対象との距離、感想

リンク先に直接何かを言うわけでもないし別に結論があるわけでもないので、URLリンクせずに。

guri_2さんの「ポニョ見て泣いた。これは宮崎駿が見てきた夢じゃないか。 - Attribute=51」とaurelianoさんの「guri_2氏の映画評に対する率直な感想」の姿勢の違いについて。確かにaurelianoさんの指摘するように、guri_2さんは本来作品に描かれていないことまで作品から読み取っているように(「ポニョ」を見ていない私ですらそう)思える。あるいは、宮崎駿が伝えたいと思っていることを過剰に読み取っているように見える。作品が教条的、啓蒙的になりすぎエンターテイメント的に失敗していても、そこに別の価値を見つけようとしている。一言で言うと「必死だな」と。
一方で、自分の感想、他人の感想を相対化しすぎるのもどうだろうとも思う。現在では対象から一歩距離を置いて、還元的、現象的に作品を評価することが批評と呼ばれている。でも、特にブログで感想を書くなら、作品から読み取った個人的なものを表現することの方が大事なはずで。難しいよね。guri_2さんがネタ的に過剰反応しているのか、自分の中の理想的・仮想的な人格と感応しているのか、知らないけどどっちもアリだよなぁと思う。つーかこの2つの間の境界はあいまいで、実は1つの感情の裏表にすぎないのだろう。少なくとも、作品の中に自分のそうなるべき姿を読み取って、それを追認するために自分の言葉で書き直す、という感想も確かにあるわけで。そうすると、aurelianoさんの指摘は「潔癖症ね」の一言で片付けられることになる。
作品について当事者かどうかはそれほど重要じゃなく、作品と評者との距離感、作品に向かう評者のベクトルがはっきり見えるか、なんじゃないのかね。読んだ第三者がその意思を自分の中に取り込めるかどうか。