「インセプション」

現実と夢との不連続性、夢への跳躍は、どうしても「ビューティフルドリーマー」や「千年女優」などのアニメと比べてしまって、うまく評価できないなあ。なんだかんだでスーパーフラットってこの手のネタを扱うのには最適なアプローチだったと思ってしまう。きっと刷り込みなんだろうな。もちろん、夢を夢っぽく描いてしまうと、この作品のテーマ(てか「胡蝶の夢」なんだけど)にそぐわない。

ただ、夢、あるいは仮想世界への捉え方が、なんか違うんだよな。うまく言語化できないが。この作品では、夢の中に深く降りていった末、肉体に戻れない状態をリンボ(字幕では"虚無"となっていたけど、"煉獄"とか"辺獄"ですよね)と呼んでいた。日本だと、彼岸だったり涅槃だろうか。少なくとも虚無にはならないように思う。十牛図みたいに無を受け容れる土台が東洋にはあるような。

インセプション」に限って言えば、軽くないんですよね。ま、実写映画だからアニメのようにはいかん、のは確かなんだけど。でも、それを乗り越える手段が、他作品の引用だったり含意だったりと、ブンガク的なんですよね。批評的な読み込みができる作品としては面白いのだけど。

主人公のコブの造形は、マンガやアメコミでありそう。でも、コブに関するプロットはとても面白かった。謎の女性の影というつかみから主人公の内面に降りていくところまで。
ラストはもう名人芸だったなぁ。子供と再会するシーン、よくああいう映し方を選べるなぁ。最後のシーンもうまいし。うむ、教養レベルとして押さえておくべき映画だと思います。

映画を見た人はぜひこれも押さえておきましょう。音楽についての仕掛けです。
『インセプション』の音楽に「植えつけられた」秘密 - YAMDAS現更新履歴
あと、町山さんのトークライブ@LOFT