Pirates of the Caribbean: At World's End

タイトルがとても気に入って見に行ったパイレーツ・オブ・カリビアンの3作目。1,2はDVDで予習したんだけど、1の完成度の高さに驚いた反面、2のグダグダぷりにちょっとがっかりしてた。正直期待してなかったんだけど、3はとても楽しめた。

確かにストーリーの端々で破綻していると感じる点は多かった。カリプソを解放する理由もわからないし、評議会のどたばたも演出上の効果を見出せない。ターナー卿の最期は意味不明だ。
主要登場人物は目的のために時に相手を裏切る行動をするので、見ている方にもわかりにくい。でも彼らの動機づけは他の登場人物のシーンによって補完されるので、2よりグダグダ感はずっと少ない。
映像、とくにアクションシーンは2よりずっと好き。世界の果ての不条理っぷりはかなりいいし、世界の果てから帰還する方法も意表をつかれた。渦巻きの中でのFlying Dutchman号との戦闘は、こんなシーン見たことないってぐらい素晴らしい。船自身のアクションと、海賊たちの集団戦と、主要登場人物たちの殺陣とを映していくカメラワークがいい。渦巻きの中でロープにつかまってマストを移動するジャックや他の海賊たちが斜めに飛び交うのを回りこみながら追いかけ、そのままフレームを下に向けて他の登場人物にインしていくってな感じ。

終演後の声を聞く限り、ラストは不評だった。ずっと相手を想い続けていたウィルとエリザベスが結ばれた方がハッピーエンドで分かり易い。なぜ10年に1日しか逢えないような悲しい目にあわないといけないのか、脚本の意図を完全に読むには伏線不足な気もする。
きっと二人はそんなつつましい幸せは望めないってことなんだろう。海賊家業に足を突っ込み亡者とやりあい世界の果てまで行った。エリザベスは、目の前でかつての許婚が殺され、海賊の証を手渡されて船長の中の船長になった。ウィルは、Flying Dutchman号に取り残され、亡者となっていた父親の救出を願った。その中で二人が想いを成就させるには、それだけ二人の関係を(物語的に)強いものにしないといけなかった。二人は簡単に愛を選択できない。他のもの(海賊に憧れた好奇心や父親への想い)を簡単に捨ててしまったら、それは一昔前のウェルメイドなハリウッド映画と変わらなくなる。二人の恋愛を永遠なものにするには、作品は日常の生活を代償にしなければいけなかった。
二人が想うものと居場所の両方を手に入れたのと比べると、ジャック・スパローの生き方はうら寂しく見える。彼は自由な海賊であるが故に、何処にも行けるのと同時に何処へも行けない。ラスト、欲しいものを指し示すコンパスは手にあるものの、ブラックパール号を奪われ一人で小船で沖に漂うシーンは海賊の運命を象徴している。「漂えど沈まず」。しかし、彼はデイヴィ・ジョーンズのように永遠の住人にもなれなかった。デイヴィ・ジョーンズは心臓を抜かれながらも勤めを果たした。彼を支えていたのはカリプソへの想いなんだろう。同じ役目を担うウィルもまたエリザベスへの想いを抱えている。ジャックには覚悟がなかった。デイヴィ・ジョーンズの心臓を手にしてウィルを放すよう要求したジャックが、じゃあ刺してみろと逆に言われて躊躇するシーン、あれがこの映画で一番重要なシーンだと思う。細部を忘れちゃってるので、ちゃんと書けないけど。少なくとも彼は、何にもコミットしない、現代的な"海賊"として描かれている。世界の果ての不条理さは彼を反映したものかもしれない。あるいは、身体は帰還したが、心はずっとあの真っ白な世界の果てにあるのかもしれない。彼の多重人格が画面に現れるのはそれを示唆しているとも言える。彼の解離こそが、PoCのキモなのかもしれない。