ライブドア問題を語るブログの世界の奥深さ

結城さんとこでも引用されていたけど。

また、こうした指摘を発端としてネット上の議論からリアル世界も巻き込んだ何か大きなうねりが生まれるかと言えば、そういうものではない。提示された多様な視点を総合判断した読者の心に、何かが静かに残っていくだけである。今のところ、そんな不思議なメディアだ。

・言葉が気になる。議論がおきないのを言論空間と呼ぶのはやっぱり伝統的な言論の定義と違っているように思うし、多様という言葉の使い方もなんか伝統的な論壇でのそれと違っている。エスタブリッシュ層から見れば、多様=ノイズまみれ(どこかの誰かが20世紀はノイズの時代だなんて言っていた通りに)だし、静かに残る書き込み=便所の落書きだ。結局、エスタブリッシュ層に届くように「言葉を尽くしていない」。
・日本のマスコミは全然ダメだけど、アメリカのマスコミとくに新聞は、異なる立場の識者の意見を併載している。
・言論の概念そのものが変わっているということ。