があります。10月には大嘗祭が催行されることもあって、覗いてみたのですが意外に普通でした。ここで時刻が11時過ぎになっていて、これからの予定を考えるととても時間がないので、急いで内宮へ。月読宮と猿田彦神社に行ってさらに、朝熊岳の金剛證寺まで行きたかったのですが、残念。

バスで内宮前で降りるとすぐに宇治橋がありま五十鈴川が増水していて手を洗えなかったのは残念。別宮は荒祭宮にだけ行きました。昼を過ぎていたこともあって参拝客が多く、慌しい参拝になってしまいました。

おかげ通りにある伊勢角屋麦酒でビールを一杯飲み、バスに飛び乗って五十鈴川駅から鳥羽に向かいます。

逆に時間が出来てしまったので、海老フライで有名な"漣"へ行きました。

sazanami.co.jp

限定の大海老フライがぷりっぷりなのだと。食べログでは客の回転が速いとのことだったが40分待たされた。次の予定もあったので普通の海老フライをいただきました。美味しいっちゃ美味しいけど、感動するほどでもなかったかな。

さて、この日のメインイベントである伊射波神社へ行きます。伊射波神社は志摩国一ノ宮なのですが、漁師のための神社であり、小さな岬の山の上にあります。車で行くことはできず、最低30分は歩く必要があり、全国の一ノ宮でも屈指の難易度を誇ります。行きかたはこちらを参照しました。公共機関ではコミュニティバスであるかもめバスがあります。2019年度の時刻表はこちら。今回は昼飯に時間がかかって目当ての鳥羽バスセンター 14:03に間に合わなかったので、タクシーで向かいました。運ちゃんには何度も心配されましたね。

終点バス停である安楽島のちょっとだけ先で降ろしてもらい、車の通れない細い道を歩いていきます。小さな丘の切り通しを抜け、しばらく下っていくと入り江の堤防に出ます。岬を回りこむようにさらに歩いていくと、海に面した鳥居にたどり着きます。海の水がきれい。そこから山へ登っていきます。森の中に長屋のような拝殿がありました。本当なんでこんなところに神社を作ったんだ。当然ながら社務所はなく、宮司の家の電話番号と地図が社の中に置かれていました。上の紹介サイトにある「奇跡の窓」を見てから、山を下ります。奇跡の窓は、思ったとおりちょっと小さく、そこから見える景色もまあ微妙。

宮司の家は、安楽島のバス停からさらに少し戻り、漁協のある三叉路で神社と反対に曲がった先にあります。三叉路には宮司宅への案内板があり、さらに家の前には看板がいくつもありましたw よっぽどみんな苦労してるのだろうな。丁度このあたりから雨が降り始めました。登るのがぎりぎり間に合ってよかった。

無事宮司のおっちゃんからご朱印を貰い、安楽島16:07のバスで鳥羽駅まで戻りました。丁度この日は別の近くの神社の例大祭があるとかで、バス停側にある立派な集会場ではカラオケ大会の準備のマイクチェックに余念がありませんでした。

宿で晩飯が出ないので、駅前のさざえストリートで食べることに。一番端にある「ザ・貝屋」でいただきました。伊勢えびの刺身にあわびの残酷焼き、さらに岩ガキと超豪勢な食事に。お店のおばちゃんにはイカの沖漬けに味噌汁をサービスしていただいたり、横で飲んでいたおっちゃんに晩飲みに行かないか誘われたりと、愉快な晩飯になりました。