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能力と意思の違い

町山智浩さんの9/22のエントリー「「知っている」こと自体にはもはや何の価値もない」を読んでなんとなく。対象のエントリーの内容とは関係ないのでリンクは張らない。

唐沢がいつまでも「雑学」でしかないのは、広く浅い断片的な情報を提示するだけで、その情報を体系づけて自分の論へと構築しない(できない)からだ。
それはネット時代には何の価値もないっての。

「しない」と「できない」は同じではないよね。
「できない」にも、実行する能力が足りない、というのと、実行する意思を持てない、というのと2通りあるよな。全く同じでもないし、全く別物でもない。特にネットでは物理的・技術的な壁を越えるより、心理的な壁を越える方がずっと難しいから、ほとんど同じかもしれない。でも違うのは確かだよな。このへん、もう少し整理したい。ただ、「しない」を「できない」と結びつけることには慎重でありたい。
ところで、「と学会」が槍玉にあげるのは信仰など行き過ぎた意思で誤った知識を作る人だとすれば、意思もなく知識を羅列する人を支持するのは自然に思える。