祭の経済学

http://d.hatena.ne.jp/ziprocker/20060913」へのコメント。
コメント欄での乱闘ぶりにワロタ。いやいい意味で。ネオリベ土人という表現は気に入った。
最初元エントリー見たときはぴんとこなくて、反論を読んでもまだぴんとこなくて、それに対するコメントを読んでから元エントリーを読んで、ようやく合点がいった。自分がいかにネオリベ的思考に毒されているか気づいた。そしてバーニングマンのことを連想した。彼らの撃つ神は、バタイユの言う「有用性」なんだと思う。

バーニングマンは面白そうだけど、ネバダまで行くのは大変だし、下手すら死んじゃうような責任抱えてまで自由を確認する覚悟もねーわけで。それに比べれば、これは、まー、参加しやすい。
でも、見ている人を巻き込む形になってない。これだったら、コミケでコスプレしている方がいい気がする。
やっぱ、手段が目的化してしまっていると感じる。それは90年代のアメリカと同じだ。自由を謳いながら、見ている側に何らかの行動を要求している。植物人間だって無脳じゃないわけですよ。誰だっていくつもの自由を持っている。
この手の快楽って、帰属意識というか安心できるバックボーンがないといけないと思うのですよ。祭では、縁起とか地縁血縁とか氏子という地盤が人をより積極的に関わらせる役目を果たしている。それがないのなら、バーニングマンぐらい過剰でないと。
結局、蕩尽が足りない。ポトラッチは何も要求しちゃいけない。