雄山神社、射水神社

白山比咩神社を主に、富山、石川の艦内神社、一ノ宮を巡拝しました。まずは、富山に4社ある一ノ宮をひとつづつ。スケジュールは以下。

立山をご神体とする雄山(おやま)神社は、奥宮となる峰本社、里宮にあたる前立社壇、その間に中宮祈願殿と3社あります。立山登山はさすがに重いので、残り2社に参拝しました。最初立山黒部アルペンルート経由で行く積もりでしたが、お盆休み近くのハイシーズンは予定通りに移動することもままならないとのことで、富山から行くことにしました。

電鉄富山駅の改札前も立山への登山者で溢れかえっていました。単純に登るならこっちの方が楽かも。中宮祈願殿は立山の少し手前の千垣駅から少し登ったところにあります。本数は少ないですが駅からバスがあります。時刻表はこちら。
バスの時間に合わせた積もりだったのですが、時刻を過ぎてもバスが来ない。日曜日は運行していないことに気づきました。タクシー会社に電話しても、来るにはかなり時間がかかるとのこと。あきらめて神社まで歩くことにしました。折からの夏日で陽射しは厳しいものの、山間なので風は涼しく湿気もないので、割りとなんとかなりました。

境内は主神らを祀る本殿が東西の奥に2社と、中央に大講堂だった祈願殿があります。また立山開山の開祖の廟があります。里宮でないのを考えると意外に広い境内です。祈願殿には牛王宝印が置いていました。立山信仰の中で、全国の檀那にこれら護符と合わせて薬を売ったのが、越中富山の薬売りの起源なんだとか。

隣には立山信仰に関する展示がある立山博物館があります。立山の火口周辺を地獄になぞらえた立山地獄、立山の登山路とその中に立山の縁起や立山地獄を埋め込んで描かれた立山曼荼羅など、立山信仰の成立と伝播を学ぶことができます。
また、この日は「立山ふしぎ大発見」という企画展が開催されていました。特に立山出身の霊獣クタベについて紹介されていました。この企画展を紹介する北日本新聞の記事に、「クタベは、顔は人で体が獣の姿をした霊獣。立山で薬種を採取した人の前に現れ、疫病の流行を予言するとされた。その姿を見れば病の難を逃がれるため、疫病よけとして描かれた刷り物が県外で見つかっている」と記されています。疫病除けとして諸国で流行っていたというのは立山信仰がそれだけ全国的だったのでしょうね。クタベについては、体が獣、顔が人間であり、背中に目があることから、白沢が由来ではないかと言われております。また、件(くだん)とも関係があるはずなのですが、どっちが先なのかはよくわかりません。

坂を下って駅に戻り、岩峅寺(いわくらじ)に向かいます。なお、中宮祈願殿のあった辺りは芦峅寺と呼ばれていました。岩峅寺芦峅寺ともに立山信仰の拠点だった寺で、雄山神社神仏習合していたらしいです。特に廃仏毀釈を厳しく行ったらしく、仏具だけでなく多くの文書が喪われたようです。

前立社壇は岩峅寺駅から歩いて10分ほどにあります。砂利の敷かれた境内に拝殿と摂末社社務所が並んで建っています。そんなに広くないですね。拝殿の中に、昔の狛犬がありますがそれが可愛いです。

特に見るものもなく富山に戻ります。遅めの昼食を白えび亭でいただきました。富の名物白えびをふんだんに載せた白えび刺身丼は、味が柔らかくて、錦糸卵がアクセントになってとても美味しいです。

電車で高山に向かい、瑞龍寺まで歩きます。約10年ぶりの参拝ですが、石畳の参道や、まぶしい緑の芝生の中に建つ仏殿など、ほぼ記憶通りでした。
いつも禅寺で思うのは、回廊を歩きながらいろんな角度で構内を見渡していて、飽きがくることがなくて、完全無欠というか無駄がないというか、とにかく美しいという感覚です。中国の宮殿のようでもあり、曼荼羅のようでもあり。受付で、トイレの神様とされている烏蒭沙魔明王の絵柄入りのご朱印をいただきました。

次に駅の反対側にある射水神社に向かいます。高岡古城公園の真ん中にあるのですが、もとは神通川沿いの二上山ふもとにあったところを、明治の神仏分離の際に、遷座したらしいです。広い玉砂利の境内に新しめの拝殿がありました。経緯もあってか銅板屋根の神明造の普通の社殿で、ちょっと残念ではありました。

疲れていたこともあり、高岡大仏を見て早々に富山に戻りました。晩御飯はもつ煮込みうどんで有名な糸庄へ。店内は広く、すぐにカウンターに座ることができました。厨房にはコンロと土鍋が多数並び、流れ作業でどんどん調理していました。出汁の味が濃くもなく薄くもなく絶妙で、とても美味しかったです。