遊蕩してる場合じゃない

森博嗣的な天才の終わり - END_OF_SCANで20世紀的な知的活動が壊れてきているてな話を書いた。その際、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1240.htmlを引用したのだけど、松岡正剛さんも次の回、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1241.htmlにて同じようなことを書いている。

いま、地球で破壊されているのは「環境」だけではない。実は「意味」が壊されている。意味が撤退し、そのぶん自己がしゃしゃり出た。

その自己がネットで繋がっているのが今なのだろうと思う。人と人との間の距離や隔絶の存在を認めそこに何らかの説明をつけるのが意味meaningだとすると、今のネットの中で自己を拡張し人との距離をゼロにする行為が意味づけindexingなのだろう。この境界を漂う行為については、周縁について - END_OF_SCANで書いた。
人の間、という言葉で、木村敏先生の一連の著作を思い出した。
Amazon.co.jp: あいだ (ちくま学芸文庫): 木村 敏: 本
Amazon.co.jp: 自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫): 木村 敏: 本
意味がその輪郭を失って溶け出していることと、斉藤環先生が言うように精神病理が社会的になっていることは、とても関係があると思う。
セイゴオ先生、もう遊蕩してる場合じゃないっすよ。