The Border of Improving Worlds

http://www.100shiki.com/archives/2006/09/_talk_diggercom_1.html

消費者メディアとはつまり「会話」である。/ そうした議論が最近のトレンドだ。その会話を最大化することがいわゆるバズマーケティングとかいうものだろう。/ そうなるとその会話がどういう実態なのかを知る必要がある。

『時をかける少女』から「納得」を得るか「絶望」を得るか。 - 荻上式BLOG

さまざまな時間の中で生きていく主人公(自己)を「言語」のように捉えれば分かりやすいと思う。「タイムリープ」という手法によって主人公は、なにを数多ある可能性の中から選択し(選択せず)、どのように接続していった(しなかった)のかということに露骨に向き合わされる。

映画を見終わった後、元ひきこもり当事者の上山和樹さんとこの映画について話をした。上山和樹さんの感想は、正直 救いがなかったというものだった。これは、上山さんが「あらゆるコミュニケーションに対して常にオン状態」になっていると時に表現される「ひきこもり」の代弁者だから、だけではないだろう。あの映画をみてポジティブさに感染するか、救いようのなさに絶望するか…

コンテンツが言語であり、CGMが会話であり、イベントがシャッフルされて言語のように扱われ、ゲームのように再構築される。
そんな世界で救われるための処方箋は、オプティミズムであり、「《納得》出来るように生きよう」なのだとして。
そのとき、希望そのものもコモディティ化していて、データベースから引き出すように参照されるのだろう。
ブログのホットエントリーが、ゴシップ記事の煽り文句と同じフォーマットにしか見えない。その理由は、そういうことなんだろう。