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「ナショナリズムの由来」買った

なんて殺傷力の高そうな本なんだw 斜めに入った銀色の帯がまた凶悪さを表現しているよなー。
I-1まで読んだ。
普遍主義が民族主義に転化するのは何故か、という問題は、ネットのあちら側がその理念とは反対にこちら側に対して排斥的でこちら側と同じように振舞っている、というこのブログが何度もあげた問題意識と同じだな。とりあえず俺定義では、ネーション=(他のとの対立関係の中で現れる)エコシステムの自衛状態、だ。

追記>tokadaさん
どうもありがとうございます。なんとなくあずまんコレクションを買ったら負けな気がしててw まーでもGLOCOMでの仕事は素晴らしいと思うので今度吶喊してみます。

以下はメモ。

問題は、マルチチュードの内在的な潜勢力はいかにして超越的な<帝国>へと吸い上げられるのか――あるいは<帝国>はそうした吸い上げにどのように失敗するのか――という分析に、『<帝国>』が成功しているのか、にある(pp.21)

現代芸術において賭けられていることは、芸術作品という対象が占めるべき空白の場所そのものを生成させることだったのではないか、と。今日、「場所に最もふさわしくないようにみえる対象」だけが、いわば捩れた経路を経て、芸術という超越性を派生させる場所を拓く昨日を果たすことができるのだ。(pp.43)

第1に、共産党のロシア民族主義への反転があり、それがスルタンガリエフを失望させた。第2に、これに対抗したスルタンガリエフとその支持者たちも、異端的なマルクス主義の思想によって――つまり普遍主義的な仕方で――、ムスリム民族主義を唱えたのである。(pp.60)

読めば読むほど、2ちゃんねるの外から見たときの2ちゃんねらーは、ネーションだなぁと思った。しかし、2ちゃんねるの中から見る限り、2ちゃんねらーは均質ではない。その逆説的なところもまた2ちゃんねる=ネーションということを表している。

人間は本性的に中と外を区分することで世界を認識する。これは人間の基本的なアーキテクチャに基づく(例えば「肉中の哲学」参照)。結局人間は本当の意味での多様性に耐えられない。結局、限定された集合を設定し、世界を区分けして認識する。結果普遍的でありながら特殊であるという、アンビバレント多様性がいたるところに発生することになる。
→ pp.116 オスマン帝国が、トルコ人か否かによらず高官に登用していた件をあげ、民族的な類似性がネーションに必要なものでないことが触れられている。

ネットが国境を突き崩すのは、物理的空間的知覚に基づいた共通了解を維持するより、低いコストで世界を知覚できるからだ。しかし、2ちゃんねるSNSのように別の共通了解に基づいたネーションが出来ている。

コモンズにまで行き着くネットのフロンティアスピリッツもまた、極端な普遍主義を強要する特殊主義と言えるだろう(pp.95あたりを参照)。

ネーションの同一性は、この「他でもあるうること」についての体験に規定されているのかもしれない、ということである。もう少し正確に言い直せば、身体がある特定のネーションに所属しているということについての同一性は、「他でもありうる」というその身体の可能性を特殊な規定性の内に封じ込めることに基づいているのではないか、ということである。(pp.108)