終わりのクロニクル

不意にラノベを濫読したくなって、衝動的に読み始めた。昨日でその1(上)、今日でその1(下)とその2(上)(下)を読了。

小説として見ると突っ込みどころとか不満はいろいろある。でも、シミュレーションとして読むとまぁ面白い。異なる概念の衝突について思考実験を重ねると現れてくるような、いくつか量子状態の重ね合わせからなる世界に、境界条件を定めひとつの答えを見せてくれる様が面白い。キャラも設定もそのためだけに存在している。そこは美徳でもあり欠点でもある。例えば、UCATの連中は承諾の意をもって「Testament」と言うけど、契約として何かを差し出さなければいけないような異質性を持っていない。各Gearの参加者の造形が変わりばえしない。まぁ、個の異質さと世界との関係を持って小説とするような近代小説の美徳はこの作品では何の意味ももたないわけだけど。
この作品は確かに「終わりのクロニクル」ではある。Intercommunicationの記事「終わりの終わりに向けて / 丹生谷貴志 - END_OF_SCAN」で指摘されてたことだけど、世紀末に向かって現代のあらゆる創作物は滅亡をさまざまな形でシミュレートしてきた。この作品はそんなシミュレートのエコーであり、一つの追実験に過ぎない。主人公の持つ肉親のトラウマと新庄のどこにも根拠がない愛とバトルがあるために、終末の羅列が「年代記」になっている。強引なほどに進展する佐山と新庄の恋愛や佐山に何重にもかけられた肉親の呪いは作品世界の要請によりプログラムされたものだ。換言すれば、それらが解消したとき、初めてこの作品は真の「終わり」に向き合うことになるのだろう。