11/18 あんこう祭りな大洗

大洗はその気になればいつでも行けるが、折角ならあんこう祭りのときに行こうと思い立つ。

水戸で鹿島鉄道に乗り換えるのだけど、階段手前でICカード精算用のカードリーダがあるのでかざしておく必要がある。大洗駅ICカードでの支払いに対応していないので、忘れると面倒です。

香取神宮・佐原の秋祭り

佐原の秋祭りにあわせて、香取神宮に行きました。

香取神宮は最寄の香取駅から徒歩で20分ほどです。駅を出て左に曲がり、踏み切りを渡ってしばらく道なりに行き、香取神宮の大きな看板の立った交差点を突っ切った先で左に折れ、路側に木製の小さな鳥居が並ぶ細めの道を登って下り、境内に沿うように左にカーブしていった先にあります。佐原駅から佐原循環バスというのが35分に1本の間隔で出ているようなのでそれに合わせるのが楽かも。駐車場がやたら大きく看板も大書のものが多い。車で参拝する方が多いのでしょう。

朱色の鳥居をくぐり、かえでなどが両横に生い茂る参道を歩いていくと、巨大な楼門が見えてきます。

 

武蔵国神社めぐり

 天気もいいので、武蔵国一ノ宮など神社を巡ってみました。

戦艦武蔵は、大宮の氷川神社、原宿の明治神宮および東郷神社の3社の艦内神社をもっていたらしい。氷川神社は大宮駅から徒歩10分ほどにあります。参道が本当に立派で、トンネルのような並木道がまっすぐに続き、間に大きな赤鳥居がいくつも建っています。道はアスファルトの舗装ではなく、ならされた土の道で、わりと人が歩いていたり自転車に乗ったりしています。

境内に入ってすぐ戦艦武蔵の碑がありました。最近できたものらしい。参拝客は多く、特に七五三で着物で着飾った親子連れがあちこちに居ました。正面の唐門は綺麗な朱色で立派ですが、中の拝殿は意外につつましい。七五三とはいえ普通の週末なのに、多くの参拝客が並んでいたのでびっくり。

行きは最初神社の反対側へ出て、ラーメン屋の並ぶ通りでつけ麺を食べたのだけど、帰りは商店街の方へ折れ、まっすぐに駅に戻りました。神社近くは参道として参拝客向けのおしゃれな店も多いのだけど、駅近くは下町っぽいというか路地裏っぽく雑然としていて、大宮って割とカオスな街に思えました。

次に府中に向かい、多摩の艦内神社である大国魂神社に行きました。神社はJR府中本町駅のすぐ横にあって、通りはさんですぐのところに、車で入れる入り口があります。正面の門は少し奥のところにあるので、さぼってそこから入ります。

そのすぐのところに、多摩の慰霊碑が建っています。立て看板によると、戦死者慰霊祭を10/25に齊行するとのこと。10/25といえばレイテで、多摩といえば小沢艦隊、というのは直近の艦これイベントで学習済。

境内はなにやらカオスでした。社務所はコンクリートむき出しのビルだったり、と思えば櫓が立っていたり、狛犬は苔むしていて愛嬌のある顔だったり、門は新しく建てられたようで綺麗なのに、本殿は古めかしくて、でも屋根は銅版だったり。まあ、昔のまま残っているものは限られているのでしょうが、地元の崇敬を集めているのは伝わってきます。

宝物殿にはくらやみ祭のときの大太鼓が展示されています。3-4メートルはあるでしょうか。氷川神社、小野神社などの武蔵六社と、総社である大国魂神社それぞれの太鼓があります。2階には多摩関係の展示もあります。乗組員総員の記念写真は一見の価値ありです。

その後、京王線聖蹟桜ヶ丘にある武蔵国一ノ宮の小野神社へ。歩いていけるかなと思ったけど、中河原まできたところで足が痛くなったので、一駅だけ電車で。府中本町駅の少しいったところに、線路を渡る橋があるのですが、その先が閑静な住宅街になっていてなかなかいい感じでした。近くには新田義貞にまつわる分倍河原古戦場の碑もあるそうで。

小野神社は駅から20分ほど。神社を囲むように道がくねっていて、わりと行きづらいです。駅の南に出て、線路を渡って行く道の方が行きやすそう。ほぼご当地の神社みたいな境内で、ひとけもなく、特に見るものもありませんでした。南北朝時代の「神道集」を根拠に小野神社を一ノ宮としている(大国魂神社的には)ですが、室町時代以降に氷川神社を一ノ宮とする書もあるそうで。

立石寺/米沢

宿での朝食の時間もあって、この日は、立石寺と米沢のみの観光となる。当日の予定は以下の通り。

  • 肘折温泉10:00→新庄10:55
  • 新庄11:40→羽前千歳12:45
  • 羽前千歳14:04→山寺13:15
  • 山寺14:57→山形15:17
  • 山形15:24→米沢16:17
  • 米沢20:12→東京22:24

本当はもっと早く出たかったんだけど、肘折温泉発がこれしかなかったんですよね。

新庄は冨樫義博の出身地ということで、彼のデザインした「かむてん」というマスコットキャラの絵がバス停に飾っていました。3頭身のじっちゃんの天狗なんですが、一目見て冨樫なんだけどいい感じに愛らしいのがさすがです。新庄には新庄公園とか観光できそうなところもあるのですが、微妙に時間もなく、昼近かったこともあり、山形の代表的な駅弁である牛肉どまんなかを買って、列車が出る前に食べてしまいました。

立石寺のある山寺へ乗り換える羽前千歳の狭いホームは、観光客でいっぱいになっていました。立石寺芭蕉の句でも有名とはいえ、山寺という駅名も大胆ではあります。

駅を降りると、せり立つ山壁にお寺の屋根が見えます。登山口とある石段を登っていくと、根本中堂があります。賽銭箱に布袋像が載せられていました。肩や腕に小僧の神様を数人載せているが本人は意にも介さずにこやかに笑っている。お腹をなでるとご利益があるとのことだが、その謂れも含めて狸みたいです。

境内は広く、歴史のある寺らしくさまざまな像や石碑や石塔があります。特にびっくりしたのが清和天皇供養の御宝塔。天皇崩御したときに供養のために建てられたということで、どんだけ古い年と。あとは例の句の石碑があちこちに建てられていました。立ち並ぶお堂沿いに境内を歩いていくと、奥の院まで登っていく石段があります。割りに距離はありますが、前日までのスパルタ観光のおかげで驚くほどさくさく登ることができました。

切り立った崖と森閑とした並木の合間に、当時の霊場の跡が残っています。特に大きな岩に削られた窪みが阿如来の姿に見えるという弥陀洞が民間信仰らしくてやばいです。また、せみ塚は芭蕉が例の句をしたためた短冊を土に埋めた跡に立てた碑だそうで。

思うに、佐渡から酒田、鳥海山羽黒山最上川、と芭蕉奥の細道の道中を逆に辿っていて、土地ごとに芭蕉の句碑を目にしたものです。旅の最後に立石寺にたどり着いたのはなにやら感慨を覚えます。

つづら折の石段を登っていくと、有名な開山堂と納骨堂が見えてきます。青空の下、崖の上に立つ納骨堂の後ろには連なる緑の山が見え、夏に来ることができてよかったとしみじみ思いました。さらに登って奥の院にお参りし、岩場になっている境内を歩いていると、かつて修験道霊場だった名残を見ることができます。岩壁に小さな窪みがあちこちにあります。修験者が登ったり岩穴に留まった跡だそう。反対の峰にはとても人が立ち入れなさそうなところにお堂が建っています。今も修行に使われているのだとか。

境内の奥には絶景を望める五大堂などまだあるようなのですが、電車の時間もあり急いで山を下りたのでした。駅で電車を待っている間、遠くの蝉の声を聞いていて、ああ、あの句の意味はそういうことだったのか、と思いました。しずけさや岩にしみいる蝉のこえ。かつての名残を見せる山寺でしたが、修験者たちの声明はいまや聞こえることもなく、彼らのあった岩に届くのは遠くに鳴く蝉の声でした。小学校の頃、この句の言葉の選び方がすごいなんて説明を読んで、句の良し悪しってそこなの?なんて疑問を持っていたのですが、30年も過ぎてこの句の良さがわかったように思います。振り返ってみれば、佐渡の採掘場、新発田城の辰巳櫓、出羽三山の修験場、庄内の町並と、つわものどもの夢のあとを追う巡礼の旅でした。

 残りの時間の観光と夕食は米沢ですませました。とはいえ、米沢市内では移動手段がなかったので残念なものに。市内の循環バスっていっても2時間に1本のレベルなんですね。前田慶次の鎧を収める宮坂考古館から米沢城址である上杉神社まで歩くと時間は5時すぎで宝物殿など閉館になっており、伊達政宗生誕の地の碑と、上杉鷹山の像を見るぐらいでした。また米沢駅まで歩いて戻り、焼肉屋でロースなのにサシが入っているA5肉などを食べたのでした。