愛宕神社ほおづき縁日

6/23,24が愛宕神社のほおづき縁日だということで行ってきました。艦これ的には、4コマで愛宕さんが駆逐艦ズを案内して、文月がほおづきもらってましたね。ちなみに愛宕さんの艦内神社はここじゃなく、京都の愛宕神社です。去年行ったときの日記が書きかけだったので、改めて。

ほおずき縁日といえば千日詣で、茅の輪くぐりで、3回くぐるんじゃなかったっけ、と調べたところ、確かに作法がありました。ん、蘇民将来

蘇民将来といえば、朝霧の巫女。乱裁さんを縛り付ける七生滅敵の呪いの印として何度も出てきました。蘇民将来スサノオにあやかった疫病退散の民間信仰で、茅の輪はそのお守りですかね。蘇民将来 - Wikipediaには護符として岩木山神社の晴明紋もあげられています。しかし、愛宕神社岩木山神社も(というか他の神社も)スサノオを祭神にしているわけでもないのに、茅の輪くぐりをしてるんですよね。あえていうと、大山祇神スサノオと縁故ではありますが、スサノオ自身は海とは縁が深いけど、山とのつながりは特に見当たらないんですよね。まあ、夏越の祓だから細けえことはいいんだよ、ということなんでしょうか。

愛宕神社は、御成門から一本奥に入って歩くとすぐに見えてきます。去年は、神谷町から愛宕トンネルを抜けて行ったのでした。愛宕神社といえば出世の石段。去年はそれなりにちょっと疲れた記憶があるのですが、割とすんなり登れましたね。10時過ぎだったため結構列が出来ていました。

茅の輪くぐりですが、一般的には輪の外を通らないといけないのですが、愛宕神社では門に結び付けられているので、それができないんですよね。門の敷居をまたいで三度行ったりきたりしました。そんなことしてるのは私だけで周囲に迷惑をかけちゃいましたw

お参りをした後、境内をしばらく散策。青い葉のほおずきの鉢が所狭しと並んでいます。およそ都会とは思えない涼しげな空気です。都心では珍しい高台に神社はあるのですがね。あえて心象を言葉にするならば、水に潜っているよう。火除けの神様強すぎです。

この後は、何気にラーメン激戦区な虎ノ門でラーメンを食べ、日比谷公園から皇居外苑を突っ切って、将門首塚にちょっと寄って、そのまま神保町まで歩いたのでした。

 

 

大雄山、足柄神社、寒川神社

10連休のGW残り2日に、足柄神社に行くことにしました。足柄神社は金時山を挟んで箱根の丁度裏側で、近くには大雄山最乗寺という古刹があるので、合わせて行ってみることにしました。

最初足柄駅に向かったのですが、電車の中で小田原から出ている大雄山線に乗らないといけないのを知り、足柄駅から五百羅漢駅まで歩いて乗り換えたのでした。五百羅漢というのは、玉宝寺に祀られている五百羅漢像から来ています。Wiki阿羅漢のページにあるように、五百羅漢というのは割と全国にあったりします。玉宝寺では本堂の中に列を成して並べられていました。いろんな顔や姿の羅漢さまがいて面白いです。

大雄山駅で降り、バスで最乗寺へ向かいます。坂を上っていくと緑が増えていき、やがて木々に囲まれた参道が見えてきます。終点で降りて、10分ほど歩くと山門が見えてきます。天気がよくて、緑もまぶしくて散策にはもってこいの場所です。紫陽花も有名らしいですね。

石段を登ると山腹に開けた境内に入ります。地元の崇敬が篤いのか、奉納された木札が何枚も壁にかけられています。また天狗伝説で有名らしく、門の両側に天狗の像が建っていたり、高さ2メートルほどの巨大な下駄が奉納されていたりします。奥の院へ行くには長い石段を登る必要があります。森閑とした杉並木は雰囲気があって、ゆっくりでも登りたいところです。

足柄神社は駅の反対側にあり、歩いて向かうことにしました。参道から横に曲がり、車道を1時間近く下りて行きました。脇道に入り、畑の横を歩いていくとやがてこんもりとした小さな森があり、その中に神社はありました。社殿は1つあるだけですが、本殿と拝殿がつながった形をしており、意外に大きい。また横には古びた石祠があり歴史を感じさせます。足柄神社は、重巡足柄だけでなく、現在任務についている護衛艦あしがらの艦内神社でもあり、境内に紹介する看板がありました。ここまでちゃんとした神社なのに、社務所がないんですよね。

帰りはバスで駅に戻り、小田原へ。5/3に北条五代祭りというのがあったらしくあちこちに幟が立っていました。時間があったので小田原城を散策。実は初めて。郭が残っているけど、全体に広すぎてぴんとこないなあ。

この後は折角なので、相模国一ノ宮の寒川神社へ向かいます。相模線の宮山駅から歩いて10分ほどです。神社の向かいに、市民会館のような参集殿がある。さすがだ。境内は全般に綺麗で、社務所も本殿も大変立派でした。5/1前後は改元記念で特別なご朱印がもらえたらしく、相当混んだらしいですが、この日は夕方だったこともあり、参拝客はまばらでした。本殿の奥に神苑があるらしいですが行きそびれました。

いい時間になったので、町田でベルギービールを飲めるお店である地ビール厨房Copaに。CorsendonkのGrand HopsとBinchoiseのSpecial Noelを。なお、現在は高座渋谷に引っ越されたそうです。

諏訪大社・有明山神社

諏訪大社は、茅野(ちの)駅に近い上社と、下諏訪駅近くの下社にそれぞれ2宮の、合計4社でなっています。4社を巡るのに、とくに上社への移動が大変なことで知られています。4社巡りにはこことか参考にしました。

当日のスケジュールはこんな感じでした。

上社に行くには、諏訪のコミュニティバスであるかりんちゃんバスがあるのですが、本数が2時間に1本くらいと限られています。信州の観光サイトであるさわやか信州旅からもリンクの張られている、信州ナビで調べるのがおすすめ。

バス停から歩くとすぐ上社本宮があります。門前にはお土産屋や食事処も多く、本来なら最後に来るのがよさそう。朝八時ですが参拝客も多く、社務所も開いていてご朱印を受け付けています。ここで2冊目のご朱印帳を買いました。1冊目は出羽三山のものでした。黒地に金色で諏訪神社のマーク(神紋ではなく"の"の字を描いた綱のシルエットみたいなの)がワンポイントに入っていてかっこいい。ご朱印帳の専用のサイトだと、千代紙のように華やかな柄か、龍など一面に絵が描かれているのばかりがお勧めにあがってきて、好みのものがなかなかないんですよね。ご朱印帳の紹介はこことか。

なお、この日は、4社巡りのためにご朱印を押してもらう色紙を限定販売していました。おかげで他3社でご朱印を貰うのが大変でした。

境内も見所が多いです。まずはもちろんの御柱。皮を剥いだモミの木が社殿の四方に建てられています。また拝殿を囲むように、小さな社や倉が建てられています。あと、入り口から入って正面に拝殿があるのではなく、横にあります。神体山である守屋山を向いていないようなのは、なんか不思議。あと、信濃一ノ宮の本社ということで、額を納める額堂、お供え物を置いておく回廊、大きな太鼓の置かれている神楽殿のほか土俵まであります。

後が押しているので次へ向かいます。結局本社には1時間ほどいました。

神社の隣にある法華寺には、吉良義央の子である義周のお墓があります。孫であり養子というのはよくわからない表現ですが、義央の嫡男は米沢藩上杉家に養子に出され(子供がいないと藩が改易させられるので養子をもらう必要があった、というのはchusingura46+1でも出てきていた)、彼の子供義周が逆に吉良家の後継が夭折してしまったので、吉良家に養子として入ったのでした。元禄事件で吉良家もとばっちりで改易させられるのですが、当の義周は諏訪藩預かりとなり幽閉させられていたそうです。お墓は寺の裏にひっそりと建っていました。苔むした石塔と石碑があり、無念の死ながらもその哀れさ故に丁寧に葬られていて無常感を覚えます。

 本宮から前宮までは早足で20分ほど。こちらはもともと摂社だったこともあり、社殿が坂の上に1つあるだけです。お参りをするのはすぐですが、ご朱印を貰う待ち時間もあり30分ほどいました。

前宮から茅野駅までも普通に歩くと20分ほど。10:13の列車に乗るため、最後は走りました。予定より1時間早く下諏訪に来ることができたので、うなぎを食べに行きます。春宮に行く途中にあるうな富でいただきました。

店に電話したのですが、基本予約を受け付けていないっぽい。しかし電話の応対が要領を得ないのでようわからん。一番乗りで待ってました。

料理は、うな丼特上に白焼き、きも吸いをいただきました。油の乗りが軽く、中が本当にふっくらしていてびっくり。三島など他で食べたものよりも、食感のコントラストが1段上だと思いました。白焼きは外がさくさくで中がふわふわでミルフィーユのようでした。次に三嶋大社に行くときに食べ比べる楽しみができました。

 春宮と秋宮は少なくとも主殿は同じ構成となっています。神楽殿には出雲大社を思わせる太い注連縄が掛けられています。その後ろには御幣を納める幣殿と拝殿が一体になった幣拝殿があります。拝殿の上の2階に棟がある二重楼門構造は岩清水八幡宮を思い出させます。両脇の棟も含めた独特の構造にいつまでも見入ってしまいます。

春宮では、ご朱印の待ち時間に境内の離れにある万治の石仏を見に行きました。半球の大きな図体に、モアイのような面長の頭がちょこんと乗っているユーモラスな姿をしています。岡本太郎が大好きで何度も訪れたのだとか。

春宮から秋宮へは間を結ぶ旧街道を歩きます。秋宮近くにはかつての宿場町の町並が残っていて、歩いていて楽しいです。門前町の土産屋や食事処も充実してます。

 4社のご朱印を集めると、記念品がもらえます。現在はご朱印帳を入れるのに向いている巾着袋でした。

諏訪での4社巡りを終え、安曇野にある有明山神社へ向かいます。駆逐艦有明の艦内神社です。有明山神社へ行く公共機関にはあづみ野周遊バスというものがあります。大糸線穂高駅を起点に、大王わさび農場やいわさきちひろ記念館などを巡ることができます。今の時刻表などはこちら。ただ、本数が少なく、今回は時間がなかったこともあり、有明駅からタクシーで行きます。車で20分ほどだし少々登るので、歩いていくのはわりとつらい。

昼間はもっていた天気でしたが、神社に着いたころには雨になりました。意外に雰囲気ある境内で、特に山門がいい感じ。改元記念で特別なご朱印もありました。 

松本に戻り、夕食を食べようとしましたが、有名なところはどこも一杯で、駅前の小木曽製粉所という蕎麦やで食べました。

あずさで帰宅の途につきましたが、駅を出るところでパスケースをなくしているのに気づく。駅員に問い合わせると乗務員が回収しているとのことで事なきを得ました。ありがたや。座席で尻をずらしていて滑りでたのかな。新宿まで取りに行ってなんとか帰宅。

御嶽神社

天気予報で翌日雨とのことで、この日に予定変更して木曾の艦内神社である御嶽神社へ行きました。

御嶽神社は、木曽福島からバスで40分ほどの王滝村に里宮があります。バスが一日に数便しかないのでなかなか大変。ちなみに今の時刻表はここ。バスの路線図はここ木曽福島駅のバス停情報はここ

スケジュールはこんな感じ。御嶽山参拝の古道があるというのと、中山道の宿場町として有名な奈良井宿に丁度乗り換えよく行けるので。

木曽福島のバス停は駅前すぐにあります。荷物が整理できていれば、一本後の9:01着でもぎり間に合いそう。7:04に間に合うよう、朝食を速攻で食べ、タクシーも使ったおかげで、わりと余裕がありました。木曽福島駅で1時間待つことになりましたが、観光案内所でおばちゃんと話したり、道を尋ねに入ってきた外国の観光客と相手したりしてました。駅から歩けるところに権現滝というのがあるそうですね。

王滝村からの地図はこちら。せめて清滝ぐらいまで行きたい。里宮の周辺あたりから、石碑がいくつも建っている。御嶽山のWikiの御嶽講の項によると、

各講の先達の魂は霊神として、その碑が御嶽山の登拝道に鎮められている。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴の一つである。

 とのこと。御嶽信仰について記載したこのページによると、霊神碑の数は「王滝登山口、黒沢登山口、ともに、両側に林立する2万基を超える」らしい。霊神碑には、御嶽信仰に関係する神様や行者の名前を霊神の称を付して(普寛霊神みたいに)彫られている。里宮の鳥居の周りには鶴亀や五円玉、かえるの像が納められている。かえるは御嶽講の行者の姿なんでしょうね。林の中の300段ほどの石段を登ると、切り立った崖に寄り添うように建てられた本殿が見えてきます。周囲にある碑や石造りの社が多彩で、御嶽信仰のやばさがすでに感じられます。

 お参りを済ませご朱印をもらってから、車道に沿って山手に歩いていきます。道沿いにすでにぼろぼろと霊神碑が建っています。2合目から時折脇の林道を登ることになります。どこまでも霊神碑があってやばい。そうやって2時間ほど登ると清滝に着きます。道中は概ねなだらかなのですが、三合目にある大又三社への石段だけは急で段数もあってきついです。

清滝は行者が身を清めるのに使われたそうです。訪れたときも隣に建つ社で、白い衣に身を包んだ信者の方たちがなにやらやっていました。滝行はしていませんでしたが。滝自身も立派で見ごたえありませいた。

奥に新滝や温泉や神社もあるようなのですが、石段で割りと疲れたし時間を気にしながら登るのもあれなので、下ることにしました。車道に沿って下ったのですが、旅館や食事処はどこも閉まっていて、御嶽山史料館も閉館していました。木曽福島の観光案内所では、七合目にある田の原駐車場までのバスが今年からなくなったという話も聞きました。理由は王滝口から山頂まで登れなくなったからとのこと。今のところ田の原遥拝所から先は規制されているようです。その原因となった2014年の噴火について改めてWikiを読みましたが、突発的な天災の面も火山の危険性について周知がなかった人災の面もあり、事故の痛ましさに改めて胸が痛む思いです。

バスの1時間前に停留所に着き、休憩所で眠ってました。駅に戻り、列車で奈良井に向かいます。松本から着いたときも、ここで乗るときも、列車から降りる人を押しのけて地元民が乗っていってびっくりしました。なにこの民度。松本から名古屋までの篠ノ井線沿線には他に、寝覚の床や木曽義仲挙兵の地なんてあって、列車の本数がもう少しあればいいんですが。

中山道の宿場町である奈良井宿妻籠宿、馬籠宿もまた篠ノ井線沿線にあって、江戸当時の趣を多く残す観光スポットとなっています。妻籠宿、馬籠宿は特に外国の観光客に評判なのに対し、奈良井宿は比較的観光客が少ないとのこと。実際のところ、建物はそれっぽくてバリエーションもあって楽しいのですが、歩道が砂利道をあしらったアスファルトで、写真で見た感じ以上になんかちぐはぐな景色でした。端まで行って、木曽の大橋を見て、とっとと駅に戻ったのでした。

塩尻乗換えで、今日の宿がある上諏訪へ。東京に近いほうが上諏訪です。近くにあるうなぎを出すお店はいずれも品切れで、ホテルから少しいったところにある、料理をケータリングで選べる料理屋で夕食。

ホテルは諏訪湖畔に建つ温泉のあるところに泊まったのですが、泉質はまあよかったですね。

ところで、後日友人の持っている艦内神社本を読むと、御嶽神社の里宮は2社あり、木曽で艦内神社として祀られていたのはもう一社の里宮なのだそうです。ただ、もうひとつの登山口である黒沢口にある里宮本社はこのページによると簡素な境内なのだそうで、これはこれでいいか。

湯田中、関山神社、松本

湯田中の隣にある渋温泉郷まで早朝に散歩しました。桜が残っていて、あちこちで愛でることができました。また、昔ながらの温泉ということで、お寺や石碑、特に小林一茶の歌碑があちこちにあり、割と飽きずに渋温泉郷まで行けます。時間は30分弱ですかね。特に、世界平和観音という野ざらしの大きな観音像があるのですが、そこへ登る階段が桜のトンネルになっていて、とても風情があります。

渋温泉郷には、金具屋という有名な宿があります。なんでも「千と千尋」の油屋のモデルなんではないか、なんてことを言っていて、ぜひ見てみたいと思ったのでした。実際のところ、四階建ての棟の各階(少なくとも欄間)の意匠が違っていて面白い。ただ、道後温泉のように色んな棟が連なっていることもなく、古めかしくもないので、肩透かしなところもある。館内がもっと趣向を凝らしているらしいので、一度泊まってみたいものです。

渋温泉郷自身も、ゆるやかにくねる石畳の道に、昔ながらの旅館が連なりいい感じです。外湯巡りというものがあって、9つの公衆浴場がそれぞれ違うお湯で、渋に宿泊していないと入浴できないのですが、それぞれの公衆浴場の建物が趣があって外から眺めても面白いです。あと、奥にある温泉寺も、楼門や鐘楼がいい感じ。

一通り巡ってから戻って、宿に戻って朝風呂。湯田中の古くからある宿であるよろづやに泊まったのですが、そこの大浴場である桃山風呂がなにげに素晴らしい。湯屋が昔ながらの建物なのですが、それがお寺の本堂のように立派で、野天風呂からそれを眺めながらお湯を頂くのがとてもよかったです。

さて、この日の予定は、重巡妙高の艦内神社である関山神社へ行ってから松山へ移動すること。スケジュールはこんな感じ。

湯田中からの車窓からは、北信五岳である、妙高山斑尾山黒姫山戸隠山飯縄山を望むことができ、長野からのしなの鉄道の車窓からは、黒姫山妙高山を間近に見ることができます。

関山駅から関山神社までは20分弱歩くので割と余裕がありません。境内は森閑としていて、いい雰囲気ですが、社殿と神輿殿があるだけではある。ただ、軍艦妙高記念碑として、砲弾(五十口径二十糎砲教練用弾丸一個と十二糎砲一号減装用演習弾4個とのこと)を備え付けた台がありました。他の人のサイトによると、拝殿に妙高の写真や額も飾っているとのことですが、気づきませんでした。ご朱印ですが、社務所は開いてなくて、賽銭箱の横の机の上にあるタッパの中に入っていました。

境内の隣には、江戸時代に周辺を治めていた宝蔵院の遺構があります。跡地はほとんど何も残っていないのですが、奥に庭園跡として、作庭された池が妙高山を借景に望むことができます。隣接する家の敷地内にぽつぽつと石灯篭や石社が置かれていて、当時は広い範囲に境内があったことがわかります。出羽三山もですが、廃仏毀釈令で文化財が打ち壊され、今となってはごくわずかしか残されていない、というのにしばしば出くわします。 

関山神社を発ち電車を乗り継いで松本へ。まずは一通り街を散策。縄手通りはありがちな観光用の通り。本町通りは当時の蔵が割りと残っている上に、形にバリエーションがあっていいですね。夕食は、せっかくなのでジビエ料理を食べられる居酒屋へ行きます。食べたのは、馬肉3品盛り合わせ、鹿肉のジンギスカン、猪肉のマタギ鍋、〆のざるそばに日本酒3合。馬肉はコクがあってこのくらいの量なら飽きずに食べられますね。鹿肉のジンギスカンは合わせている野菜とのバランスがよい。猪肉は薄切りで、独特のえぐみが野菜と一緒に食べると丁度いい。総じて肉の質もいいのでしょうが調理がとてもよかった。

夜は宿から送迎を出している温泉で、酔いと食べすぎの胃を労わっていました。

戸隠神社

御嶽神社に行ってみたくて、長野に旅行に行きました。昼に戸隠そばを食べるため、立てたスケジュールはこんな感じ。

この一本後のあさま651号の指定席を取っていたのですが、はくたか551号の自由席が空いていたので、そっちに乗っちゃいました。バス乗り場は、メトロポリタンホテル前の道挟んで反対側ですし、バスの切符買ったりするので、8:20着のあさま651号ではつらいですね。なお、70系バスが出る長野駅善光寺口7番のりばはこちらアルピコ交通の戸隠行きのページはこちら戸隠高原フリーきっぷというのもあります。

戸隠は、古道をトレッキングしながら、中社・奥社に加えて周囲の3社で5社めぐりというのが出来るということで、楽しみにしていました。

しかし当日は、4月末とは思えない冷え込みで、すでに雪が舞い始めている。というので早々にくじけてしまったのでした。

戸隠中社は白木造りの大きな鳥居と、拝殿を囲むご神木たちが印象的です。拝殿自体も白木造りで格好いいのですが、境内に他に見るものもなく、早々に食事に行きます。

中社前にあるうずら屋は、戸隠そばでも一番有名なお店です。入店待ちの紙は2枚目で、ちょっと待つと入れそう。通常は10:30開店のところがGWは10:00ということで、まもなく店主がていねいな挨拶の後、順にお客を入れていきます。なお、この店では、入店待ちの紙に書かれた順はその日のうちはずっと有効で、席に空きが出来るとその都度、紙に書かれた残りの客の先頭から優先度が与えられます。

結局入店できたのは10:40頃。早朝に起きて来た甲斐がありました。注文したのは、大盛り2枚分になる大権現そばに、季節の野菜と野草の天ぷら、日本酒、そばがき、と明らかに食べ過ぎました。そばは、最初は美味しかったですが、後になると飽きるのと香りが落ちるのとで惰性のように食べてました。天ぷらはまあ美味しいですが、食べログで絶賛するほどのものでもなかった。そばがきは、ふわふわの新食感で面白いです。

店を出たのは11:40頃。丁度すぐに奥社に行くバスが来るようなので、寒さもあって乗ることにしました。バス停の奥社入口から奥社までは40分ほどとなっています。天気がよければ爽快な並木道なんでしょうが、雪は舞うし地面はぬかるんでいるし脇には雪が残っているし、なんとも憂鬱な道程。しかも、坂に入ると歩道も含めて一面が雪で、普通に雪山。靴の裏がつるつるなこともあって登るのも下るのも難渋しました。というか夏に来るべきですね。

奥社から戻ると、他の社に行くこともなく、長野駅に戻り宿に向かいます。宿は湯田中にとっていたので、長野電鉄へ。1時間ほどで着いて、後はのんびりしていました。

(計画)天城神社・天城山、三嶋大社

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修善寺駅~天城の杜・昭和の森|新東海バス|バス路線図・停車順

 

天城神社

 

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