どこにリーチするのか

アンリーチャブル・ネットワーク。あるいは、書き手はアンリーチな世界でどう生きるのか。 -

やっぱり私は一言言いたくなる。
ネコプロトコルさんの書く世界は、万人のために個人は損失を我慢しましょうってもので、それって社会主義的だなぁと思う。この手の考え方はレッシグ先生も言っているし、ネットにフロンティア精神を見出す人に共通の思想ではある。理想主義的で聞こえはいいけど、創り手の共感を得るものではない。
少なくともこれまで創作活動は、自分の経験や生き方を切り刻み万人にさらすという損失を代償に不特定多数の人に思想や感覚やビジョンを伝えるものだった。そこには損失と得るもののバランスがある。それは交換であり経済活動である。自分をどこまで出すか、自分の何をふみにじるか、どうそれを回避するか、そのための技術と熱意が創作物をして人の心を打つのだと思う。誰に宛てられるでもなく、創り手の手を離れて流れていくために創られた作品だって良さはあると思う。でも私は、個人と世界の間でもがいている作品の方が好きだ。
もちろんコンテンツ社会主義者は、すべてのコンテンツに権利を放棄するよう強制しているわけではない。でも、ネットの思想として、将来こうなるべきなのだから、とかコンテンツ制作者にも利益になるのだから、と言って、ネット社会主義を強制する人たちがいるのも事実だ。その事大主義がもたらす強制力、倫理という言葉のもとに振りまく正義は、私には暴力的に感じる。
ネコプロトコルさんの書いたような言説は耳に心地いいので、思考停止に陥りがちになる。創り手が世界に対峙するときの苦悩に対し、それは煩悩だから捨てちゃいなよ、と言っていても問題はあきらかにならない。それが出来るなら苦労しないのである。ネコプロトコルさんも「そう割り切れれば、格段に生きやすそうですけどね」とイクスキューズしているけど。

一つ言っておきたいのは、煩悩を捨てた作品、どこにもリーチしない作品の面白さってのは、ワンパターンでそろそろ飽きてきたってことだ。加えて、リーチしないことを前提として現実を描こうとした作品は、概ねぐだぐだでつまらない。オリジナルの「攻殻機動隊」は、あの時代に悟りを見せてくれたから面白かった。でも、マンガの「攻殻機動隊2」やアニメのSAC(少なくとも2nd GIG)やSSSは面白さより居心地の悪さの方が先に立つ。これらの作品の草薙素子はネットを自由に行き来する自由人ではなく、何をしていいかわからない彷徨い人になっている。自由となすべきことの間で切り裂かれ人格を失い小道具と化している。
アンリーチャブルでいるというのは、そういうことだと思う。切り刻まれた草薙素子の亡霊を目の前にしても、どこにもリーチしないコンテンツを創りたいと思うか。私はそれを望まない。
今やアンリーチな世界から逃れることはできないんだろう。でも、解脱してまで何かを創りたいとは思わんし、そんな涅槃な作品ばっかだと世界はつまらんだろうなぁと感じる。太宰治は短編『葉』で「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり」という言葉を引用している。この恍惚と不安は、誰にリーチするか分からないけど確かに誰かにリーチするからこそ生まれるものだ。アンリーチャブルネットワークでは創作に最も必要な恍惚と不安の合い混じった感覚を持つのが非常に難しいだろう。

(追記)

>ネコプロトコルさん
どうもありがとうございます。私もそろそろ創作活動にシフトしたいものだと思いながらも、今のブログ的な表現で誰に向かってどんな文体で書けばいいのかぴんときていないところがあります。

>mickohさん
その話をするとき、今のところコンテンツと受け手の関係だけが重視されていると感じています。創作者の観点はほとんど省みられていない。今のところ創作者が意思表明しているのは既存の著作権法上でばかり。なぜ彼らが抵抗するのかという心情というか論理は表に出てこない。コンテンツ社会主義者が彼らをどう踏みにじっているかはあまり書かれない。Web技術の発展の中でどのようにコンテンツ流通を行うのか、そのために考えなければいけないことを整理せずに話を先には進めないと思うのです。
メディアという言葉は色んな意味で使われますが、私はメディアという言葉を、送り手の発信する情報を受け手が手にとるコンテンツという形に転換するプロセス、という定義で使っています。創り手の損失をリーズナブルな量に抑えた上でコンテンツ流通による効果を最大化する、それはメディアの役割です。CGMでは、ユーザはコンテンツ制作者であるのと同時にコンテンツの消費者です。しかし、消費者としての利便性は議論されているし技術も進化しているのに対し、制作者としての利便性は全然整備されていない。制作者が何を欲して情報を発信するのか、そのプロセスを踏まえずに利便性の向上を議論することはできない。
[rakuten:book:11997017:title]の冒頭に、ジョブズがなぜiTMSを成功させたかという理由の一つに彼が音楽を好きだったからというのをあるレコード会社の人があげた、というエピソードが紹介されています。彼は音楽のクリエーターのことがわかっていたから彼らのためになるシステムを作ることができたし、頑なだった音楽業界も彼をサポートした。創作者と消費者が同じCGMでは尚更、双方の利便性を向上させることが必要でしょうね。

(さらに追記)

2ちゃんのスレでしか内容を確認していないのだけど、hirokiazuma.comにあるあずまんの「キャラクターズ」はまさに、どこにもリーチしない作品のようだ。私は上で

これらの作品の草薙素子はネットを自由に行き来する自由人ではなく、何をしていいかわからない彷徨い人になっている。自由となすべきことの間で切り裂かれ人格を失い小道具と化している。

と書いたけど、現実の人物を作者たちの視点に基づいてそのように切り刻んだお話みたい。まーあれだ、勝手に解脱しててください。