感情と過去

感情は過去、理性は未来に働きかける。アテンションは感情に働きかける。リアルタイムで記録に残らない会話に対し、非リアルタイムで記録に残るCGMはそれだけ認識に遅延を発生させる。CGMでは、過去・感情がより優位に扱われる。最近の罵倒云々の議論は、なんつーか、ループというより、懐古厨やパブロフの犬つーか、自分の肛門にパイプを挿してそれを口に持ってきた一人永久機関というか、接していて気持ち悪い。CGMは、過去に、そして感情による出来事に、負債を払わせ続ける。認識が光速に近づくとちょうど一般相対性理論のように世界は過去によって引延ばされる。過去に襟首をつかまれひきずりだされた無数の他者のexperienceに、個人のexperienceはどう向き合えばいいのだろう。暗澹たる気持ちになる。

最近レビューが多いのはそんな理由だったりします。