政治とテロ

覚書、あるいは他山の石として。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080929/stt0809290128000-n1.htm

辞任後、中山氏は記者会見で「重要ポストをいただき意欲を燃やしていたが、経済危機の中で国会審議に支障があるならば本意ではない。身を引く決意をした」と述べた。

意欲を燃やし自分の思いを伝えようと言葉を選びすぎてしまう。自分の正義を貫くためにより大きなレベルの合意をぶちこわしてしまう。テロですよね。
意欲が空回りして攻撃的になる、というのは、身に覚えがあるし、そこここのアルファーブロガー(笑)も日常的に行っていることではある。それを一人シュプレヒコールとして公の政治の場でやってしまうというのは、なんだか学生運動的である。きっと政治として確立された手法だというマインドセットが中山氏の中に組み込まれていたのだろう。中山氏一人がキ○○○というより、彼の世代に(あるいは我々に)かけられた呪いのようなものな気がする。
政治の本質は敵と味方の峻別にあるという。そこをすっとばして敵はこいつだー!と宣言するのは政治と呼べるものではない。ムラの取りまとめをしていた人が矢面に出て、意欲が空回りして、テロ化してしまう。自民に限ったことではない。民主には潜在的テロ要員はずっと多そうだよね。