ネットにおける知について

知を、エコノミー(交換とか貨幣とか)を発生させるために世界を加工するためのツールと定義する。コンテクストが固定であればツール行列式のように複数の入力と複数の出力とをマッピングするルールとして記述できる。しかしコンテクストが決定しない場合、Winogradの言うようにインタラクションによってしかツールは定義できない。実空間の道具が構造と熱力学に拘束されているように、Webによって社会化された情報空間での道具も構造と熱力学に拘束される。構造とは例えばスモールワールドモデルであり、熱とはアテンションである。ならば、情報空間での効率を考えるなら、MITのMedia Labのように人間工学とかに基づき身体的な直観を考慮したコンピュータを作るTangible Bitはナンセンスだ。情報空間での構造に親和性のあるツールこそが求められるものだし、効率とは情報空間の熱力学でもって計測されないといけない。また情報空間でのツールは、熱がどのように作られどのように保持されどのように消滅していくか、その一連の熱プロセスを考慮しないといけない。特に、コンテクストが固定でない場合、"熱がどのように作られるか"を含めて考えることが重要になる。熱量が違うのに設計が同じであるはずがない。Semantic WebRSSに駆逐されたのはまさにその点を考慮してなかったからだ。フィードがいまいち盛り上がっていないのも、breaking newsとロングテールなニュースを一律に扱っているからだ。
トータルの熱プロセスを考えることが、知と呼べるものを作るのに必要なんじゃないか、とふと思ったのでした。