アニメ:「ファンタジック・チルドレン」

ワン・アンド・オンリーなアニメでした。
幾度と転生を繰り返すベフォールの子供たちの描かれ方が凄まじい。幸せな過去の思い出に囚われると転生できなくなるわけで、なんともストイックなのです。あとは何といっても、ヘルガの心の中に自分がいないことを知った後のセスの逍遥のシーン。雨の中を歩くシーンと過去とのカットバックによる感情表現は、これぞ演出技法というものでした。上野耕路による音楽は、海外の映画音楽にも引けをとらない、精緻なオーケストレーションとリリカルなメロディを融合させたものでした。

終盤の展開が凡庸だった、ラストのめぐり合うシーンが蛇足だった、という批判はあるけど、そういうのでファンタジックチルドレンの評価を下げるのはもったいない。

アンファン・テリブルという言葉があります。大人からみて何を考えているのかわからない子供たち。しかしそんなレッテルに限らず、子供はみんな、社会とかそういうのとは別の次元で何かを考え、何かを目指し、行動しているように見えます。おそらく、子供は、自分の前に開かれていく世界にたった一人で向き合っているのでしょう。子供が自覚することなく持っている絶対的な孤独というものを、ファンタジックチルドレンは物語として綺麗に組み込めていたと思います。ベフォールの子供たちの彷徨、ヘルガの乖離的な振る舞い、トーマやチットの無軌道さは、底辺ではつながっています。彼らは、オトナ的なもの、あるいは(下記で斉藤環氏が述べているように)お互いが相手の気持ちを完全に理解しているという「セカイ系」的妄想とは遠くかけ離れています。
子供に付けられるお仕着せな麗句「無限の可能性」の裏にあるのは、「無限の喪失」なのかもしれません。子供がその無邪気さと快活さで毎日を生きるとき、大人がルーチンワークとして選択を繰り返すのとは違う方法で、喪失を踏み越えている。そういうことを、あからさまに語るのではなく、設定に沿い物語の中で異化し映像と演出で表現してみせたファンタジックチルドレンは、やはり凡百の輪廻ものとは一線を画していたと思っています。

ところでDVD最終巻には特典映像があるのですね。明日買おっと。