下のイベントについてとりとめなく

つまり、観念的には包摂されるけど実存としては包摂されない、と引き裂かれていることが問題なんじゃなかろうか。宮台さん切通さん藤井さんなど上の世代は、その切り裂かれている状態自体が実感できていない。もっと小さなところで実存的に包摂される場所を作らなきゃ、というのが提示されたアプローチだけど、それだときっとうまくいかない。自己を肥大化させている人は、ひとつの共同体に包摂されることはない。複数の共同体にまたがって参加してると、じゃあ本当の自分は何なんだということになる。あるいはそんな分断された自我を貫いてひとつにしてくれる「運命の相手」を求めることになる。藤井さんや東さんの「加藤がたまたま自分で爆発しただけ」という姿勢はあまりよくない。むしろ、どこにも包摂されない人をさらに追い詰める"悪い"姿勢だ。
全般に、今の思想は現在の状況を語る言葉を持たない、ということを再確認したイベントだった。ポスト団塊とロスジェネとは少し年代的にずれているのだけど、「生きづらさ」についての感覚は結構違うように感じる。提示されるアプローチはどれも、「俺らのときはそれでうまくいった」という、成功体験の押し付けに見える。それじゃだめだったから爆発したわけでしょ。「迷わず行けよ行けばわかるさ」じゃ宗教じゃん。