11/23 三河近辺の神社から下呂温泉

下呂温泉と愛知近辺の艦内神社、ついでに一ノ宮をいくつか巡ろうと2泊3日の旅行に行きました。

飯田線はハイキングないでたちの年配の方々でいっぱいでした。このまま天竜峡に行ってみたい誘惑にかられつつ、三河一宮で降ります。なお、豊川の次の駅なのですがICカードが使えないので、豊橋で切符を買うべきです。

砥鹿神社は三河一宮から歩いて10分くらい。こちらは里宮で、本宮山に奥宮があるらしい。なんでこんなところに神社が、と思っていましたが、山岳信仰らしいですね。駐車場を横にまっすぐな参道を歩いて門をくぐると、2つ社があります。一方は摂社のえびすさん、もう一方が拝殿です。そこそこ開けた敷地内には櫓も建っています。奥には自称日本一の大きさのさざれ石もあります。この時期だと七五三の参拝客めあてなのかおっさんたちが屋台の準備を始めていました。

といってそんなに見るものもなく、豊川稲荷へ向かいます。 

豊川稲荷は、佐賀の祐徳、京都の伏見とともに日本三大稲荷のひとつに数えられています。駅を出るといきなり狐まみれ。ロータリーの中央には飛び跳ねる狐の像が何体もいたり、参道沿いのお店にはそれぞれ等身大の狐の像が建っています。「豊川いなり表参道 なつかし青春商店街」の名前の通り、昭和レトロな町並でその多くがいなり寿司を食べられる食事処です。

豊川稲荷ってお寺なんですね。Wikiによると

豊川稲荷の「稲荷」とは、境内の鎮守として祀られる吒枳尼天(だきにてん)のことである。

吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神であるが、日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至った。妙厳寺では「吒枳尼真天」(だきにしんてん)と呼称する。

(中略)

上述したように、信仰対象は「稲荷」と通称されてはいるものの、稲荷神そのものではなく、吒枳尼天である。

とのこと。境内はさすがの広さで、立派な山門や鐘楼、最祥殿と呼ばれる大きな書院が立ち並びます。踊りのイベントがあるようで法被姿の人がわらわらしていました。本殿は一段高いところにあり、ゆるい坂を上って参拝することになります。お寺なので拍手は打たず。

本殿の裏手には庭園があります。朱色の鳥居ではなく吒枳尼真天の幟が立ち並ぶ道を歩いていくと、奥に霊狐塚という狐の像が祀られている区画があります。林のなかの開けたところにお社と一緒に100体以上の狐の石像が納められています。こわい。

後が控えているので、名物のいなり寿司を食べることなく、岡崎へ向かいます。 

名鉄はこれまであまり乗ったことがなかったのですが、豊橋東岡崎知立ー名古屋ー岐阜がメインストリームで、そこから豊川・豊田市・犬山らに分岐する形なんですね。

東岡崎から岡崎城に徒歩で向かいます。歩いて10分ほどで、矢作川からの支流である乙川と岡崎城が見えてきます。復元した天守閣の他、曲輪は残っているのですが、観光地化しすぎていて、あまり当時の面影を感じることはないですね。天守閣裏の空堀はいい感じです。

岡崎城を出て歩いて矢作神社に向かいます。裏の大通りが東海道とのことで、そのまま歩いていくと、カクキューの八丁味噌工場があり、さらに矢作橋を渡ってすぐ、川沿いに上っていくと小さな神社があります。矢作神社はそのまま軽巡矢矧の艦内神社なのですが、土地名の由来からすると矢作の方が字はあっているようです。由緒を記した石碑によると矢矧の模型が奉納されているようだが、いかんせん社務所に人の気配はなく御朱印も得ることなく、名古屋へと向かうのでした。新安城知立と細かく乗り換え、特急に乗ります。

 当初は、名古屋へ行って昼飯を食べて下呂へ向かう予定でしたが、下呂って実は何もないんじゃないの? という気がしてきたところに、列車が神宮前に止まるということで、急遽熱田神宮に向かうことにしたのでした。

一の鳥居まで下り、ちゃんと参詣しようと参道を歩いていると、脇道にわざとらしい遮光式土偶の像が。台座に彫られた文字は「眼鏡の碑」。貼られた金板の由緒に曰く、「眼鏡業にたずさわる私達は、八尺勾■之五百津御須麻流之玉を造らせ給う玉祖命(櫛明玉命)を祖神として崇拝し、眼鏡の功徳に感謝しつゝ、生業にいそしんでまいりました(以下略)」。眼鏡の功徳に感謝し、心あらたに熱田神宮に参る。

本宮は思ったより新しい。伊勢神宮遷宮のときの材料を譲りうけて建造したらしい。横から裏に行けて、清水社から本宮の裏を通って一之御前神社に行く「こころの小径」が、雰囲気があるというか空気が清冽というか、いい感じです。

残りの予定を気にしつつ、急ぎ足で境内をまわり、宝物殿を見て、境内を出ました。名古屋でACTIの矢場とん味噌カツ弁当を買って、特急ひだで下呂へ向かいます。

  • 名古屋 14:48→下呂 16:29

 ホテルに行ったけど、フロントに人がいなかったのでw他の旅館の外湯に入り、戻って食事をとってまた別の外湯に入りました。ちなみに入ったのは小川屋と下呂ロイヤルホテル 雅亭です。泉質はちょっとぬめりがあるけど透明ですしそんなきつくもなく、わりと長く入れると思いました。小川屋は浴場に畳が敷いてあるのですが、まあいいように思いました。ただ、窓際で結露した水が冷たくてちとつらい。雅亭は露天風呂が最上階にあって、見晴らしがよかったです。

11/18 あんこう祭りな大洗

大洗はその気になればいつでも行けるが、折角ならあんこう祭りのときに行こうと思い立つ。

水戸で鹿島鉄道に乗り換えるのだけど、階段手前でICカード精算用のカードリーダがあるのでかざしておく必要がある。大洗駅ICカードでの支払いに対応していないので、忘れると面倒です。

香取神宮・佐原の秋祭り

佐原の秋祭りにあわせて、香取神宮に行きました。

香取神宮は最寄の香取駅から徒歩で20分ほどです。駅を出て左に曲がり、踏み切りを渡ってしばらく道なりに行き、香取神宮の大きな看板の立った交差点を突っ切った先で左に折れ、路側に木製の小さな鳥居が並ぶ細めの道を登って下り、境内に沿うように左にカーブしていった先にあります。佐原駅から佐原循環バスというのが35分に1本の間隔で出ているようなのでそれに合わせるのが楽かも。駐車場がやたら大きく看板も大書のものが多い。車で参拝する方が多いのでしょう。

朱色の鳥居をくぐり、かえでなどが両横に生い茂る参道を歩いていくと、巨大な楼門が見えてきます。

 

武蔵国神社めぐり

 天気もいいので、武蔵国一ノ宮など神社を巡ってみました。

戦艦武蔵は、大宮の氷川神社、原宿の明治神宮および東郷神社の3社の艦内神社をもっていたらしい。氷川神社は大宮駅から徒歩10分ほどにあります。参道が本当に立派で、トンネルのような並木道がまっすぐに続き、間に大きな赤鳥居がいくつも建っています。道はアスファルトの舗装ではなく、ならされた土の道で、わりと人が歩いていたり自転車に乗ったりしています。

境内に入ってすぐ戦艦武蔵の碑がありました。最近できたものらしい。参拝客は多く、特に七五三で着物で着飾った親子連れがあちこちに居ました。正面の唐門は綺麗な朱色で立派ですが、中の拝殿は意外につつましい。七五三とはいえ普通の週末なのに、多くの参拝客が並んでいたのでびっくり。

行きは最初神社の反対側へ出て、ラーメン屋の並ぶ通りでつけ麺を食べたのだけど、帰りは商店街の方へ折れ、まっすぐに駅に戻りました。神社近くは参道として参拝客向けのおしゃれな店も多いのだけど、駅近くは下町っぽいというか路地裏っぽく雑然としていて、大宮って割とカオスな街に思えました。

次に府中に向かい、多摩の艦内神社である大国魂神社に行きました。神社はJR府中本町駅のすぐ横にあって、通りはさんですぐのところに、車で入れる入り口があります。正面の門は少し奥のところにあるので、さぼってそこから入ります。

そのすぐのところに、多摩の慰霊碑が建っています。立て看板によると、戦死者慰霊祭を10/25に齊行するとのこと。10/25といえばレイテで、多摩といえば小沢艦隊、というのは直近の艦これイベントで学習済。

境内はなにやらカオスでした。社務所はコンクリートむき出しのビルだったり、と思えば櫓が立っていたり、狛犬は苔むしていて愛嬌のある顔だったり、門は新しく建てられたようで綺麗なのに、本殿は古めかしくて、でも屋根は銅版だったり。まあ、昔のまま残っているものは限られているのでしょうが、地元の崇敬を集めているのは伝わってきます。

宝物殿にはくらやみ祭のときの大太鼓が展示されています。3-4メートルはあるでしょうか。氷川神社、小野神社などの武蔵六社と、総社である大国魂神社それぞれの太鼓があります。2階には多摩関係の展示もあります。乗組員総員の記念写真は一見の価値ありです。

その後、京王線聖蹟桜ヶ丘にある武蔵国一ノ宮の小野神社へ。歩いていけるかなと思ったけど、中河原まできたところで足が痛くなったので、一駅だけ電車で。府中本町駅の少しいったところに、線路を渡る橋があるのですが、その先が閑静な住宅街になっていてなかなかいい感じでした。近くには新田義貞にまつわる分倍河原古戦場の碑もあるそうで。

小野神社は駅から20分ほど。神社を囲むように道がくねっていて、わりと行きづらいです。駅の南に出て、線路を渡って行く道の方が行きやすそう。ほぼご当地の神社みたいな境内で、ひとけもなく、特に見るものもありませんでした。南北朝時代の「神道集」を根拠に小野神社を一ノ宮としている(大国魂神社的には)ですが、室町時代以降に氷川神社を一ノ宮とする書もあるそうで。