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成熟

スタージョンは何を書いているかわからない作家、と(揶揄を含んだ)尊敬を受けているのだけど、彼が書こうとしたのは「成熟さ」だったんだなぁと今日ふと気づいた。1人の人間、あるいは2人の人間、あるいは集団が自己完結している状態。例えばスタージョンは愛についてよく描いているけど、恋についてはあまり描いていないように思う。異質な存在と結ばれた充足した状態は描いているけど、自分の半身を求めて思い焦がれるという話はないように思う。個としての完全性を求めた上での墜落は描くけど、普通の挫折や蹉跌とはちょっと違うように思う。
湾岸ミッドナイト」の最初の方をちょっと読み直していたのだけど、Zに「通り過ぎていく輝き」を見出しユキオらに湾岸で走り続けてくれと願うイシダのエピソードは、「輝く断片」を強く連想させた。けれど、自分の手に届かないものだと知った上であり続けることを望むイシダと、自分のものとして保持することを望むおれは、やはり違っている。
状態が成熟したものであることを描くことに、筆力としても作家性としてもスタージョンの本質がある。
では、そのようなモチーフは今に通じるのか、というのが次の問いとしてある。個に対しては成立しないだろうけど、群に対しては成立するんじゃなかろうか。KYは、群としての完全性を求める力である。群における「ビアンカの手」や「ルウェリンの犯罪」はちょっと読んでみたいと思うのだけどどうだろう。自分で書けって?