外だから見えること、中でしか見えないもの

2007年のエントリーでも、モロッコで書いた「世界の何をconfigするのか - END_OF_SCAN」、4月にサンノゼで書いた一連のエントリ、7月にジュネーブで思ったことをまとめた「「フラワー・オブ・ライフ」の小さな物語 - END_OF_SCAN」は、自分でもお気に入りだったりする。日本を離れてどうしようもなく隔絶されて初めて見えてくるものは確かにある。最近自分の視点が澱んでいるようにも思うし。
一方で、ずっと中にいてかすかな流れの違いを捉えられてないと出来ないこともあると思う。海外に行っても日本の情報はネットで入ってくるけど、その根底に何が流れているのかは同じ空気を吸ってないと本当にはわからないと感じる。思い込みかもしれないし幻想かもしれないけど。でも、確信とか、同じようなサービスの中での微妙だけど決定的なニュアンスの違いとかは、言語化されないところでの積み重ねがいるんじゃないかなと。