デス博士トークショーレポ

2/15に紹介したジーン・ウルフデス博士の島その他の物語 (未来の文学)』刊行記念トークショー。そもそも「SFに何ができるか」という演題は、国書の人が勝手につけたものだったらしいぞ。ネタは、

てなところ。

2ちゃんのウルフスレにあるレポはこちら。私のメモは下に。今後の刊行予定とか、「アイランド博士」の自主制作映画の話とかは、すっとばしています。

以下は私が見聞きしたことを勝手に書き取ったものです。


柳下:
SFマガジン特集のとき「アメリカの七夜」と「眼閃の奇蹟」のどっちか
訳すという話になった。「眼閃の奇蹟」を以前にラフに訳していたんだけど
1ヶ月じゃ無理。そうしたら浅倉先生が、難しいねーといいながら「アメリカ
の七夜」を訳してしまった。
イーガンの短編集に勝てるか。個人的には今年ベスト級

山形:
どうして元の本は訳さなかったの?

柳下:
厚くなっちゃう。

山形:
ウルフの作品は、軽い奴はすき。
「デス博士」など力作はいつも悲しくなってしまう。
世界がそれだけでとじているような。
「デス博士」のラストは、本の中の存在にすぎないんだ、と本になぐさめをみいだす。
最初に作った世界があって。登場人物が回る世界が緻密に
描かれるけど、外は描かれない。終わると、世界がそこで終わってしまうような。
世界に動きがない。世界を描く家庭がウルフの小説。
世界は美しいがそれを描いておしまい。
小説としてはすばらしいが、どこまでいっても小説でしかない。

柳下:
最初読んだときはホラーだと思った。
きみとは、タッキーであると同時に読み手。
自分も本の中に入っているよという入れ子構造。
つまり閉じてないじゃん。
ホラーである以上に、癒しの物語。
最初はどういう立場かわからない。読んでいくと、それがわかっていく。
母親に愛されない。それをまぎらわすために、デス博士。
それは読者の喜び。読書の力を書いた小説。
「アイランド博士の死」では、精神状態に応じて変わる天気が出る。
それが癒し、だとアイランド博士は言う。
それと同じこと。

山形:
「アイランド博士の死」も最後はニコラスは中に閉じ込められる。
本にとらわれた話。
よんでてすごいと思うけど、やりきれない。
「アイランド博士の死」はディストピア小説。
新しい太陽の書」でも第5部でウルスの世界が変わるけど、それまではセビリアンは
世界を見ていく。最後独裁者になるけど、権力を使わない。

柳下:
5巻目は、ウルスが大洪水、ウルシャ(?)として再生する。太陽は新しくなるけど。
決められたほうに向かって歩いていくかんじ。

柳下:
ウルフのカソリック性について
頑迷蒙昧という印象が一般にある>カソリック
頭いいウルフがカソリック小説を書くというのはどういうこと?

世界そのものが変化しない、というのがカソリックぽい
変革についてペシミスティック。人間性に対してペシミスティック。

ラファティとか、カソリックな作家ってみんな決定論的。
世界の秩序がもとからある。
プロテスタントは神との契約。

神が正しいかどうかつきつめない。
考えるとどこかでできなくなっちゃう。そこが棚上げされている。

山形:
弟は、聖心の大聖堂で結婚式をあげるのに、カソリック要請3週間講座を受けた。

柳下:
キリスト教小説は構えてしまう。
しきいが高い。
でも、アメリカ人にとっての聖書の教養って読んでいるわけではない。
思っているほどキリスト教小説。
カソリックの方が遠い気がしていたけど、実はプロテスタントの方が遠いんじゃない?
日本人が仏教徒のようにアメリカ人のキリスト教はそんなもんじゃない?

柳下:
「眼閃の奇蹟」は明らかにカソリック小説。
男の子が救世主
エピグラフ:そんな男は覚えていない
元の小説「ユダヤの総督」は、ピラトがローマに帰り、そこでユダヤの話をして、最後にキリストのことを「覚えていない」、で終わる。
この作品も救世主を誰も覚えていない。

わが名はレジオン
元はマルコ伝
レギオン=悪魔

幻影はみなオズの魔法使いから。
物語の最後のドロシーがシャビーマンをいい人だという。
現実までオズの世界にとりこんでいく。

救世主の話という一面
子供が現実をフィクションのようにみていく癒しの小説という一面。

山形:
ドロシーを見ていない。あくまで主人公の世界に閉じている。

柳下:
エピグラフが重要だよという話をしたい。

アイランドのエピグラフは、尼僧が修道院にはいるときの心中を詠った。
作者はカソリック信者には有名な人で、イエズス会
イエズス会といえば創設者はイグナチオ・デ・ロヨラ
すなわちイグナシオ。

Wikipedia - イエズス会

作品のイグナシオは殺人狂。
創設者も若いとき荒れていた。洞窟で瞑想して7人でイエズス会を起こす。
そのうちの一人の名前がニコラス。

最後の芭蕉の歌。
ウルフのML urth.netで延々出展がわからない、と議論している。
「荒海や佐渡によこたう天の川」は流刑者の歌

p119 ポーの「アモンティラードの樽」
友達を殺す話。密室に閉じ込めて壁に埋めてしまう。
=ニコラス

カメとヤマアラシがくっつくアルマジロになる
キプリングの「アルマジロの始まり」という絵本
アルマジロとモントレゾールの語感が似ているから?

(話が少し飛んで)
山形:
小説の形は4つある
・世界を巡る
・窓の向こうに世界がある。
・ロジックが暴走していく。
(あとひとつは?)

柳下:
答えがわかったら終わりなのか。
そうじゃなくて。閉じた世界の話であっても、小説の力は褪せない。
答えと小説の面白さは別にある。

山形:
ウルフの小説は謎が解けたら終わる。
謎を残しているのは、分かられてはこまるから。

(話がもどる)
柳下:
ディケンズ「オリバーツイスト」のエピグラフ
最後もオリバーツイストで終わる。

「眼閃の奇蹟」のもとネタの一つでもある。
盗みに入れとオリバーをそそのかすビルサイクスの話が同じ。
血のしみがぬけない、というところが。

アメリカの七夜のワシントンの描き方。
新しい太陽の書でも、どこかを描かずに描写で表していく

ウルフの戦争体験
どんな体験をしたのかはよくわからない。屈折した形で出してくる。

戦争ものって多い。

SFに何ができるか
フィクショんによる癒し。
過去の記憶を呼び起こす。読書体験を書き換える。