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「まどか☆マギカ」、「小さな物語」と「大きな物語」のあいだ

結局まどかが神さまになって終わりかぁ。

私がまどかに興味を持っていたのは、「小さな物語」と「大きな物語」の接続をうまくやりそうだったからなんですよね。

少女趣味的、あるいは現実と少し距離を置いて世界をとらえがちな日常の裏にある仄暗さを魔法少女システムを通じて誇張して描き、神話的モチーフに連結してみせた点を高く評価しています。少なくとも9話までは。

一方、10話以降は70年代的な英雄譚でした。いや、確かにどなたかが仰ったように英雄譚の復権というのは面白い現象なんだけど、私としては英雄像からは最もほど遠いまどかがどうやって自分の足で歩くかを見てみたかった。

今や「小さな物語」はリア充礼賛かダメな自分の肯定というパターンに陥っていて先は見出せないんですよね。そんな物語は現実に溢れかえっていて、フィクションとして異化されない。そんな中で、英雄になれない我々がどうやって気高く生きていけるか、そのひとつの希望を見たかった。

いや、その代表がほむらなのはわかるんですよ。物理兵器で魔女にたちむかうほむらは人類の進歩(それもQBにもたらされたものらしいけど)の象徴といえるかもしれない。荒野を一人歩くほむらの姿にはぐっとくる。「百億の昼と千億の夜」の阿修羅さんを思い浮かべます。でも、「まどか教を信じれば救われる」てな宗教オチは、ちょっと白々しい。阿修羅さんとキリストが、「最高の友達」と言われてもぽかーんとしてしまう。

とはいえ、全体主義的な救済のごり押しはしていないのが虚淵さんの良心といえるかも。
『魔法少女まどか☆マギカ』において、美樹さやかが担った役割は重い - 【蝸牛の翅(かたつむりのつばさ)】
の視点は面白いと思います。そして「何もなかったことにするしかない」のかと問いかけたくなる。でも、神さまはときに残酷なわけで、救われないことが幸せだったりもする。(恋愛の)不可能性の象徴として「人魚姫」の役割をさやかは担っているわけで。さやかとまどかの関係をもう少し描いているとまた印象は変わったのかもしれないですね。さやかに対して何もできなかったまどかが「何もなかったことにするしかない」と言うのは、無慈悲というより他人事っぽい。

魔法少女になるべきでなかったさやかは生きていてほしかった。再構築された世界で、いまはもういない友達の記憶をかすかに感じながら日常に戻って欲しかった。作品中で、もしさやかとほむらの交流と運命の対比まで描いていたら、本当の神作品になったかもしれない。

まあ、等価交換だったり新自由主義だったり自己責任だったりと、プロテスタント的な閉塞的な現実の中で、物語が「小さな物語」として退嬰化を描いてきた中、カトリック的な神の愛(そういえば虚淵さんは"愛の戦士"でしたね)を持ってきて風穴をあけてくれたのかなぁと思っています。ちゃんとさやかというカウンターも描いているし。

何より、読んでいて楽しい感想がネットに溢れかえっている。そんな多義的な物語を作り出してくれたことに感謝です。

魔法少女まどか☆マギカ 感想リンクまとめ - おひとりさまなめんな!