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ケータイのアクチュアリティ

現実感について考えるとき、まず思い浮かべるのがリアリティとアクチュアリティの違いだ。アクチュアリティについては、木村敏先生の本を読んだだけで詳しく語れるわけではないんだが、「自分が今この時間を生きているという感覚」とでも言おうか。アクチュアリティは環境との絶え間ないインタラクションによって生まれるものだが、自分の中の時間とそれがずれた状態が「離人症」や「統合失調症」だとかなんとか。

メディアのアクチュアリティというものが定義できるとすると、インタラクション、つまりアクセスと得られる情報との対応が絶えることなく保証されている状態、といえるだろう。ケータイの場合インタラクションは他人とのメールである。ケータイ世代は、メールによって他人とつながっている状態を維持することに固執している。
ƒnƒCƒfƒK[ ~ –Ø‘º•qに次のような表記がある。


分裂病者は「アンテ・フェストゥム=祭の前」的であり、言い換えれば常に未来の祭を先取りする
ような意識に生きている。逆に言えば、分裂病者は既に終わってしまった祭=過去については驚く
ほど無関心であると言う。(中略)
 分裂病者は、常に自己との乖離に悩み、自分が安住できるような根拠がないことに苦しむ。
そこにあるのは「ずれ」の意識、「流れに乗れない」という不安であり、彼らは「自分というもの
から一刻も眼を離すことができない」(ある患者の言葉)のである。彼らの生はいわば「差異」
そのものであり、常に他者性、未知のもの、未来的なものへと向かっている。
ケータイ世代は、メールを書いている時は自分のメールが相手に読まれる未来に、メールを送った後は相手からの返事が来るという未来に生き続ける、分裂病を患っているといってもいいかもしれない。そのような彼らの現実感は、メールにおけるインタラクションのタイミングと情報のバランスに深く関係しているだろう。

下のエントリーで「恋空」の特徴として、人間関係を不透明なままにしておかない、というのを書いた。これは、5分のうちに返事が来なったら友達じゃない、とまで考えるケータイ世代のアクチュアリティに通じているように考える。人間関係が不透明な状態は彼らにとってアクチュアリティが低い状態だといえる。だからすぐに解消しないといけない。目的を達成するため描写は最低限に抑えられる。
一方、人間関係をさらに濃密するための事件は分量を割いてじっくり描かれる。例えばヒロの家に行ってから初Hまでの情景描写、その後の二人のすれ違いの心理描写はかなり細かい。これも、楽しいこと悲しいことを共有したいという彼らの欲求に沿っていると言える。
作中の人間関係を読者と共有するため描写を積み重ね、その上でドラマを描く一般的な小説から見ると、ほとんどご法度な作法だろう。しかし、ケータイ世代の持つアクチュアリティを踏まえると、これでいいのだろう。