アプリケーションのジレンマ

一般によく言われているだろうことだけど、例えばhttp://7ns.jp/jp/?p=245に書かれているように日本はアプリケーション指向だ。

とはいえ、日本人がアーキテクチャを考えていないわけではない。アプリケーションには、アーキテクチャの側面とインターフェースの側面がある。少なくともどちらかに差別化要素がないと目新しさという価値はない。

アメリカの場合、もともと人が多い・進取性を重んじる文化がある・ベンチャーなどを支援する社会システムがある、などでどっちか片っ方がそれなりに満たされてればGOサインが出る。アーキテクチャ側でがんばる人とインターフェース側でがんばる人双方がそれなりの数がいることになり(クリティカル・マスを超え)、うまくまわっている。

しかし日本の場合、それぞれを個別に評価・批評する文化がない。きっとあなたにも経験があるはずだ。アーキテクチャ的な新しさを提案すると「それ何の役に立つの?」とインターフェース方向での新規性をつっこまれ、インターフェース的な新しさを提案すると「それってこれまでの物でもできるから微妙だねぇ」とアーキテクチャ方向での新規性をつっこまれる。ずるい。
エスタブリッシュ層がそうなだけでなく、「ネットのあちら側」も然りである。"Culture First"の話は、コンテンツ制作者を代行する利権団体が(その正当性はさておき)投資に対して正しく回収できないというコンテンツ需給の界面での問題で提起されたものである。これに対し(もちろん私的補償金制度でまわせるんじゃないの、など制度的な反論もあるけど)、コンテンツの二次配布による新しい文化の可能性を考えないと、という意見はアーキテクチャ的な視点である。課題がかみあっていない。特に昨年末から、この2つの視点で議論がかみ合わず原則論まで議論が退行し結果どうでもいい結論しか出ないという状況をよく見かける。

Jobsについて言うならば、とある本でこんな内容の文を読んだことがある。「RIAAのある幹部が言うには、iPodが成功した大きな要因の一つとしてJobsが本当に音楽が好きでクリエーターのこともちゃんと理解している、とレコード業界の多くの人に信頼されていたから」。映像についても、少なくとも3年前にはアメリカのホームドラマのレンタルだったかコンテンツ販売を始めていた。その話を聞いた時点で前アップルの前刀さんは「アップルはアメリカの市場に対して映画を配信することを考えている。日本のことはあまり考えていない」と言っていた。インターフェース的な利害関係をきちんと解決したからこそ、アップルはアーキテクチャ的な新しさをちゃんとビジネスとして展開できている。やっていることは当たり前だ。でも、その辺の議論をクリアにできていないのが今の日本だと思う。