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ゲームの「社会科」

「社会」と「社会科」って違うよね。
「社会」は人間と人間のあらゆる関係を指すとWikipediaさんが仰っているけど「社会科」ではそんな話は出てこない。

国とか共同体を維持するための人の営み(環境への働きかけ)を、意識することは少なくなっている。リアルでは、人の営みは属人的にしか語られない。近代化とか周縁とかあれやこれや。

社会について語るには自分はあまりに不勉強だし、この手の話は「大きな物語の終わり」に関連して色々議論されているだろうから、ドキドキものではある。

ただ、確かにゲーム表現において、環境への働きかけは軽視されている。環境への働きかけが、ロールモデルとして捉えられず、報酬系として成り立たない。

ゲーム表現はどんどん物語体系に依存するようになっている。そこでは中心か周縁しか現れないので、それ以外は空気になってしまう。

ゲームを進行させるためにプレイヤーをモチベートするのは人間関係だ。その一方でプレイヤーは、しこしことレベルアップしたり、パターンマッチングのようなシミュレーションをこなす。古代国家の奴隷のような世界をささえるための営みを続ける。

ストーリーでの英雄的行為と、ゲームでの奴隷的行為との両立によってプレイヤーは他のコンテンツでは得られない満足感を得ているようには感じなくもない。

ああ、時間切れ。もう少し考える。