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「聖結晶アルバトロス」

マンガ喫茶で手にとった「聖結晶アルバトロス」がツボに入りすぎた。

なんと言っても、ゴミ子こと朝倉が魅力的すぎる。ポンコツなメガネっ娘ってあーたどれだけ狙ってくるのだと。きっと若木民喜先生は俺と同類に違いないと思っていたら、「神のみぞ知るセカイ」最新刊の帯によれば、自分とほぼ同年齢、かつ関西生まれで最終学歴も同じってどんだけニアミスやねんと。

冷静に読めば「アルバトロス」は優れた作品とは言えない。「聖結晶アルバトロス」総括(上)によれば「アルバトロス」の元作品となった読みきりに対して、担当から「キャラクターの目的が物語の目的になってないと、上のレベルにいけない」と指摘を受けたそうだが、同じことが「アルバトロス」にも当てはまる。聖結晶(の破片)を集めるという大きな目的が設定されているのだが、その本当の意義というものがいつまでも物語の中から生まれてこない。現状を解決するためにただ聖結晶を追い、バトルをしているだけなのである。結果、ユウキやアルバトロスが困難に向き合っても感情移入することができない。

それを踏まえて「神のみぞ知るセカイ」を読むと、中々に感慨深い。何しろこの物語は、「キャラクターの目的」が必ず「物語の目的」になっている世界観の上に成り立っているのだから。それでも7巻ぐらいからのブレ方を見ていると心配になってくる。いや天理さん好きだけどね。

でも、そんな一般的な面白さとは別のところで「アルバトロス」は魅力的なのである。若木先生がぶちこみにぶちこんだ設定のおかげなのか、キャラや世界に色気が匂い立っている。1話、2話、3話、7話の扉絵は何度見てもwktkする。

ゴミ子やアルバからは、確かに今我々が立つ時間と異なる時間の流れの中にあると感じ取れる。澁澤龍彦のメタモルフォーゼ論を読む限り、植物や鉱物などより大きな時間に流れを持つ存在への変容は、聖なるものへの結びつきを意味している。今そのような異なる時間を持つ世界の香りを感じさせてくれるファンタジーが、少年マンガラノベにどれだけ存在しているだろう。少なくとも自分には、これは、というのは他には思いつかない。マニエリズムに溢れたファンタジー全盛にあって、バロックな奥行きを久しぶりに感じたのでした(なんてドゥルーズ)。

皇女モードのときにもうひとひねりあればなぁ。というか皇女モード最初はいらなかったんじゃなかろうか。貴種流離譚のテイスト(残されたものの寂しさとかその中でも残る貴さとか)は作品にあまり出てこなかったし、二面性ヒロイン萌えもそんなうまいこといってなかったし。貴種流離譚は栄華の名残をなるべく見せないのが重要だと思うけどね。秘すれば花。あとは、主人公の本当の力を保証する庇護者を別に用意してあげてもよかったのでは。スターウォーズのオビワンのような。

あとは、ゴミ子と桂馬(神知るの主人公)の共通点についても語っておきたい。二人とも、学校では人間として見られてすらいないくらい虐げられている。貴い者は零落しないといけないものだけど、それにしても酷い描かれようである。いじめなどによって社会から疎外されるとき、存在は抹殺されるし、同じ時間に生きることも許されなくなる。その恐怖は結構みんな原体験として記憶されているんだろうなぁと思ったりする。今でも同じようないじめの話はあるしね。同じように社会の時間から外れている二人が、持つ力によって他の誰かを導いているという構造は、なんつーか普遍的な物語論とは違うところで感じ入るものがあります。

あらためて、もったいない作品だったと思います。いいんです。私は好きですので。