コピーワンス反論への想定反論

山口浩さんの「コピーワンス」へのパブリックコメントを読んでみたけど、この言葉が既得権益者に届くのか、あやしいと思った。

以下、もし自分が既得権益者の一人ならばどう考えるだろうか、というのを頭でシミュレートしてみた。重ねて言っておきたいのは、私自身の姿勢は下の内容とはあまり関係がなく、この内容について感情的に反論されても、放送局の狗め!とdisられても困るので、その辺の判断が出来る大人の人のみ読んでください。あと、以下の内容で議論をふっかけられても、それに応じる可能性は低いです。私個人の立場に基づく意見ではないし、概ね議論は堂々巡りになりそうなので。
http://www.h-yamaguchi.net/2007/09/post_3833.html からの引用を含んでいます。

安易な規制は違法コピーの流出への有益な対策とならないうえに

「だから安易にならないよう考えているしパブリックコメントを求めているのじゃないか」→断絶

基本的には、コピー制限によりユーザーの利便性を低下させるのではなく、むしろ利便性を高めることで対処することが望ましい。

「『基本的に』って何? コピー3回から10回にすることで利便性あがっているよね。どこまでも利便性をあげることはこちらの利益を失することになるのでできないのは当たり前。どこに落し所があるかを議論しているわけだ。その判断を捨てている点で以下このコメントは読む価値ないだろうなぁ」

あらゆるコピー制限技術はそれを解除する技術の開発を引き起こすものであり、結局いたちごっこにしかならない。

「違法コピーを、市場が破綻しないレベルに抑止できればいい。専門的な方法によってのみコピー制限を破ることができたからといって、その技術が無効化したことにはならない」

そうした対抗策をとる意志と能力を備えた闇の勢力や悪意あるユーザーにとっての収益機会を増やすだけとなる

「利益構造の概念がそもそも違う。悪意あるユーザは別に取り締まればいい。問題は、容易にコピーできることでコンテンツ市場が破綻すること。コンテンツクリエーターに十分な報酬が行き渡らなければ、魅力あるコンテンツが作られる機会も減り、市場そのものが衰退してしまう。その他にも色々と問題もある(以下略)」

一方、現代では1つのコンテンツを複数のプラットフォームで楽しんだり、あるいは機器を買い換えてもそのコンテンツを引き続き利用し続けたりしたいというユーザーのニーズが強くなっている。

「それは提供するコンテンツホルダーの意思に沿ったものでなければならない。例えば多くの映画監督は、フィルムの黒の表現、フィルムグレインの表現も含めひとつの作品とみなしている。それが損なわれることを望まない。この場合HDの高品位なコンテンツが原著作者の許諾なくスポイルされて再流通されるのは望ましくない。もちろん、コンテンツホルダー、コンテンツアグリゲータともに、そのようなユーザのニーズは理解している。市場として成り立つのであれば、自ら率先してそれぞれのプラットフォームに適した形で同じコンテンツを提供している。コンテンツの私的複製の権利を踏まえ、ある程度のコピーは許容するべきであるが、度を越えたコンテンツの流布はコンテンツホルダーおよびコンテンツアグリゲータの利益を損なうことになる。それはコンテンツ制作者の報酬を低下させることになり(以下略)」

コピー回数について、3回であろうが10回であろうが限りがあるということ自体がきわめて強い権利制約であり、違法コピー製品へのニーズをかえって増大させるものと考えられる。

「ある程度の権利制約は絶対に必要である。コメントでは『きわめて強い』と判断しているが、その基準・理由が説明されていない。利用者の権益のみに基づいた恣意的な価値判断で行われているとみなすしかない」

自らの利益のため確信犯的に権利侵害を行う一部の人々……
正当な方法でコンテンツを利用して楽しみたい多数の善良なユーザー……
利用上の自由を過剰に制約し……
過剰なコスト負担を強いるものであって……

「恣意的な価値判断に基づく感情的なアジテーション

無料で新たな番組がいつでも視聴できるテレビ放送におけるコンテンツ間の競争は激しく、利用を制限された過去のコンテンツのほとんどは新たなコンテンツに比べて不利な立場におかれ、あっという間に忘れ去られていく流れにある。

「もちろん、YouTubeニコニコ動画などコンテンツの二次配布によって、本来ならば忘れ去られていただろうコンテンツに再流通の機会が発生する可能性があるだろう。現在はユーザが発信源となって二次流通が行われているが、コンテンツホルダーやアグリゲータが行うことも、あるいは彼らの許可を受けたインフルエンサーが行うことも可能だろう」

コンテンツは死蔵されているだけでは意味がなく、人々に利用されて初めてその価値を発生させるものであるから、その権利保護のあり方も通常の財とはおのずからちがったものになるはずである。二次利用による収益機会を考えるならば、むしろ善良な一般ユーザーの利用を制限するような規制に対してこそ慎重であるべきと考える。

「その論理は容易に次のように拡張されうる。『死蔵されていたコンテンツの二次流通のための権利保護は、これまでのコンテンツホルダーを中心とした一次流通のための権利保護とはおのずからちがったものになるはずである』。一次流通については権利関係や流通や市場規模が確立しているのに対し、二次流通についてはすべてが不明である。しかも市場規模(流れるお金の量)は一次流通に比べると少ない。YouTubeニコニコ動画がコンテンツの流通だけで現在のキー局と比肩するぐらい儲かっているのだろうか? 二次流通は関連商品の売り上げや広告などより広い経済圏と関わる可能性がある。しかし、YouTubeニコニコ動画の収益はコンテンツ制作者などに全く還流されていない。そのような枠組みに目処が全くついていない現状では、おのおのの権利保護は別に考えるしかない」

完全な防止策がない現状で権利を保護するための抜本的かつ最も有効な対策は、リーズナブルなコストで便利にコンテンツが利用できるようにして、ユーザーがわざわざ違法コピーを利用したいとは思わない状況を作り出すことである。

「われわれは、現在のコンテンツ一次流通をもゆらいでしまうような抜本的な対策は今のところ求めていない。もちろん将来的には一次流通と二次流通が連動するようなコンテンツ市場ができることが望ましい。それが何時になるのかわからない現状では、そこまで視野に入れて考えては焦点がぼけるだろう」

もちろんこれは必ずしも容易とはいえないが、コンテンツの二次利用についても、課金モデルの開発・普及についても、これまで供給者側がそうした努力を充分に行ってきたとはいえない。

「これまでは課金モデルの開発・普及のコストに比べて、市場が小さすぎた」