Society of Characters

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キャラクター=小さな神と考えるといいのかも。キャラクターをやりとりして繋がるというのは、神が言葉になっている状態だろうと。言葉で理解するというレベルと、(大きな)神を信じることでつながるというレベル、どちらもどんどん力を失っている。で、解決策としてその中間案、つまり小さな神をやりとりしてつながる。言語が背景としてもつ論理基盤や、神を支える宗教ではなく、小さな神が背後に持つ意味空間であなたと私がつながる。そして、小さな神がエージェントになって、世界とつながる。現代が中世っぽい、という話がしばしばあるけど、その頃もやっぱり「大衆」というものは存在していなくて、わたしと神との1対1の対話で世界が成り立っていた。
「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」のイベントのキモの一つは、切通さんの指摘した「サカキバラの時と違って文学的に読み込む共通のステージがない」という部分だと思う。凶行におよぶのに、テキストでの対話を否定すると同時に、キャラクタを取り込んで自分を強化する、というプロセスは、ある意味リアリティがとてもある。
ということは、キャラクタが作る社会性に意味が出てくるのかね。Society of Characters. あるいは、如何にキャラクタを含めて包摂するか。