身体性の共有

発売直前、WiiとYouTubeの強烈な関係 - ニュース - nikkei BPnet」はなんとなくスルーしてたけど、やっぱり気になってきた。物理空間での身体性の共有は、まあ、祭りとか色々ある。ただそれは、同じ時間に存在していないと起こりえなかった。今だとSecondLifeとか仮想社会もそうだ。仮想空間の中だけでのタイムシフトな身体性の共有というと、ゲームのリプレイがある。タイムシフトありでリアルとバーチャルにまたがった身体性の共有って、少なくともコンシューマ機器レベルではこれが初めてだろう。

プレイヤーとゲーム内キャラが同期して行動するゲームで、攻略情報の共有ってすげー面白そうな気がする。かつて、アーケード版「ドルアーガの塔」ではゲームセンターでプレイヤーたちが宝物の出し方について情報交換をしていた。今でも家庭用RPGの攻略まとめWikiなんかがある。たとえばRPGで宝物の出し方に四苦八苦しているプレイヤーの映像なんかは面白いと思うし、理由はわからないけど上手く宝物を出したプレイヤーの動作は真似してみると思う。

SecondLifeの成功やWiiの現象に対し、インタラクティブなことが価値として認められている、というのはある。でもそれは、没入感とかゲームの中での体験が新しいからではない。もちろんそういうのもあるだろうけど、それよりも他者との体験の共有があるんだろう。自分の行為がひとつの知恵としてゲームの上のインターフェースを介して他のプレイヤーに伝わる。インターフェース上の動作をひとつの表現とみなし、共有していく。チープ革命の次のステップなんじゃなかろうか。


個人が認識する限りでは意味のない状況が、探索情報の共有によって偶有性のある状況に格上げされる。重要なモチーフかもしれない。

(追記)内田先生が(下の自動実行の話も併せて)シンクロしてるエントリーを書いているので貼っておく→村上春樹氏の朝ご飯 (内田樹の研究室)