狼と香辛料

2巻まで読んだ。一晩寝て、ちょっとわかってきた。
ストーリーテリングだけを見ればやっぱり微妙だと思う。ストーリー展開のバランスが悪いし、キャラの造形がぴりっとこないし、サブキャラがプロットのためだけに存在している。あと何といっても、ホロ変身が水戸黄門の印籠ちゅーかデウス・エキス・マキナちゅーか。それまでの地道なプロット構築がすべておじゃんになってしまうごり押しな決着。それは「終わりのクロニクル」でも感じた不満でもある。結局腕力で解決させる予定調和。1回ならいいんだけど、毎回されるとぐんにょりする。この歪な決断主義は、ラノベならではなのかもしれない。アクションという読者サービスを披露するのに、主人公たちが力を揮う大義名分が必要で、作品のプロットや設定のルールがそうせざるを得ないように構築されている。これはなんだろう。
狼と香辛料」は孤独がいやというのが一つの行動原理になっている。朝早く目が覚めて自分がどこまでも一人なのを知ったとき、胸が締め付けられるような思いにとらわれる。そういう気持ちは止めることはできない。ロレンスとホロのやりとりは、この作品で断然面白いところだったりする。単に馴れ合いなのではなく、手練手管の応酬でもあり、それが物語を動かす核になっている。物語が歪であるように彼らの関係も歪なのだけど、そもそも人と人の関係が歪でないことはない。打算的であったり、互いに異質な存在であることを確認することが多い。でもやっぱり孤独はいやだったりする。そのギャップを自覚しながらも軽やかに物語として書いてみせる、という点で最近読んだラノベは共通しているように思う。「ゼロの使い魔」は、勇者はいつも一人というテーマを話のコアに持ってきている。「終わりのクロニクル」は、理でもって相手を説得する"悪役"が家族を見つける物語である。
狼と香辛料」では、情景や商売のディテールが面白いし、商人たちとロレンスのやりとりが面白いし、ホロの設定が面白い。そして、それらがあるから、ロレンスとホロの、相手に出し抜かれないとしながらも互いに惹かれているという奇妙な関係の面白さが際立っている。それでも二人の間には絶対的な隔絶がある。ちょっと歪なプロットや設定でもって(彼らが力を揮うことで一時的に)隔絶を取り除いてみせるけど、結局なくなることはない。
違うことを認めながらそれでもやっていくにはどうするか、理と情の間でどう折り合いをつけるかを、フィクションでもって描くのが最前線のラノベたちのミッションなんだろう。ストリーテリングだけでは越えられない溝を、フィクションを設定し、よりプリミティブな感情を認めて描くことで乗り越える。それは確かにポストモダンの先の文学ではある。