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スノウ・クラッシュ

メタバースについて語るなら、これを読んどけと言われているらしい。会社にあったので読んでみた。
ミームねた(作中ではミーと書かれててずっとわからなかった)は最近だと「虐殺器官」でも使われたけど、スノウ・クラッシュでは作品を展開させるのにあまり効果を出していない。メタバースとリアルとを切り分けているので、単にガジェットにお墨付きを与えるだけになっている。きくち先生も指摘しているけど、真の冒険はリアルで繰り広げられている。メタバースで描写に筆が割かれるのは、レンダリングの精緻さのみだ。現実のネットの使われ方を反映しているとも言える。ただ、スノウ・クラッシュの想像力は十分考察の余地がある。
「神は細部に宿る」という言葉を持ち出すといいのかもしれない。
スノウ・クラッシュでのメタバースの役割は、信者に対する宗教画のそれに近い。リアルの背後にいる神をより強く感じさせてくれる場。リアルにはないデフォルメや精緻さや行動は、リアルを強化するものでしかない。メタバースはゴシック画あるいはゴシック建築である。スノウクラッシュというウィルスは、バイナリ世界の背後にある真理から漏れでた光である。
かつてサイバーパンクは、アウトロー小説でありハードボイルドだった。社会からはみ出した者が仮想世界において、例えば本来破棄されるものに真理が潜んでいるなどのように価値を見出し慰みを得ていた。時として、ダメなハードボイルドと同じように情けなかったりする。
スノウ・クラッシュではメタバースはせいぜい福音にしかなりえない。ポストサイバーパンクというより、アンチサイバーパンクと言っていいかもしれない。実際、ウィルスの話を除けば、メタバースは主人公ヒロの剣術を披露する場にしかなっていない。これなら、サイバーパンクと未来への想像力 - END_OF_SCAN特別オープンフォーラム「仮想世界はIT時代閉塞の現状を打破できるか?」 - END_OF_SCANで指摘されているように、3Dで環境を作るより、テキストベース・コミュニティベースの方がずっとコストパフォーマンスは高い。
スノウ・クラッシュが92年に書かれたのはすごいけど今読むと古いよね、という感想はもっともだ。今の現実、SNSの世界、ニコニコの世界、初音ミクの世界の方がずっと進んでいる。「スノウ・クラッシュ」は、ネット上に現実を映しこむこと自体には意味も価値もないことを示していて、今でもそれは正しい。現実の代替物としてでなく、かつての教会のように現実をよりよく生きるための福音を感じ取る集会の場としてのメタバースはありなのかも。実際、メタバースでいずれ神秘体験できる場が作られるようになるんじゃないかな。