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ハーモニー

結構前に読んだんだけど、なかなかうまくレビューがまとまらなかった。

「ハーモニー」で気になったのは読後感のどうしようもなさだった(注:ほめてます)。カタルシスもない、不毛ですらない。自分の周囲で変わっていく世界をなすすべもなく眺めている。
とはいえ、訳分からないものを書いているわけでもない。少なくともラストまでは、冥界下りものの展開を忠実になぞっている。なのに読後感が全然違う。すさまじい勢いで読者を突き放している。例のタグは、本を介して立ち上がる読み手としての「わたし」をも否定している。話のラストで生まれるのはゲシュタルト化した人類で、別に珍しいものでもない。でも何かが決定的に違う。

視点を変えて考えてみた。人類はすでに身体的にはゲシュタルト化しているのだろう。物理的な個の多様性に意味はなくなり、群体として一つの個を形成している。意識についてよく言われる論として、意識は身体性であり身体中に遍在している、というのがある。でも「ハーモニー」では身体性と意識の関係は全く書かれていない。人類が身体性を失った世界という設定は「ハーモニー」のメイントリックのひとつだろう。タナトスへの重み付けをあげるだけで人は進んで自殺するとは思えない。感覚を全て加工されたとき、身体からくるリカーシブな意識は特権を失う、というのはその通りかもしれない。とはいえ、作中で少しは描いて欲しかった気もする。

この物語は、一つの個の中の断片化した記憶の最後のつぶやき、ある夜の夢にすぎない。夜が明けると記憶は統合される。確かエピローグのタイトルは"In this twilight"だった。だとすると、この物語は、正しく冥界下りと同じ構造をしている。冥界下りものの結末では、あちらからこちらに戻ってきたとき引き裂かれていた自己が統合されるものなのだ。

今のこの世界もかなりいいところまでハーモニックになっている。デバイスやセンサーによって我々の身体はつながっている。ブラッドミュージックや人類補完計画なんかなくても。幼年期の終わりなど多くのSFは、意識がつながりフラット化していく人類の進化を描いてきた。現実ではすでに、より下位のレイヤー(情報インフラ)で世界がフラット化している。先日、ケータイがなくなったら死んでしまう、と答えた中学生のニュースを読んだけど、あながち間違っていないと思う。物理的な多様性の意味がなくなりつつある中で、各々のIDとタグとにどれだけの違いがあるのだろう。はてブにせよ、ニコ動にせよ。実際多くのタグに感情はコントロールされているしね。おっさんホイホイとか。
「ハーモニー」は現実に近すぎるがゆえに、救いのなさにいたたまれなくなる。

そう。仮想現実ものは、堂々巡りをする「胡蝶の夢」から結局この身体のわたししかないとわたしを肯定し、読み手の「わたし」を安心させて終わるんだよね。「ハーモニー」はそんな妥協もしない。サイバーパンクのアンチテーゼとして、「ハーモニー」にはさらに読み込む余地があるなぁ。