二次創作のマルチチュード

作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る (1/3) - ITmedia ニュース

「登録制の弱点」の章はとてもクリティカルでナイーブな話だと思う。二次創作、元素材と似た素材を用いた創作、元素材を組み替えて作った創作には著作権がつくべきなのか、という問題だ。文章二次創作をずっとやっていた者として、著作権は守られるべきだと考えている。島本さんがあげた例は、バカみたいな内容に読める。けど、二次創作者には大きな問題だったりする。元素材におんぶにだっこな引け目もある、島本さんの言うように1から作った作品に比べると力がないのも知っている。でも、それもまた、自分の生き方、自分の思いを反映した作品であり、第三者にさらにパクられたりしたらすごい腹が立つ。いや、一度そういうことがあったもので。登録制では、異なるレベルの創作活動をすべて元素材に還元してしまっている。それでは創作の伝播をうまく扱えない。

二次創作において、元素材は言語だと思っている。より多くの人に膾炙した言葉を使えばそれだけ伝わりやすい。ただその上で語られた思いにも何がしかの真実はある。文章の内容は言語自体に還元できるものではない。とはいえ、言語を一から生み出す苦労は相当なもので、一次創作の原著作者に相応の対価が入るべきだとは思う。一次創作物を中心とした副次創作を含む表現集合を、ある言語を用いる一つの"国"だと考えると、白田さんの案に近くなるのかも。国間のバランスは、為替レートのようなものを設定する。国内の資産配分は人気投票のような一時的なもので決めてはいけないだろう。実際の通貨とアテンションとのレートが出来れば貨幣経済も出来るのかもしれない。

そもそも創作行為は国興しみたいなものではないか。とくにアニメ制作のような集団作業では。設定を作り、キャラの力関係を作り、技術や能力のバイアスを設定し、コンフリクトをコントロールする。それを動かす法則が自然現象でなく、消費者の欲望なわけで。島本さんの、「クリエイターになろうという人は、再創造(2次創作)はあまりしないほうがいいと思う」は「男なら天下国家を論ずるべし」ってな戦後の政治家とスピリットは同じように思える。しかしそんな夢想は遠くかなたなわけで。そう考えると、例えばネグリの「マルチチュード」なんかは参考になるのではないか…と思ってちょっとググッたらネグリが「芸術とマルチチュード」てな本を書いているのを知った。今度読もう。