シンプトティックとDQNの違い

オシムジャパンに関するスポーツ新聞の見出しがDQNで微笑ましい。

  • 追加招集→「ドタバタ」「不安」
  • 「負けてもいい」発言→「仰天」
  • 試合の最後にトイレ→「失望」

今にはじまったことじゃないんですがね。ちうかスポーツ新聞って「ドタバタ」「仰天」しすぎ。「なぜか笑介」みたいだw 
マスコミはきっと、自分たちは"あえて"対象にシンプトティックに振る舞い、物事の本質を明らかにしようとしている、とでも言うだろう。でもネタにするために大げさにしすぎなだけで、結局情報量がないし、分節化しているわけでもない。結局、ダメな子がぐずっているだけに見える。
シンプトティックな振る舞いが受け容れられるのは、変化がもたらす不確定な未来(茂木さん曰く"偶有性")に対し、ぶれない価値基準を提示した場合だろう。煽るにも信念がいるってことです。さもなければDQNの自己主張になる。脊髄反射的。
オシムへの報道は、可哀相な子が自己主張しているようだ。不確定さに対処する術がなくドタバタしている。DQNはやがて爆発するんですよねー。そのうちステキなネガティブキャンペーンをしてくれることでしょう。楽しみですw