モバイル社会シンポジウム2006 − ケータイメディアのリテラシーについて
・メディアとしてのケータイの役割として「通信するだけの媒体から表現するための媒体」と捉えたいって言うけど、表現することを強いているようにも感じる。表現に何か意味づけを求めるのはうちらを含む上の世代の問題な希ガス。
・関連あると思うケータイ写真をどんどんアップしていくことで、系統樹のような写真のグラフができてしまうプログラム「カンブリアン」は確かに面白い。けどすぐに成長が止まってしまいそうですよね。場を作るのにかかるコストの割りに長続きしないのはなー。祭のネタはいずれ枯れる。キーノートスピーチにもあったように「肺循環」が必要なんだろう。
・使いにくさ・情報の粗さがコミュニケーションを生む(紹介されたワークショップでは、参加者がQRコードで互いに認証するときにQRコード読取の難しさがコミュニケーション促進につながったとのこと)というのは、なるほどと思った。あと、ケータイメールの参与度の高さは、確かにマクルーハンの「クールなメディア」だと思う。
・ケータイでネットをする率の高さ、オンラインではオフラインと別のペルソナを使う人の率の高さ、というのは日本だけの特徴らしい。これは結構衝撃だった。確かに、ネットでのpublic spaceの感じが、日本とアメリカでは違う気がする。あるいは日本では多くの場合ネットはプライベートでしかない。実際、日本とアメリカでWisdom of Crowdsの意味あいが違うように思えて仕方ないんだけど、そういう違和感を持っているのは私だけなのかねー。少なくとも日本の特殊性については頭に入れておこう
以下はメモ
以下は私が見聞きしたことを勝手に書き取ったものです。
MoDeプロジェクト: Mobile Designing
モバイル社会の文化とリテラシーの創出を目指したソシオ・メディア研究
/水越伸 氏Challenge 1: Corrosion of Universal Service
問題1:
19世紀にユニバーサルサービスを指向してきた、
今や構造的に瓦解している
プライベート、1対1
コマーシャルな(iMode)サービスが強い
ユニバーサルサービスが侵食されている
→ さまざまなデバイドと結びついているユニバーサルな場とプライベートな場の間に入るパブリックな場をケータイに
持ってくる必要があるのではないかChallenge 2 Ambigous, Wavering
携帯があいまいなものになり始めている
携帯が線の切れた電話なだけでなく社会での役割が変わってきている
そのあいまいさが格差をつくってもいるコミュニケーション観の転回 伝達から交感へ
メディア観の転回 通信から表現へMission:
メディアとしてのケータイの潜在的可能性を社会的に具現化するための"文化"デザイン
・通信から表現へ
・PtoPからパブリックコミュニケーションへ
メディアリテラシーからのアプローチの確立
日常的なケータイを異化する、操作可能にする
「批判的メディア実践」の構築
メディアリテラシーを核とした批判的で実践的な研究デザインとリサーチとを行き来しながら
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ケータイを異化するカンブリアンゲームと集合的表現 伊藤氏
ケータイの新しい取り得るあり方をデザイン
メディアと人間の関係から
メディアリテラシーを手がかりに
・送り手と受け手の関係
・表現と受容の関係
2004年のワークショップ ケータイで絵本を作る
送り手と受け手が分かれている
普通のマスメディアのリテラシーをベースにしていた
モバイルらしい形態:送り手と受け手が循環するような集合的表現へ
民具と人間の関係から
民芸運動(民衆の工芸を表現に使うこと)を手がかりに
作る人と使う人の関係
表現する人と利用する人の関係
2004年 アスケ・ダム氏「デジタル民芸」
ケータイとプロジェクタ
ケータイのハッキングはとても抵抗がある(海外では組み立てケータイなんてあるけど
日本にはない)、しかしケータイをカスタマイズする欲求は強そう
表現の共同性を
文化を共有する集合的表現(カスタマイズを共有化することで文化へ)
循環的・共同的な表現とは?
・ブログ
ノード(個人の日記)=定位するもの リンク=個を結合
空間=結合がどんどん広がる、拡散する宇宙
表現の集合
日記というのは日本で昔からある文化。日記文学、私小説
他の日本の文化で連想したのは
連歌
ノード=双発されるもの リンク=発展
空間=座を構成、場に収斂
集合的表現
連歌から連画、カンブリアンへ
連画:ある絵から連想的に絵を生み出していく。
「カンブリアン」ゲームーケータイで撮った写真を個人がどんどん関連付けていく
MELL Mandara
QRコードと「カンブリアン」でパブリックなコミュニティ形成の可能性をさぐる
1) ウェブサイト上のセッション
自己紹介や関心のある写真や文字をemailでサーバにアップ
2) シンポジウムのセッション
ウェブにアップした情報、カンブリアンを全員で閲覧し、補強、関連付けをしながら、個人の交友を再構築する
1. プレゼン
2. 個人にQRコード、関係あると思った別の人はその人に会いに行ってQRコードをもらう
3. discussion:関係付けを新たに情報を追加したり組み替えたり
*リーフの急激な増加
最初はなかなか情報があがらない、5日ごろから急激に増加
通信から表現へ
これまで接点のなかった人や活動とのリンク
→メンバーの活動の意義を再発見
*ケータイの使いにくさがコミュニケーションをうむ
QRは使いにくい。こつがいる。操作を教えあう過程でコミュニケーションが生まれ、活発なセッションに
*モノとしてのケータイがうむコミュニティ
移動性:コミュニケーションに流動性
日常性:メモリーに押し込められた日常の記録が日の目を見る
低精細度性: 「クールなメディア」として参与度を増す
新たな意味の発掘
ケータイに埋まっていた情報を再発掘
「やっと日の目をみることができた」「こういう機会を待っていた」
共同体の活動を成員に可視化し、新たな意味を創出する
成員自身の日曜敵関心に新たな意味を見出す
循環的に相互の関係性を再考
実践2:Tokyo Patch Walk
2005年10月 慶応三田キャンパス
(MELL Mandara: コミュニケーション内での異質なものを再発見)
異文化のコミュニケーションを促進するものとして携帯を使う
都市の中で異質なものを再発見する
おのおのの思い描いている都市のイメージ
実際にはいろいろなギャップがある
マスメディアの作り上げたイメージを思い込んでしまって見直される機会がない
表現の道具としてのケータイ
カメラの日常化
セッション1:
日本に初めて来た日本人を2つ(アキバと原宿)に分けて、写真をとってemailで送る
expectedなシーンとunexpectedなシーンを。
セッション2:
集合して紙カンブリアン
経験を共有する。間接的なところから直接的なところに
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
わかったこと
メディアリテラシーからアプローチした
マスメディアのリテラシーの研究と同じようにできるだろうと考えていた。
しかし、簡単ではなかった。理由はマスメディアとモバイルメディアが違っていたから
メディアリテラシーとして、より根本的なものがあるのかもしれない。
モバイルだけのリテラシーだけでなく基本的なメディアリテラシー
携帯でバーチャルなものを使うことで、身体性に関わるメディアを考えることができた。
同時にわかったのは、マスメディアの場合権威的に対する批判的なものを読み取ることが
できた。それがモバイルではできない。
日本のモバイルの制度的産業的なものについて無知な状況にある。それに気がつき変えて
いくようにしていかないと変わらない。問題はわかったが変わらない。
モバイルメディアリテラシーのプログラム開発ができた。
批判的なメディア実践のために行うプロセスというのは、(追記:たとえば、対象をとら
えそれがどう振舞うか仮定し、問題を明らかにするため環境を設定する、てな感じ)
実は高尚なものではなく、メディアリテラシーのプログラムを実際に企画する
(追記:たとえば、子供がどのように使うか仮定し、問題を明らかにするため環境を
設定する)のとそう違わない。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
パネルディスカッション
韓国からの研究者に日本の携帯電話社会&サービスの特殊性についてインタビュー
携帯の日常性を如何に対象化異化してみるか。
外国の目で携帯の特性を見ると何がわかるか。
日本のケータイでのインターネットでの接続にはどのような課題があるか。
韓国
2% ケータイ
70% PCのみ
日本
34% 携帯のみ
28% PCのみ
US
携帯の接続は全くといっていいほどない
Wireless LANがfree
日本
いろんな機能
US
音声のみ
バッテリーが持つか、使いやすいか
40%の人がモバイルはいらない(TV、インターネットと比べて)
オフラインとオンラインが密接に結びついている
韓国
政治の話をする。インターネットで。テレビでもネットの意見が反映
小さなコミュニティを守っている。家族でサイトを作るのがポピュラー
オンラインを補強するための
ブログ:サイワールド
本名でログインしている
日本ではオンラインとオフラインが別れている
anonymous
オンラインIDが別にある
別のアクティビティを持つ。
アメリカなどでのモバイルの研究と日本の活動の位置づけの関係
アメリカではインターネットの新しい動きの研究は盛んだけど
携帯の研究はほとんどない
比較文化研究が必要ではないか。
何の社会的要因が違うのだろう。
日本では個人が自分のために使う、メール、DL
パブリックコミュニティの中でのメディアとして携帯を考える必要があるのではないか