午後の国の小説

ブラッドベリの「死ぬときは一人ぼっち」に、小説を書き続ける作業について、朝にゲロを撒き散らし夜にそれを回収するようなものだ、てなことを書いている。確かに多くの小説家のアドバイスに、朝に書けというのがある。あるいはスティーブン・キングは、小説を書くときは部屋の扉を閉め切って一人きりになれ、てなことを「小説指南」で言っている。
眠りの中で経験が統合され無意識が夢となって具体化する。残滓は朝起きた後の頭に残っている。そのエコーにゆだねることは、世界を物語的に記述するのに適しているように思う。
しかし、物語よりもデータベースが優先される今、ゲロのような情報が撒き散らされているネットに常に曝されている今、一つの世界を一方的に提示する物語的な小説はかつての力を失っている。撒き散らされたゲロを片付けながら語り続ける小説、日の下のことを語りながら夜を潜り抜ける小説が一つのalternativeとして存在しうるのではないか。
今書かれるべき文体を考えててそんなことが頭を巡ったのでした。