スラムドック$ミリオネア

神映画を期待して見に行ったのだけど、普通の映画でした。出だしにはwktkしたのだけど。笑顔を向けるラティカのショットとか。ターニングポイントは、「ベンジャミン・フランクリン」を教えてくれる盲目の歌うたいと会うシーン。このシーン自体は一番好きだけど、その後どんどんシオシオになっていく。

物語においてヒーローの行動は、世界全体とのインタラクションと、ヒロインやシャドウといった周りの人物との密接なやりとりに分けられる。「ベンジャミン・フランクリン」の前後で、それぞれが綺麗に配分されちゃっている。2つの要素が絡んでこない。後半、基本的にラティカを追うだけなんだよな。前半に彼の半生とクイズの奇妙な符合を描いているのだけど、それが後半になるとどっかいってしまう。スラムの人たちが応援するシーンもとってつけたようだったし。電話はまあいいけど、答えの出し方がねぇ。世界が狭くなっている。プロットを解消するのに世界の描写がなくなるのは普通のことだけど、この映画の場合は極端すぎるよう感じたのでした。

プロットって何なんだろう、なんてことを考えてしまう。今更だけど。動機付けが環境とトラウマにのみ起因している物語にどれほどの価値があるのだろう。