人間力とかいうより対話の技術の問題じゃね?

日米でのブログ間の議論の仕方が違うのはよく指摘される。スルー力関連で思ったのは、積極的に問題の本質を見つけて発言するのではなく、アテンションをうけて受動的に自分の意見を言うということ。そのため合意形成に至るのに時間がかかる。
日本人は、対話によって理解を向上させるための技術が劣っている。これはよく言われる。会社の上司が言っていたのは、Yes/Noで答えられる質問にちゃんと答えられない(言い訳とかぐじぐじ言う)というもの。例えば英語での対話だとより顕著になる。日本人はすぐに"actually"という言葉を使う。自分の論理では話せるけど、異なる意見を持つ相手を説得する技術に長けてない。すぐに本音を言って理解を求めようとする。
梅田さんは、合意形成の遅さを文化という。「ウェブ人間論」では人間の本質の問題として扱おうとしているけど、とりわけ技術の問題なんじゃないかと今朝思った。discussionの技術で問題になっていることがよりチープな形で日常的にみられている。まぁ、技術の習得率は文化と不可分ではあるけど。
日本の合意形成(理解の共有)の遅さは今後さらにひどくなるだろう、ネットという同じインフラでは合意形成速度の差はより重大な問題に今後なるんじゃないか。今でも新しいアクティビティの立ち上がり速度、広告やアプリなど市場立ち上がりの速度に差があるけど、今後もっと大きくなるんではないか。
合意形成なんていらない、そういうのなしにうまくやってるのがネットのいいところだという意見もあるだろう。誰かが面白いものを作りみんながそれを楽しむというのは、日本も米国も大差ないような気もする。けど、投資とかビジネスの話になるとそうはいかないんじゃなかろうか。