文化庁メディア芸術祭マンガ部門受賞者シンポジウム

出演は、今年の優秀賞を受賞した「マエストロ」作者のさそうあきら氏と、審査主査のちばてつや氏、そして審査委員の藤本由香里氏。

大賞が一色まこと氏の「ピアノの森」だったこと、またさそうあきら氏がピアニストを扱ったマンガ「神童」も描いていることもあり、音楽マンガのアプローチに関わる話が多く聞けて興味深かったです。「ピアノの森」もさそう氏の作品も、室内で行われるはずの音楽を戸外に出すことでダイナミズムを作っている、という構造にはなるほどなーと思ったのでした。確かに西洋音楽の枠をどう外すか、という点でもそれぞれの作品は共通している。あとは時間芸術の話とか。

以下メモです。ややgdgdですが。出演者の発言を私が聞き取ったものなので発言者の意図と一致していないおそれがあります。


メディア芸術祭、今年で12回目、応募者数は順調に伸びている。
特に昨年から今年にかけてマンガ部門応募者数の伸びが大きい。
去年288、今年390。
去年奨励賞をとった白川弓子の天顕祭が市場でもたかく評価
されたことが大きい。

さそう:
もともとちばてつや賞でデビューしたので
今回の受賞は感無量
「マエストロ」という作品では、
オーケストラの多くの楽団員その一人一人のエピソードを
入れていくことで全体がみえるような、合奏になるような
作品にしたかった。
「神童」でピアニストを書いた。
前回は音を主人公にした。
昔からクラシックが好きだった。
中学のときオーケストラを聞いて指揮者のまねをしたり。
指揮者の仕事が何なのか謎だった。
「神童」ではソロを書いた。
けど合奏が音楽の楽しさのひとつ
それを描きたかった。
テレビでたまにやっているオーケストラリハーサル
見るのが好き。
特に、練習風景は面白い。
こういうニュアンスで、とか指揮者が一言いうだけで
音楽が大きく変わる。それが感動的。
音楽の楽しさは、出来上がっていく過程
にあるのではないかと思っている。
フィクションで音楽を描いていくときは
出来ていく過程で面白さを伝えるべきではないかと

取材していくうちに発見があった
指揮者は、みんなカリスマ性があり、社交性がある
楽団員ってみんなプロなので自分の楽器にプライドがある
指揮者がそれに口出しするのは好きじゃない。
指揮者は若いうちは一人前とみられないような
雰囲気が現場にはある
「マエストロ」の主人公も、若い指揮者、年とった指揮者
どちらにするか迷った。
むしろ老練な指揮者が一言伝えるたびに、音楽が変わって
いくようなのを描こう思った

主に東京交響楽団を取材したのだけれども、
楽団員の人となりが分かったあとで演奏を聴きに行くと
音楽がより深く聴こえてくるという体験があった。
次は、Aさんの出番だ、と思うとどきどきするし終わると
ほっとする。
一人ひとりの顔が見えると音楽がすごく見えてくる
それが「マエストロ」を描くヒントになった

ちば:
「マエストロ」ではいろんな奏者でてくるけど
みんなモデルがいる?

さそう:
特にモデルはいないけど
楽器の扱い方とか、曲のときの注意とか細かくヒントにした

ちば:
「マエストロ」を読んでいると
この人だからこの楽器なんだろうな、という
個性がすごくでている
キャラクタがたっている。
モデルいるのかなと思っていた。
でも、マンガってそんなに取材する時間がないもの
だから、すごいなぁと思っていた。

さそう:
楽器それぞれに性格がある
弦楽器をする人は育ちがよかったり
管楽器吹く人はおしゃべりだったり
金管吹く人はうるさがたや注文つける人が多かったり
キャラクタ性でも参考になった

いい旋律を演奏するだけでなく、和音ひとつ吹くだけでも
最新の注意を払っているのを知ると、
命より重い音ってなんだ、というテーマを
自分のなかで発見できた

ちば:
マンガで音楽を描くのはとてもむずかしい
自分も昔、描いたことがあるけど(「「ママのバイオリン」)
難しい。
音楽マンガは昔から多い。
今回の受賞作でも、「ピアノの森」と「マエストロ」
新人賞でも音楽を題材にしたマンガは多い。
しかしコマから中々音が出てこない
「マエストロ」は絵の表現もすごい
演奏している人たちがいい音を出してぶるっと震えたり。
そのへんの話を。

さそう:
マンガで音楽を書くことには利点もある
読者が自分の好きな音楽を想像できる。
例えば天才の演奏する音楽、ドラマなどでは
普通の演奏でがっかりしたりすることがあるけど、
マンガだと想像でカバーしてくれる

マンガは基本的に黒か白かのデジタルな表現
そこから音とか匂いとかをどう読者に
感じさせるかというのはマンガ家の課題

絵ではったりきかせるというのがある
「神童」では、ドビュッシーの「金色の魚」という
曲で魚を描いた。
マエストロでは、「運命」で竜がとびだすとか

絵で音を表現するという問題は昔から色々
取り組まれている
それに太刀打ちしようとはせず、色んな表現を合わせ技で

例えば、うんちく
「マエストロ」だと運命の最初の休符とか、バイオリンの使う弦とか

藤本:
「マエストロ」の冒頭、運命の休符の話はつかみとしてもいいし
とても象徴的。
あれでいける、という確信があった?

さそう:
指揮者にきいても演奏家にきいても
「運命」の冒頭が難しいという話は聞いていた。
また「運命」の冒頭はみんな知っている。
そこにオーケストラの難しさも含めて語れるだろうとは思っていた

藤本:
「神童」では楽譜を使った表現も効果的だった

さそう
本当いうと記号については適当
でも楽譜ってきれい、というのがあった
「マエストロ」でも演奏会の前日に手書きの楽譜をわたす
というのがある。
写譜の仕事、音楽をわかっていないといい楽譜
は書けない
いい自筆譜からは音が聞こえるというのもある
楽譜から音楽が聞こえてくるというのは意識している

また、日常に聞こえる音を音楽と結びつけるような
エピソードを入れている。
「神童」だと、リンゴを叩く音でよさがわかる、という話。
「マエストロ」だとフルートの女の子の回想。
阪神大震災被災して、焼け野原で聞いた風の音(もがり笛)
と彼女の音を結びつけた。
彼女のフルートはそういう死のイメージ
日常に聞こえる音が音楽につながっていけば
より読者に理解してもらえるだろうと
あと、ティンパニー奏者が釣りをするところ
大阪で交響楽団に取材にいったとき
ティンパニー奏者が
指揮者もティンパニーもお尻で叩かないとだめだ
という話を聞いて

(ここでさそう氏が1984年のちばてつや賞を受賞した
「シロイシロイ ナツヤネン」を紹介。ちなみにそのときの
新人賞が望月峯太郎、佳作に一色まこと今敏
しかも一色まことの作品タイトルが、偶然「マエストロ」の
指揮者と同じ名前)

ちば:
さそうさんの作品は、純文学みたい
一部の人にしかうけないかも知れないけど心に残る
「シロイ(ry」は、白と黒の使い方。余白の開け方がうまい
夏のうだる感じが伝わってくる

藤本:
何か覚えていることあります?

さそう:
授賞式に遅れてきた望月氏が隣で、グーの手を出して
ドラえもんの手」と言ったりと色々ちょっかいかけてきたのが
うざかった、というのしか覚えていないw

藤本:
さそうさんからみて他の人の音楽表現で何かある?

さそう:
ピアノの森」は、最初に森のピアノがあって、
重いピアノがひける、というところが
読者に音を想像させる大きな仕掛けになっている
森の中でひとりピアノを弾いてきたというのが
規格外ということになっている

自分も「神童」の文庫本の絵でピアノを外に出したりした
特に4巻最後には河原でピアノを弾かせている

西洋音楽は本質的に室内のもの
ということを評論家の吉田秀和が言っている
でもアジアの音楽は鳥の音とか、日常の音と音楽が
溶け合っている。
そういうのが書きたかった。

ピアノの森」は最初からピアノが外にでていった。
これを見て、主人公は西洋音楽の規格から外れた異文化の人なんだ
と思った。
そういう共通点が自分の作品とあると思った

藤本:
さそうさん自身、ガムラン巣者だったと聞いたけど

さそう:
渋谷の音楽教室に習いに行った
みんな音大の人で、専攻の楽器とは別に習っていた。
話をきいていると音楽家の話がおもしろくて
最初は音大もので書きたいという構想があった

藤本:
それがなぜ「神童」では天才少女の話になったのか

さそう
音楽を描くとき
ふつうのものを書くときと頭の使う感じが違う
音楽が好きというのがまずすごくある
まんがのおもしろさとして音大をかくより
音を主人公に書きたいというように
シフトしていった
そのとき天才少女を書きたいと思った

藤本:
オーケストラの作品を今描こうとおもった理由は?

さそう:
連載させていただいた雑誌、編集者が
好きなものを描いてくださいと言ってくれたから

藤本:
音楽のマンガで表したい核心って何でしょう?
打ち合わせのとき、昔はベートーベンを書きたいという気持ちが
あったけど、今はベートーベンを書くことは自分の描きたいと思う
本質は外れているかも、という話をしていたけど

さそう:
単純にテーマの話。
「マエストロ」で描きたかったのは、合奏のよろこび、家庭。
今後書きたいとしたら作曲の世界
あと、ルイ14世時代の即興的な音楽

そういうテーマ的なものがきまってあるので
それ以外に書くのがむずかしい

藤本
音楽とほかのテーマではぜんぜん違う?

さそう
書いているときの頭の中はちがうみたい
音楽を聞きながらエピソードを考える
ということはほかのマンガではない

ちば:
最後に天道の奥さんの話が出てくるけど
あれは最初からそこを決めていた?

さそう:
1巻の1ページに鳥がでてくる
命より重い音の象徴になっている
あまり考えてなかったけど
それを象徴にしようというのはあった

藤本:
1巻がでたあとで雑誌が休刊になった
2巻、3巻はWeb連載だったけど違うことがあった?

さそう:
長さが自由になった
最後のコンサートはページをふやす
ということがかんたんに

藤本
ラストでは、理想の音、という言葉が出てくる。
「神童」でも出てきた
さそうさんにとっての、理想の音は?

さそう
読者がそうぞうできるのがマンガのいいところ
読者にそうぞうしてもらえれば

藤本:
理想の音というのと、自然というのとがつながっていくのかな
と思いながら読んでいた。
「マエストロ」でオーケストラを森になぞらえる話が出てくる
オーケストラで演奏するのは森の中を歩くようなものだ、
木にぶつからないように進みながら足跡を残さないといけない、
というもの

さそう:
実際にその言葉を取材で聞いていいなぁと思った

藤本
小学生の時、3年間インド生活をしていたと聞いて、
それか、と思ったのだけど

さそう:
自分の中で意識したことはない
ちょうど万博の時だったので、同世代が持っている記憶を持ってない
ことで意識することはあるけど。

町を歩いていると物乞いの人がとても沢山いる
家にかえると手を洗えとやかましく言われて
死が身近に合った場所だった
一方で、駐在員はとても裕福な暮らしをしていて現地の人を多く
雇わないといけない
そんなアンバランスな生活だった
何を得たのかはわからないけど
大学のときも懐かしい場所としてインドに何ヶ月もいた
音楽マンガにしても西洋音楽を客観的に
とらえられないかな、というのがあった
そういうのがピアノを外に出したいというのと
つながっているのかも

藤本
漫画家になろうと思ったのはいつ?

さそう:
早稲田に入ったとき、マン研に入りたい
と思って。
周りの人はみんなマンガ好きで
それに流されるように

「シロイ(ry」をかいたのは四年のとき

藤本
子供のときの経験が今の作品の視点の違いにつながっている?

さそう:
人とちがうものを書きたいという意識は
すごくあった
大学の頃はちょうどニューウェーブなどと言われて、
みんな大友克洋とかに影響された

ちば
ガロとかコムとかは見ていた?

さそう
興味はあった
大学はいったとき、ちょうど部全体が
ガロっぽかった

藤本:
「神童」も「マエストロ」も最後、向こうにあるものが
先に逃げていく、というのを描いている。

さそう:
音楽マンガだからかも
音楽って時間芸術。音は捕まえることができない
そういうのを本質的に描こうとするとそうなるのかも

藤本:
マエストロで表現しきれなかったことはある?

さそう:
書ききったとは思わない
締め切りがあって、アイデアにしてもストーリー
にしてもベストのものは描けない
刺激がないと形にならないのだろうけど
でも書ききったというのはない

さそう
(今後の予定は?)
バンチで予定の離れ島を舞台した話
流されてきた男と海女さんとの恋い物語

音楽マンガは作曲家のをやりたい。現代音楽