オプティミストたちの絶望

ブラジル戦、後半だけ見てました。やりたいことが封じられ、足りない部分を突きつけられた、という感じ。悔しいなぁ……。8年間で差が埋まってきた部分がわかるだけになおさら。うつむいて何も言えなかった中村や、ピッチに倒れて立てなかった中田を見てて、なんかこっちも泣いてました。気持ちとか集中とか精神論もあるんだけど、それ以上にロジカルに埋めなければならないものがある。ボールがないときの動きとか、ラインの上げ下げとか、どうボールを奪取するかとか、トラップだとか。それ以上に、ストラテジーとか、流れとか、相手を崩す手札の多さとか、ボールをどうキープしどうはたきどう展開するかとか、プランが崩れたときの対処とか。
勿論気持ちは強く持ってないといけない。1回だけなら気持ちで埋められるんですよね。でも2度、3度となるとそうはいかない。その為の準備をしていないと、気持ちでブーストしてもどこかで折れてしまう。
中田が、このチームには気持ちが足りない、馴れ合いが蔓延している、なんてことを何度か言っていた。準備の段階から気持ちを持ってプレイしてなければ、自分に何が足りないか・どうイメージすると何ができるかというプレー時の対処を実際の場で再現できないってことだと思う。その意味で、「ヒデさんは厳しすぎ、これでいいと思う」と言っていた中村は、準備を怠っていたということになるのかもしれない。また、敵に対峙するための準備のプロセスを、個々の気持ちの問題として済ませてしまった中田も、チームの成熟にちゃんと寄与できなかったということになるのかもしれない。

ブラジル戦後のジーコ会見より。

――日本はアジアカップで優勝するなどアジアでは力を見せた。世界との大きな差は具体的には何か?
 まずプロフェッショナリズム。自分の欠点を、それも日常のレベルで知らないといけない。日本の選手は外国のリーグでたくさん使われているわけではないが、私は彼らを信頼しているから使っていた。しかし選手には(試合の)リズムが必要。そこは改善しないといけない。

私は、前掲の中田の発言から、「ネットのあちら側」の心性を連想していました。強いモチベーションがなくてもintensionをつなげることで個々を上回る力を作る、というシステムに似通ったものを感じています。だからこそ、オーストラリア戦・クロアチア戦の結果にへこみました。日本代表のプレーには気持ちが足りない、と言っている香具師のうち、気持ちを持って自分の敵に向き合っている者がどれだけ居るだろうと思う。これまであちこちのセミナーに出ていろんなIT新興企業の人の話を聞いてきたけど、オプティミズム以上のものを持って行動していた人は記憶にない。オプティミストたちの未来も同じように、川口のような神セーブを局所的に披露できても、敵の物量作戦の前にやがて崩壊したDFのように、あるいは「急にボールがやってきた(c)へなぎ」ときにあらぬ方向に蹴ってしまうFWのように、無惨な結末に至るのかもしれない。その絶望はついに払拭されることはなかった。
それはさておき。
次の日本の監督には、オシムがいいと思う。世界レベルの戦いを体感として持っていて、意志とロジックの両面で日本を鍛えることができるだろう。でも、ベストなのかというとわからない。世界のサッカーのスタイルは刻々と変わっている。ロングシュートが有効だといっても、中田のシュートと後半8分のジュニーニョのシュートは全然違う。相手のいい部分をつぶしに行くサッカーを崩すのはドリブラーだったりする。日本のサッカーが世界から遅れているように感じるんですよね。日本の選手がもっと世界に出て行くのは勿論重要なんだろうけど、もっと戦略的に世界のレベルに対応する方法を考える必要があるようにも思う。

中田の涙と「誇り」、オシムについて丁度元ヴェルディコーチの湯浅氏が書いているのでリンクしとく。あと、オシム語録とか、「オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える」とか。